第38話 けらけらおんな③
「危ないですよ!」
「アンタが守ってくれるんだろ?」
ハンナは忠告するが、館主は気にしてない。
止めなければ今にも飛び出してしまいそうな雰囲気だった。
協力してくれるのはありがたい。だが程度というものがある。
近づいたせいで、何も起こらないとは断言出来なくなる。
守れると考えたのは自分の近くに居てくれるからだ。
遠くに行って貰っては不測の事態に対応出来なくなる。
「危ないですよ姐さん」
ハンナの気持ちを代弁するかのように、遊女の一人が声をかける。
彼女の表情は不安でいっぱいであった。
「まあそうだろうね、危ないさ」
「だったら」
だけどね、と館主は周りを一喝する。
「坊や一人を立たせておいて、アタシらそれでいいのかい?」
館主が顎をやったその先では、クレイがアヤカシと肉薄している。
不気味に嗤う妖と少年。
それを指して館主は啖呵を切った。
「男共を手玉に取るのがアタシらさ。だがね、あんな化け物に坊やを差し出しておいて、はい私は清らかです、などとしらばっくれた面して客の前に出れるのかい?」
堂々とした物言いに遊女たちは顔を伏せた。
そんな彼女達に館主は畳みかける。
「アイツがなんなのか、そいつはアタシにはわからないよ。でも許せないんだ。アタシらの館にあんな奴がいたなんてね。金も払わず居候なんて図々しいったらありゃしないよ。嬢ちゃん」
「わ、私ですか?」
ハンナは水を差し向けられ戸惑った。
「なあ嬢ちゃん、アイツはいったい何なのさ。幽霊かなんかかい?」
「ええと……似ているようで違います。故人が化けて出たとかではありません」
「ふうん、じゃあ何なのさ」
何なのか、と問われてハンナは言葉に詰まった。自分もよく分からないからだ。
わからないのがアヤカシなのだ。
だがここでわかりませんと答えれば、せっかくのやる気を削いでしまう結果になりかねない。
だからハンナは、言葉を選びながら返した。
「人であって人ではない。例えてみるなら残り香みたいなものでしょうか」
「ふうん」
わかったような、わからないような曖昧な返事で館主は頷いた。
「まあ、それを聞いて安心したよ。先達に張り手喰らわすほどアタシは堕ちたくないんでね」
だけど、と胸を張る。
「ここはアタシたちの縄張りだ。官憲もそうだし他の連中に好きはさせないよ。アンタ達!」
「は、ハイ!」
声をかけられ遊女たちが声を張り上げる。
「胡散臭い奴が居るのをこうやって嬢ちゃんが見せてくれた。ならアタシらのやることは? 未通女の振りして悲鳴をあげることかい?」
「えと……」
「違うだろ! アタシらは身体を張って商売してきた! 生きるためにね!」
だったら、と館主はアヤカシに向かって指をさす。
「どこの誰だかわからない奴に、館の売り上げ持ってかれていいのかい! あんな不細工を当店ナンバーワンと言わせるのかい!」
館主の声に熱が篭もってくる。
正直話がずれては来てるが、耳を傾けている遊女たちは気にはしていない。
向けている顔の目は真剣だった。
「うちらの中でやらかした揉め事はアタシらがおさめてみせる。それがアタシたちさね!」
話していくうちに、館主に同調するものがちらほらと出始める。
そうかな。そうかも。
雰囲気に呑まれ、論調は賛同すべしという方向に傾いていく。
一同に異議がないことを確認した館主は、ハンナに微笑んだ。
「と、言うわけで嬢ちゃん。あとは頼んだよ」
「は、はい」
有耶無耶のうちに押し切られハンナは頷いた。
強い。
自立した大人の女性とはこういうものなのだろうか。
ハンナの頭の中で、新しい頁が生まれつつある。
この一件が終わったら、薄れゆく前にライドワードに話しておこう。
とはいえ、やはり一般人にアヤカシを対面させるのは危ういものがある。
ここは私が頑張らないと。
「わかりました。やりましょう」
