第40話 けらけらおんな⑤
アヤカシとクレイの攻防はいまだ続いていた。
アヤカシにへと近づこうとすると、並木林のごとく腕が立ち塞がり、伸びてくる。
斬っても斬っても、途切れることはない。
そのため、クレイはそれ以上近づくことが出来なかった。
♪貴方覚えているかしら 私についた嘘
♪きっと必ず 遭いに来てくれるって
♪だから私ずっと ずっと ずっと待っていたの
♪ねえ分かる 貴方は目の前にいる
♪だからこれが真実 嘘じゃ無いの
けらけらけらけらけらけら
焦点が定まらず、細い紐の上でふらふらと揺れるアヤカシは、まるで夢遊病患者のようでもあった。
その腕はだらりと下がったまま、小首を傾げてびくびくと身体を震わせている。
だが辺りから伸びてくる腕の数々は、明確な意志を持ってクレイへと襲いかかってくるのだ。
「くっ」
何本斬ったかはもう覚えていない。
幾度となく覚えた感触。
それを手に味わえば、これもまた同じく斬られた腕は地へと落下していく。
斬ったかと思えば何処より腕が伸び、また行く手の前に立ちはだかる。
そのようなことを、何度くり返しただろうか。
今度もまた、同じような展開になると思われた。
だが、クレイは違和感を覚えた。
違う。違うのだ。
襲いかかるアヤカシの動きが鈍い。
何というか、稚拙なのだ。
先ほどと同じくこちらに向かってはくるものの、動きを読むのは容易い。
疲れ、などではない。
何というか、心ここにあらずといった感触を覚えた。
何故か。
訝しがるクレイの背の方角から歌声が響いてくる。
歌は、クレイの背を押し鼓舞するかような力強さがあった。
これか。これなのか。
クレイは事態を招いたのはこの力であると確信した。
通りゃんせ 通りゃんせ♪
通りの行く路我が路に なんぞ躊躇いありゃせよか♪
腕を振るうに理屈はいらぬ 脚を伸ばすに遠慮はいらぬ♪
人が我が身を嗤うても それが些かの痛痒か♪
ならば我も笑おうか 友と手を広げ笑おうか♪
ここはどの道 この道 大通り♪ 人の道行く 大通り♪
通りゃんせ 通りゃんせ 怖いながらも通りゃんせ♪
しゃなりしゃなりと、遊女が歩く。
楽器を響かせ声を響かせ、遊女が歩く。
その行進を、寄ってきた腕は遠巻きに眺めていた。
その指先、手先に蝶が止まる。
艶やかな蝶の羽色は多彩で、一色には留まらなかった。
艶やかさは、光の傘より生まれていた。
遊女達が弦をつま弾き音が跳ねれば、それは空気を澄ませて蝶の形となっていくのである。
遠巻きの腕は何もしない。
掴めようともしない。握り潰そうともしない。
最初に蝶は行く先々を浄化した。
次に蝶は、青々とした緑を生みだした。
では、今度は。
生えた木々の街路樹に、葉と花が咲き、辺りにえもいわれぬ薫りが漂った。
それにあてられたのか、異形の腕は眠気を覚えたかのように倒れ落ちた。
それは次々と、音を立てずにばったりと地に伏せいくのだ。
倒れゆく様は、楽団の演奏に些かも影響を与えることはない。
その亡骸からまた木々が生え、街路を埋め尽くしていく。
もはや林ではなく森。
街は、森に木に埋め尽くされようとしていた。
その木陰、木々の隙間から、遊女達は上へ届けと弦を弾き鳴らす。
街を埋めつくさんばかりの木々。
その異変は、戦っているクレイにも理解出来た。
足下から緑がせり上がってきているのである。
最初は敵による変化と思った、しかしその考えはすぐに打ち消された。
生み出されていく木々からは嫌な感じはしない。
澄んで温かくて、安らぐような、そんな感じがした。
アレはこちら側だ。クレイはそう確信した。
擦れる葉から蝶たちが空へと舞い上ってくる。
羽根から零れる鱗粉は、木々の上に薄い層を生みだした。
淡い光が、木々の隙間を埋めるように溜まっていく。
そしてそれは凝縮し、上層に確固たる地を形成したのだった。
クレイが足場とする光輪。地層はそれと同じく、淡く輝いている。
そっと、つま先を乗せれば、それはしっかりとした感触を与えてくれる。
