第39話 けらけらおんな④

 ♪さあ 捕まえて 私を捕まえて

 ♪あなたの腕の中で小さくなる私は繭のように

 ♪さなぎになって 蝶になって そして羽ばたくの


 アヤカシまでの距離は30メートルといったところ。

 お互いを視認し、うかがえる距離だった。

 だが、クレイはそれ以上近づくことは出来なかった。

 それは四方八方から押し寄せる腕のせいであった。

 クレイを捕らえようと、あらゆる角度から伸びてくるのであった。

 アヤカシだけに目を向けては、それらを防ぐことは難しい。


 けらけらけらけらけらけら


 哄笑が耳に厭らしく響く。

 近づけないことを嗤っているのだろうか。

 それともその滑稽なさまを嗤っているのだろうか。

 いずれにせよ、今のクレイは劣勢にあった。

 その一つにハンナの支援が届かないことがある。

 従士は魔女の力を得て身体能力を増幅することが出来る。

 それにより、アヤカシと五分に渡り合えるのだ。

 しかし今、詠唱は聞こえてはこず、体術によってのみ対峙していた。


 何かトラブルでもあったのだろうか。


 不安が、クレイの頭の中をよぎる。

 そんなわけはないと、それを打ち消す。

 だが不安は打ち消そうにもまとわりついてくるのだ。

 無い、とは言い切れない。

 そう考えてしまう要因は幾つもあるからだ。

 そのうちの一つが、遊女を連れてきたことにある。


 アヤカシと対峙するために複数の人間たちと異界へと突入したのはこれが初めてだ。

 いや、そもそも対決自体が少ない。

 ハンナは自分よりアヤカシへの知識はあるかもしれないが、経験においては自分と変わりないはずである。

 だから、守りながら戦うのは不慣れというか、未経験なはずなのだ。


 襲われるのは自分だけ、とハンナは言っていた。

 だが果たしてそうなのだろうか。

 もし不測の事態が起こって彼女の身に何かあったら。


 ひとたび悪い考えが鎌首をもたげれば、それはふつふつと大きくなり脳内を侵食する。

 直ぐにでも戻って確認したいくらいだ。

 だが。


 ひゅっ


 こうやってアヤカシが放つ触手のような腕の数々が、クレイを逃さない。近づけさせない。

 余所見をする余裕など無いのだ。


 けらけらけらけらけらけら


 哄笑と、それを取り巻く腕から目を逸らしてしまえば、助けに行くどころではなくなるだろう。

 だから先ほどからクレイは、アヤカシの攻撃に神経を尖らし、体術を駆使していたのである。

 どうしたものか。

 考えあぐねるクレイの耳に、ささやかな声がようやく聞こえてきた。

 ハンナか?


