第6話 魔女と従士

 クレイが剣を振り上げ舞い踊る。剣というよりは笛だった。

 掌で穿孔を押さえ音を変化させゆくそれは、まさしく剣の形をした笛だった。


 たん たたん たん たたん


 踵と踵を打ち合わせ、そのリズムに合わせて剣が踊る。

 月のライトに照らされて動く少年の妙技に、人はみな吸い込まれていく。

 剣戟。

 見えない敵にむかって振り下ろされる、攻めの数々。

 ただ剣を振っている訳ではない。

 村人たちは、クレイと相対する何者かの姿を幻視する。


 袈裟に斬った一撃は唸りをあげて空気を震わせ、空気が穴を通り抜けていく。

 剣に穿たれた穴の数々は震え震わせ音を生む。

 それは咆哮。獣の咆哮に等しき唸りであった。

 クレイが戦っている。

 見えずとも震える大気と少年の動きで、対峙する者の輪郭が浮かびあがってくる。

 クレイが自分より大きな獣と戦っている。

 その幻が村人たちには見えていた。


 たん たた たたた たたたん たたた


 震え、震え、風が揺れて震えてクレイの髪をなびかせる。

 それは獣の一撃。

 身をよじらせてクレイはその剛腕をかわす。

 その避けた剛腕の風圧が、髪をなびかせるのだった。

 恐ろしいほどの強撃。

 それを警戒し、クレイは後ろへと飛び跳ね間合いをとった。


 たん たたん たん たたん

 たん たたん たん たたん


 少年が軽やかにステップを踏む。

 それに呼応するかのように村人たちがたたらを踏む。

 観衆は声をかけることも無く、固唾を呑んで見守る。両手に持った料理が冷めるのを気にすることなく。

 そんな注視する人々の目に光る物が映った。

 見ればいつしか、淡く小さな光が少年の周りに漂っているではないか。


 蛍?

 違う。

 蛍はこのように様々な色を煌めかしたりはしない。

 では何か?村人はその輝跡を追った。

 それはハンナの杖から発せられていた。

 赤。青。黄色。杖の先からあふれ出た光は互いに混じり合い、複雑な色を生みだしていく。

 それが漂い流れ、場所を見つけたかのようにクレイの周りを旋回していたのだった。


 クレイが剣を薙ぐと、その色の一つに触れた。

 色は剣の孔を通って広がり、飴のように伸びてやがて抜けた。

 引き延ばされると、それは音を膨らませ周囲を轟かせ、縮んで元に戻るとそれは止んだ。


 クレイの周りにある色は一つでは無い。

 色違いの球を打ち抜く度に、それは様々な音色を奏でた。

 伸びて縮んで、再び伸びあがり色を重ねて音を奏でる。

 音は曲となって周囲を震わせる。

 震え震え、その柔らかい音楽を人の身体に染みこませていく。

 広場が少年の剣舞に支配されていく。

 曲は人々の頭に訴え働きかけ、心を揺さぶっていく。

 その閉じた眼を開けるように、囁きが聞こえてくる。


 誰だ?

 囁く物は誰だ?

