第37話 けらけらおんな②

 ♪籠に囚われ ♪小鳥は鳴く

 ♪鳥はさえずり ♪鳴くことしか出来ぬ

 ♪籠の中から空を見上げれば ♪そこは満天 ♪星の海


 ゆらゆらと、夢遊病のように揺蕩うアヤカシ。

 その眼孔は何も捉えてはいない。

 眼球は無く、ただのその窪みから鮮血が滴り落ちるだけだ。


 ぽたり ぽたり ぽたぽたり


 地へと落ちた流血は、はねて飛んで広がり、血溜りを作る。

 零れ落ちた雫の量とは明らかに違う、大きな染みを作りあげていくのだ。

 そしてそれが、血溜りの中から、次々と盛り上がり天を突く。


 びゅる びゅるるるる


 吹き出物を潰したかのように勢いよく突き上がるのは、やはり腕だった。

 赤く、赤く、ひび割れ乾いた手だった。

 ケラケラと嗤うアヤカシと同じ、女性の手であった。

 屋根や窓、路地や辻から盛んに腕を振る、あれと同じであった。


 足下より雨後の筍のように伸びてくる腕をクレイは避ける。

 避けざまにたたっ切ると、それはあっさりとはじけちぎれた。

 地面に叩きつけられた腕は破砕し、赤い大輪の花を彩った。

 そしてそこから、更に数多くの腕が生まれ、伸び上がっていく。


 びゅるるるる びゅるるるる

 びゅる びゅるるるる


 イソギンチャクが異界で生まれたのならば、このような姿を取るのであろうか。

 肘も無く関節も無く、ゆらゆらと揺れながらこちらにむかって手を伸ばしてくる。

 赤い赤い徒花は、それはこの世界に相応しい華であった。


 伸びてくる手に絡まれてはかなわぬと、クレイはアヤカシを中心に旋回した。

 一定の距離を保ちながら、何処からか突破出来ぬかと行く末を捜す。

 そんなクレイの元に、歌が届いてくる。

 アヤカシでは無く、魔女の歌が。


 愛想笑いと罵られ♪ 器量好しと嗤われて♪

 誰にも貰われず♪ お茶引けば♪

 ごくり苦しの人の味♪

 郷里♪ 今日とて帰れはせぬ♪ ならばここが故郷よ♪

 姉よ妹よ♪ 近う寄れ♪ 獄吏来るしな♪ 人の世よ♪


 たん たたん たたたん たん

 たん たたん たたたん たん


 歌を耳にしたクレイの脚が、更に軽やかに踊る。

 高層とは思えぬ、地に足がついた動き。

 それは舞であった。

 身を嘲られ嗤われようとも、真っ直ぐ立って生きる、強き者の姿であった。


 白染めの服が、舞うたびに色を染めていく。

 紫に染まりて袖をひるがえしながら戦うその姿は、夜に舞う蝶のようであった。

 一つ舞廻るたびに、袖口からヒラヒラと蝶が辺りに舞う。

 アヤカシが腕を振るって米をばらまけば、従士が振るいて出ずるは艶やかな蝶。

 それぞれは淡い色合いの羽根を持てども、赤いこの世界に置いて、その色は激しく主張する濃さであった。


 蝶は羽ばたき飛んでいく。この朱に染まった街並みに。

 淡く輝く鱗粉が血溜りに降り注げば、それは振れた場所を沸騰させ、浄化させていくではないか。

 路地の数々にある血溜りは、沸騰する水のように水面を泡立たせ、たちまちに縮小していく。

 するとそこから手を伸ばしていた手はもがき苦しみ、干からびた腕で地を擦り力尽きていった。

 赤く染まっていた路地が、ポツリポツリと空白地を生みだしていき、徐々にではあるが街並みを取り戻していく。


 このまま根絶やしに出来るかと思うた矢先、手が蝶を掴み引きちぎらんと次々と伸びてくる。

 一掃出来たかと思われたが、屋根や窓から伸びてくる手は範囲を免れたらしい。


 ♪手を伸ばせば届きそうな距離 ♪星を掴めそうと錯覚するわ

 ♪でも届かない ♪掴めない

 ♪私に何が足りないというのかしら ♪欠片は私の手の中からこぼれ落ちる


 ドン! ドン! ドン!