 否。


 通りゃんせ♪ 通りゃんせ♪


 聞こえてきたのはハンナではない歌声であった。

 それも大勢。音楽と共に聞こえてくる。

 アヤカシを見据えるクレイの背へ、語りかけるように聞こえてくるのだ。

 振り向いて誰なのか確かめたいところである。だが今は戦闘中であった。

 敵に背を向けることなど自殺行為に等しい。


「……?」


 だがクレイは、違和感に気づく。

 後方では無い、前方の違和感にだ。

 あれほどクレイを捕まえんと四方八方から襲って来た腕の動きは無い。

 アヤカシが向ける、瞳の無い眼孔もクレイを捕らえては無かった。

 クレイは理解した。

 アヤカシもまた、新手に注目しているのだと。


 藤蔓のように絡み伸びゆく腕の爪先。

 それも、もうクレイを標的としてはいなかった。

 掌は視線の如く、クレイの後方を示していたのである。


 さあさ 道行く皆の方 私らとくと見やせんせ♪

 この顔 この声 この身体 見惚れたとて御代は取らぬ♪

 だからそこを通してくれまいか♪ 通りゃんせ 通りゃんせ♪


 高らかに聞こえてくる歌声。大勢の女性からなる歌声。

 先ほどよりはっきりと聞こえてきたその歌声の中に、ハンナの声が混じっているのがクレイにはわかった。

 その聞き慣れた声。

 だからクレイは、迂闊だとわかっていても、振り向いてしまった。

 そして見たのだった。


 遊女の楽隊。

 女館主を先に、遊女達が円陣を組んでやってくる。

 その中心に、ハンナはいた。

 彼女らと同じように、ハンナもまた歌を口ずさんで。

 周りでかき鳴らす楽器を、ハンナは持ってはいない。

 だからだろうか。

 ハンナは杖を掲げていた。

 弾く代わりに杖を高々と掲げていた。

 そこから伸びる光は、楽隊を周りから守る光のバリアを展開していた。

 それは端から見れば、まるで光の傘のようにも見えた。


 クレイの側を通り抜け、腕が傘の方へと向かう。

 慌ててクレイは後を追いかけた。

 速さはむこうの方に勢いがあった。

 鎌首をもたげるように、傘の方へと降りかかっていく。


 その勢いのまま叩きつけるように思われた。

 だが、そうはならなかった。

 傘を中心に遠巻きに囲んでいる。品定めをするかのように。


「大丈夫なのか?」


 遅れてやってきたクレイは、ハンナ達が無事なのに安堵し、同時に警戒した。

 先の言葉通り、攻撃されることはない。

 だが今は安全だとしても、次はどうなるかわかったものじゃない。

 事実、腕はハンナ達を認識し始めている。

 先ほどは自分だけ滅多矢鱈と狙ってきたのに。


 傘の中のハンナと目があう。

 大丈夫か。そう声をかけようとしたクレイだったが、先に彼女の方が頷いた。

 その目は大丈夫だと告げていた。

 ならば、良し。

 クレイはその目を信じることにした。

 ハンナは無事。遊女たちも無事。

 アヤカシは遠巻きに見つめている。

 ならば、自分のやるべき事は。

 クレイは振り返り、アヤカシの方へと歩を詰めた。


 傘を遠巻きに囲んでいた腕が、本体には近づけさせじと向きをかえ、こちらへとやってくる。

 良し。

 これで良し。

 相手の動向が良か否か分からぬのならば、こちらで旗色を変えてやればいい。

 こちらへ攻撃が集中すればするほど、ハンナへの攻撃は少なくなるはず。

 それで良い。

 アヤカシを受け止めるは従士の役目。

 アヤカシを祓うのは、魔女の役目。

 その役目を果たせるように、自分が動くのだ。


 クレイにへと攻撃が群がっていくのは、ハンナたちからも確認することが出来た。

 白き服を着ている少年を朱に染めようと群がる腕はまさしく異形の仕業であった。

 翻弄されるかのように動くクレイを間近にみた遊女達の手に汗が滲む。

 ハンナはあれくらいで彼が捕らえられるはずはないと確信しているが、他はそうではない。

 小さき子供に害が及ぶのを、見てはいられないのだ。


「目を離すんじゃないよ」


 館主が周りを叱咤する。

 目は少年へ、手先は弦へ。胸をはり、敵に背を向けず。

 目の前の出来事を恐れずに、楽器を鳴らすのだ。

 館主の背へ、遊女達は顔を上げた。

 そして館主と同じように、怯えずに楽器を構えた。


 楽隊が鳴らす音色は朱に染まる街並みへと拡がる。

 それはこの狂った世界を清めるかのような澄んだ音であった。

 急ごしらえの合奏は、ここに来たときよりも揃っていた。

 揃った音は互いを惹きつけ、より深みを増していた。

 これが浮世ならば、通行人は投げ銭でもくれたかもしれない。

 だがここはアヤカシの世界。観客などありはしない。

 だがそれでも彼女らは、弾き続ける。

 館主に倣い、目の前から逃げずに、アヤカシとクレイに目を向けながら。


 彼女たちは肌に感じていた。

 見られているのを。注目されているのを。

 それらは館に来る野郎のような、好色な視線では無い。

 イヤらしさは感じなかった。

 あるのは興味。好奇心である。

 一本、また一本。

 アヤカシの元から腕が離れ、こちらへとやってくる。

 攻撃を仕掛けることもなく、ゆらゆらと揺れながら。


 光の傘に包まれる楽隊を眩しく思うのか。

 それとも、その音色に惚れているのか。

 それはわからない。

 だが、だんだんと見物が増えているのは事実であった。

 遊女達は、それらに見向きもしない。

 視線は、アヤカシとクレイから逸らしてはいない。

 悲鳴を出すことはない。歓声をあげることも無い。

 弦を弾く腕に力をこめ、クレイを応援する。

 その思いは、自然と歌声となって口から発せられるのだ。

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