 否、それは囁きに非ず。

 ハンナの口から漏れ出る澄んだ声が、歌となって周りに訴えているのだ。


 たん たた たたた たたたん


 クレイが踏むリズムに合わせて、ハンナが歌ってるのだ。

 それは軽やかに。

 焦りや緊張を払拭するかのように明るく、ハンナが歌う。

 杖をくるくると振りながら、クレイの動きに合わせて。

 回る杖から光球が生み出され、応援するかのようにクレイの元へと吸いこまれていく。


 大木転げてみしみしと♪ ドスンと倒れりゃ足下揺れる♪

 ほうれ危なかった助かった♪ ほっとひと息つかの間よ♪


 たん たた たたた たたたん たん たた たたた たたたん


 曲と歌が交わり、広がっていく。魔女と従士の歌と踊りは世界を変えていく。

 その明るい歌は観衆に作用し、イメージを変えていく。

 魔女と従士が生み出す世界へと、気分を染めていく。

 人々は二人が生み出す世界へと吸い込まれていく。

 人々は確かに見た。夜がいつしか昼へと変わるのを。

 もはや野次を出す者など一人もいなかった。


 これまた驚きゆさゆさと♪ のそり顔出す大熊ギラリ♪

 こうりゃ危ない助けちゃおくれ♪ 呼べど応えずここには独り♪


 たん たた たたた たたたん たん たた たたた たたたん


 軽快な曲に合わせてステップを踏みながらクレイが身を低くする。

 人々はそこに大きな熊の姿を幻視した。

 飢えた獣のギラつきを、横に腕を薙いで少年を喰らわんとする獣の姿を確かに見たのだった。


 緑。茶。灰。

 弧を描いて光球がクレイの周囲を旋回する。

 クレイはそれを避ける。躱す。いなす。

 球が剣と触れれば、それは獣の咆哮に似た金切り音を生んだ。

 人々は見た。

 小さき剣士に、獰猛な獣の爪と牙が襲いかかるのを。


 どした山の子話せば分かる♪ 離れて話せど聞いてはくれぬ♪

 怒り心頭に両手を上げりゃ♪ 降参許さじ背筋がぶるり♪

 ここはどこだか森の中♪ おいらの命は胸の中♪

 朝飯いつ食った腹の中♪ きっと夕には奴の中♪


 たん たた たたた たたたん たん たた たたた たたたん


 クレイが背を向けた。

 アクロバットに、大袈裟に、飛んだり跳ねたりと。

 襲って来た熊から逃げようと、少年は必死なのだ。

 軽快な曲。陽気な歌。

 そのなかを少年は飛び跳ねる。


 たん たた たたた たたたん


 クレイに合わせてハンナが歌うのか、それとも逆なのか。観衆には分からなかった。

 しかしはっきりとわかることが一つだけあった。

 それは巨大な熊が、クレイをひとのみにしようと後を執拗に追いかけていること。

 うっすらと草いきれが薫る林の中で少年は逃げ惑うのだった。


 後ろに感じるひしひしと♪ お前の足音ドスンと揺れる♪

 もうね止まろか諦めよか♪ ふうとひと息虫の息♪


 巨体を揺らし、枝木を払いながら突進する熊。

 それは幻覚などでは決して無い。

 息づかいと唸り声は、そこにいる者全員にはっきりと聞こえていた。

 森の中で会えば誰であろうと恐怖したであろう。

 いったいこれからどうなってしまうのか。

 見つめる村人たちの手に汗が滲んだ。


 たん たた たたた たたたん たん たた たたた たたたん


 息もつかせぬ腕の振り♪ 死んだ振りとて突き通せぬか♪

 そんなにオイラを仕留めたきゃ♪ そんならお前を仕留めよぞ♪


 たん たた たたた たたたん たん たた たたた たたたん


 動き廻っていたクレイの動きが止まる。

 華麗にステップを挟みながら、少年は向き直る。

 暴虐の塊に。獰猛な獣に。自分を襲おうとせん巨熊を、迎え撃つために。

 すらりと構えた刀身が光る。

 上段にへと掲げた刃は、陽の光に照らされ輝きを放つ。

 その光明に眩まされたのか、熊も動きを止める。


 ぐるるるるる


 咆哮。威嚇か、それとも嘲笑か。

 剣では無く両腕をこれまた構えて熊も吠える。

 それを受けてクレイは腰を落とし、刀を水平に中段をへと構えなおした。

 ただよう光球は、景色が変わっても少年の周りを離れない。

 クレイの剣が唸りをあげると、球は弾かれ澄んだ音を生む。

 それは剣撃に近い音を立てて周りに弾け、再び少年の元へと。


 観衆は見ている。

 音が景色を染めあげ世界を変えているのを。

 観衆は見ている。

 獣と剣士の激闘が目の前で繰り広げられていくのを。


 そうら相棒餌が欲しいか♪ だけどこの身はくれてはやらぬ♪

 喰うか喰われるかどちら様♪ 頭上の鷲さ教えてけれ♪


 たん たた たたた たたたん たん たた たたた たたたん


 前後左右の激しいステップ。

 動きではクレイの方が勝っている。

 だが熊の剛腕はその優位を容易く刈り取る勢いがある。

 ゆえにクレイもそう簡単には攻めに転じることが出来ない。


 頑張れ。頑張れ。頑張れ。

 見守る観客の無言の応援。

 少年のステップに合わせて、村人も足踏みする。


 どん どどん どん どどん


 その音は地を揺らし大気を震わせ、少年を鼓舞するのだ。

 震える世界。澄んだ音色。

 それらを絡め取り上げるかのように、クレイの剣劇が冴え渡る。

 そして繋がせるかのようにハンナの声が響き渡るのだった。


 どした山の子鼻息吐息♪ ここまできたら聞く耳持たぬ♪

 されどおいらも両肩重い♪ 白旗あげよも手があがらん♪

 ここはどこだか森の中 おいらとお前の散歩道♪

 腹が減る減る藪の中 目の前獲物はご馳走か♪