 窓から伸びた手が、家屋の壁に突き刺さる。

 突き刺さった衝撃で腕がたわみ裂ける。

 ささくれた部分から新たな手が生え、別の方角へとすっ飛んでいく。

 格子状に広がり展開されたアヤカシの包囲網は、蝶の行動範囲を狭めていく。

 その蜘蛛の巣の上で軽やかに踊るアヤカシ。

 私は上。オマエラは下。

 そう言っているかのようであった。


 けらけらけらけらけらけら


 アヤカシは嗤う。それは何故か。

 網がさらにささくれ、下方向へと伸びる。

 蝶を追いつめ、捉え、無惨にも握りつぶした。


 けらけらけら けらけらけらけらけら


 眼前で繰り広げられる惨劇に、遊女たちの動きが止まる。

 だが、女館主はゆっくりではあるが、手を休めてはいなかった。

 そして気づいた。


「……こちらに目もくれていない?」


 伸びてくる手の数々は、少年と生みだした蝶を狙えども、こちらに対して一向に迫ってくる様子はなかった。

 そう、あれだけたくさんいるにもかかわらずだ。

 館主はハンナの方をみた。彼女は詠唱に集中している。

 自分たちを守ろうとして頑張っているのだろう。

 ハンナはここに来る前に言った。私たちを守ると。

 そしてこうも言っていた。アヤカシは襲っては来ないと。

 あの時は半信半疑であったが、実際にこうやって目の当たりにすると、言っていたことは本当だったと実感する。


 ハンナが作り出したドームはすっぽりと女将達を覆って外界からの脅威を防いでいた。

 仮にドームが無かったとしても、あの腕達は自分を標的にしないのではないか。

 そう思えてならない現状であった。

 館主にある考えが浮かんだ。それを話そうとハンナへと近づく。


「お嬢ちゃん、こちらに考えがあるんだけどね」


 女館主の皮を被った廓言葉を脱ぎ捨てて、素の会話で話しかける。

 そうするのは、多少なりとも歩み寄りたい意志の表れだ。


「な、なんですか?」


 突然口調を変えて話しかけられ、ハンナが戸惑いながらも返事した。

 それについては説明することなく、館主は続けた。


「お嬢ちゃんの言う通り、奴はアタシらに危害を加えては無さそうだ。そこで」

「そこで……?」

「そこでアンタの手助けをしようと思ってね、聞いてくれるかい?」

「なんでしょうか……?」


 ハンナの頭の中は疑問符が浮かんでいた。

 ハンナも無策だった訳ではない。館主たちをここへ連れてきたのはそれなりの訳がある。

 アヤカシに効果的な一打を加えるために彼女たちを連れてきたのであった。


 娼館に発生していた魔力の渦は、そこにある思念を吸収し、澱みとなって溜まっていた。

 これが今回のアヤカシの正体であると、ハンナは推測していた。

 アヤカシが発生しているにも関わらず、遊女達が犠牲になってなかったのは何故か。


 ハンナは衛兵に、犠牲者の身元を確認してくれるよう頼んでいた。

 すると、犠牲者は足繁く娼館に通っていたことがわかったのである。

 そして、次に襲われた男もやはりそうであった。


 このことからハンナは、アヤカシは娼館を出入りする男に焦点を当てていると推論付けていた。

 それを裏付けるように、今もアヤカシはクレイ目がけて躍起になっている。

 こうやってシールドを展開しているが、そこまで重厚にする必要はないと思われていた。


 アヤカシを形成する思念の中には、そこで働く遊女たちの意志が渦巻いているはず。

 ならば、そのアヤカシに対し遊女達の魔力を借りることで、力を削ぐことが出来ないか。

 ハンナはそう考えていたのであった。

 したがって助力を願ってはいたが、あまり深入りはしてくれなくても良いと考えていた。

 だからこうやって手助けしてくれるのは嬉しいが、不安でもある。


 しかし、好意を無碍にするわけにもいかない。

 ハンナは女将の考えを聞いてみることにした。

 館主は自信ありげにこう言ってのけた。。


「なあに、別段難しいことじゃないさ。アタシが奴の前に出て、気を惹きつける」

「ええ!?」


 これにハンナは驚いた。

 ハンナだけではない。周りの遊女たちも顔をあげてビックリしている。

 突拍子もない発言なのは明らかである。

 だが、館主は表情を変えなかった。


「聞こえなかったのかい? 奴の前に出るって言ってるんだよ」

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