足先から踵を踏んで両足で立てば、それはしっかりとした地。
強固な感触を、しっかりと足全体に受け止めることが出来ていた。
光輪を足場として利用していた。だがそれは利用出来てもしょせんは点から点。
動くにはやはり窮屈であった。
それゆえにアヤカシの攻撃を完全には回避出来ず、近づくには難があった。
だが今は違う。しっかりとした足場が生まれた。
不意をつかんと伸びてくる腕を一刀のもとに切り落として、クレイは笑みを浮かべる。
不安定な足場と違い、しっかりと力が乗った一撃。
こちらが有利な情勢が、生まれつつある。
たん たたん たたたん たん
強固な足場は、クレイが軽やかにステップを踏んでも揺らぐことは無い。
街の高層に、新たな地が生まれたのだ。
うっすらと、目を凝らせば下層が見える。
淡い光の先に、ハンナと、遊女たちの姿が透けてみえる。
その姿に影が差した。
見上げれば、こちらに伸びてくる腕の群れ。
枯らそうと、焼きつくそうとしても、腕はまた何処より現れ自分たち目がけてやってくる。
ひょっとしたら、現実の住民の数、いやそれ以上発生しているのでは。
不安が一瞬過ぎる。
だが、後ろへと飛び退いたクレイの頭からは、それはすぐに抜け落ちた。
否。
断じて否。
不利になどなってはいない。
攻める腕は貫くことは出来なかった。
いかに爪を突き立てようとも、いかに掌を叩きつけようとも、クレイが立つ光の層を砕くことは出来なかったのである。
それは即ち、下層にいるハンナたちの安全を確保するものである。
また、下層のどこかで腕が焼かれたのであろう。
木々がすくすくと伸び、そしてその生長を層は妨げることはない。
緑と光。
朱に染まったこの街に、新たな色彩が誕生しつつあった。
それは、こちらの優位を証明するものではないか。
たん たたん たたたん たん
たん たたん たたたん たん
クレイは舞う。それは軽やかに。
足下など気にせず、思うがままに。
もはやハンナたちの姿は視界に入ってはいない。
身体は前に、目はアヤカシに、戦闘に集中していた。
この足場の強固さこそ、ハンナへの信頼の証。
そして聞くが良い。
鼓舞の歌が、更に身体を躍動させるのだ。
通りゃんせ通りゃんせ♪
ここはどの道 この道 大通り♪
着飾れ踊れば楽しかろ 笑え笑えばああ楽し♪
嘲る輩は粋じゃなし 我らの行く道嗚呼楽し♪
袖がすり合う通り道 これで貴方と多少の縁♪
クレイの足下から、蝶の群れが羽ばたいてく。
それは木々に休まりて羽根を休め、色彩を更に艶やかにしていく。
街は、朱から緑へと変わりつつあった。
腕が悶え苦しみ、木々と変わっていけば、蝶は木から木へと範囲を広げ、その羽根を伸ばしていく。
下層、街路はもう樹木に覆われうっそうとしていた。
木陰に休もうと思えば何処にだって休める。
紅い殺伐とした陽光は、木漏れ日となって色を失っていった。
代わりに鱗粉が灯となり、辻々を柔く輝かすのだ。
その明かりのなかで、楽隊の音色は優しく響く。
もはや周囲に、怪異の姿は無し。
下層は、人の世の在り方を取り戻しつつあった。
けらけらけらけらけらけら
アヤカシは嗤う。
街が変わろうとも。腕が力尽き倒れ落ちようとも。
世界が変わろうとも、此奴を染めることは出来ないのか。
行き交う蝶は、既にアヤカシの周りにも幾重に飛んでいる。
羽ばたき舞えば、鱗粉は等しくアヤカシにも降り注ぐのだ。
ぼしゅっ
腕がそうなったように、粉が降りかかった箇所から発火が始まった。
しかし変わらぬ。
アヤカシは変わらぬ。
けらけらけらけらけらけら
我が身が変わろうと、どうでも良いのであろうか。
口の端を吊り上げて、眼球の無い洞穴のような顔は何処を向いているのかとんとわからぬ。
だが一つ分かることは、確実にアヤカシとクレイの距離は、縮まってきているということだった。
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