 熊の動きがだんだんと鈍ってくる。

 クレイの剣が少しずつ通り、傷を負わせているのだ。

 疲れてきた熊の攻めは大雑把になってきている。

 クレイのほうは息一つ上がってはいない。

 そのような雑な動きに、掴み取られるはずがない。

 初めは熊の勢いを警戒し軽く斬りつけるのみだった行動は、今や大胆になってきている。

 それでいて、躱すべき所はかわす。

 丸太のような腕を屈んで踏み込みながら避け、フェンシングのように相手を突く。

 突く。突く。薙ぐ。払う。


 今度は逆の腕が唸りをあげる。

 しかしそれはクレイに読まれていた。

 あっさりとかわし、背後をとる。

 一方の熊は避けられた勢いを止めることも出来ず、身体が泳いでしまう。

 蓄積した獣の疲労と負傷は限界なのだ。

 それを確信したクレイは、熊の脚を足場に、背中を駆け上がる。

 勢いをつけ、一気に上へと。


 ガァッ


 熊が両腕を振り回して背後を振り返る。

 しかしそこにクレイの姿は無い。

 少年の姿は上にあった。

 脚を、背中を、肩を、頭を、駆け登って獣の頂点へと。

 両腕で剣を構える。

 熊が頭上を見上げた。陽を反射した光が獣の眼を眩ませた。

 それが、致命の隙を生んだ。


 ざしゅっ


 熊の口内に剣が突き刺さった。

 勢いと体重を借りて、刃がずぶずぶと入っていく。

 熊は手を上げ、ようとした。

 だが次の瞬間、糸が切れたようにその場にどうと倒れてしまった。

 熊は動かない。

 しばらく立ちつくしていたクレイは、それを見届けてようやく肩で息をした。


 どした山の子話もできんか♪ そんならオイラも引き上げよ♪

 夕の食事の土産ができた♪ みんなに聞かせよ一騒動♪

 ここはどこだか森の中♪ おいらの獲物は目の前よ♪

 陽がおちれば家の中♪ きっと夕にはご馳走よ♪


 たん たた たたた たたたん たん たた たたた たたたん


 息を整えたクレイが歌に合わせて足を踏み剣を突き上げる。

 するとカーテンが開かれたように左右に空が分かたれて世界が変わる。

 日中の陽射し降り注ぐ森の様子はもうそこには無い。

 あるのは静寂。

 星々輝く満天の星空。そして篝火が揺らめく村の集会場であった。

 人々の頬を夜風が撫で、正気を取り戻させる。


 クレイとハンナが互いに手を取り一礼した。

 今まで見ていたものは何だったのか。

 昼の陽光。吠えたける巨熊。

 ここにいる者全てに問いかければ、共通の認識で答えるだろう。

 これが魔女と従士。

 人々は互いに顔を見あわせ、そして少年と少女に惜しみない拍手を送った。

 ハンナは周囲の拍手に気を良くし、笑みを見せた。


「ふう、緊張した」


 ほっと、ひと息つくハンナ。

 そんな彼女にクレイが声をかける。彼は汗びっしょりだ。

 額をぬぐうクレイは大きく肩で息をしている。

 終わったことで疲労がどっと出てきたのであろう。。


「ああ、疲れたよ」

「お疲れ様。格好良かったよ」


 クレイはストゥンの姿を捜す。

 群衆の中にいるのを確認すると、その様子を確かめる。

 ストゥンは他の村人といっしょに、止まない拍手をこちらに送っていた。

 良くやった。

 そんな言葉が顔に浮かんでいるのが分かる。


 それが見たかった。それが欲しかった。

 クレイもハンナに遅れて笑みを浮かべた。

 満足げな、やりきった顔。

 その顔を見てハンナの笑みが更に強くなる。


「さすが私の従士さまね」

「様は余計じゃない?」

「そう?」


 首を傾げるハンナ。


「だって君は魔女で僕は従士だよ」

「あら、従士がいないと私は何も出来ないわ」

「でも、君の方が偉い」

「偉くない」


 二人の顔から笑みが薄れ、緊張の空気が漂っていく。


「どうしてそんなに頑固なの」

「君こそどうして理解出来ないのさ」

「じゃあクレイさま、これでどう?」

「そんならこっちハンナ様だよ」


 互いに相手を尊重していくはずなのに、なぜか口喧嘩が始まったではないか。

 そこに魔女と従士の威厳は無い。

 年相応の少年少女、子供の喧嘩である。

 それを、見ている連中は止めようともせず、先ほどの見世物を肴に食事を再開するのだった。


「何やってんだアイツら」


 様子を見ていたストゥンは頭を抱えた。

 せっかく無事に終わらせたというのに、醜態を晒しているではないか。

 さてどうしたものかと悩むストゥンのそばへ、フレイがやってくる。


「元気があって良いじゃありませんか」


 フレイの顔は穏やかだ。彼女の目はストゥンと違い、孫を見守る祖母の目である。

 ストゥンが大きくため息をついた。


「先行きが思いやられる」

「あら、私と貴方も最初はあんな感じでしたよ」

「そうか?」

「ええ、最初から終わりまで。今ここで詳しく話してもいいかしら?」


 ストゥンの口がへの字に曲がる。この女傑ならすらすらと言えそうだ。


「ごめんだね」


 杯を用意してまずはフレイに、続けて自分にと注ぐ。

 並々とした液体へと彼女の目が注がれる。

 フレイが自分の口へと杯を近づけた。

 それを確かめてストゥンが高々と杯を掲げる。


「魔女と従士の旅に幸あれ。乾杯」

「ええ、乾杯」


 捧げた先は若き二人。

 魔女ハンナと従士クレイにへと。

 村の宴はまだまだ続き、夜は更けていく。

 それでも喧騒は、おさまる気配がなかったのである。

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