「そう来なくっちゃあね」
杖を握りしめるハンナに、館主は頷いた。
そして遊女達にも発破をかける。
「アタシと一緒に来たい奴は来な。こんなの滅多に味わえないよ!」
その姿は部屋に呼ばれる商売女の姿では無い。
まるで死地へと飛び込む冒険者のようだった。
それが、彼女の素なのであろう。
それに倣って数人が後へと続く。
それぞれに楽器を抱えながら、隊列を組んで前へと歩む。
即席の楽隊が、朗らかに口ずさみながら街を進む。
さあさ 通りゃんせ 通りゃんせ♪
明日は何処かはわかりゃせぬ♪ だけど今はここに有る♪
お主と儂とアタシらと 交わるこの路 通りゃんせ♪
声に合わせて、遊女達も歌を口ずさむ。
それはか細いながらも力強い歌であった。
たとえ苦しいことがあろうとも前を向いて進む、歌であった。
さあさ 通りゃんせ 通りゃんせ♪
昨日はとうに過ぎ去った 今ある自分はここに有る♪
今日を生きれたら明日も生きる 変わらぬこの路 通りゃんせ♪
しずしずと、歩み始める一行。
その歩みを援護しようとハンナが杖を振るう。
同じように、韻を踏みながら高らかに歌うのだ。
さあさ 道行く皆の方 私らとくと見やせんせ♪
この顔 この声 この身体 見惚れたとて御代は取らぬ♪
だからそこを通してくれまいか♪ 通りゃんせ 通りゃんせ♪
陽に向かいて歩くに 遠慮はいらぬ♪
歌い進む彼女達はこの異世界に存在を示したようだ。
伸びる腕の数々が、一行の前へと現れる。
蝶やクレイを追っていた物の一部が、彼女達の前へと迫る。
遠巻きに距離を取り、手を広げる腕たち。
それは彼女らを値踏みしているかのようであった。
ひゅっ
腕の一本が、鞭のようにしなってやってくる。
その行く先は館主。
伸びに伸び、細く伸びあがった腕が、前方から餓狼のように飛んで来た。
だがそれは、触れるには至らない。
一行が鳴らす楽器から、蝶の群れが羽ばたき気勢を削いだからだ。
一行が歩めば、左右へと蝶の群れは分かれ、舞い上がっていく。
羽根から鱗粉が飛べば、腕に張りついて発光するではないか。
その激しく振るう様子から、苦しんでいるのは確かであった。
鱗粉に水分を奪われたかのように干からびた腕は、折れ曲がったまま地へと崩れ落ちていく。
次々と落ちていく腕。
だが、それでも負けじと彼方から新たなる腕が飛来してくる。
大きく掌を開き、握り潰そうと迫って来る。
そして哀れにも、一匹の蝶を捕らえたのだった。
先ほど同じ光景がくり返されるかと思われたが、結果は違った。
蝶を捕らえ握りしめた掌が燃え上がる。
たまらず手を開き、もがき苦しむ腕。
蝶の亡骸はその掌からこぼれ落ち、粉粒となって辺りに散っていく。
ぼしゅっ
その残骸が触れた箇所に種火が宿り、一気に燃え上がる。
火は瞬く間に燃え遡り、腕を苦しめた。
やがて燃え尽き、一本の腕がまた地へと倒れ落ちる。
行動はただ、犠牲を増やしただけであった。
地面に倒れ行く腕の数々は、まるで積み重ねられた枯れ枝のようであった。
水分を失った表皮がさらにささくれ、ひび割れていく。
割れた部分から小気味の良い音を立て、破片では無く蝶が舞う。
渦を巻きながら高く高く、空へと舞い上っていくのだ。
羽ばたく蝶の群れは、光の絨毯と見間違える程の多くの鱗粉をまき散らした。
すると、地にうち捨てられた腕の隙間から、新たな物が伸びてくる。
それは樹木であった。
最初は小さい苗木であったが、光を浴びると急速に生長していき、太く勢いよく伸びていく。
空の朱を消そうと木々は伸び、青々とした葉をつける。
その緑は、この狂った世界において目に優しき清涼剤となった。
通りに出来た街路樹。
その木陰の下を歩みながら、一行は進む。
アヤカシと、クレイの元へと。
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