第36話 けらけらおんな①
廟の前の通路は賑やかさを増していた。
遊女がそれぞれに楽器を持ち佇んでいる。
ここの館に所属している者は春を売るだけは無く、芸も売り物にしていた。
そのためそれなりの素養はある。
最も、独奏が主でこういった合奏は不慣れではあったが。
「これでようござんすか?」
自らも楽器を持ちながら、女館主が尋ねてくる。
「はい、大丈夫です」
「うちらは多少は覚えがありますけど、こういうのは初めてでありんす」
「構いません、館主さんが主導して演奏してください。皆さんはそれに合わせるという感じで」
ハンナは頷き、周りを見回した。
たとえたどたどしくても、みなで演奏するのが大事なのだ。
その合わさりがアヤカシを祓う鍵となる。
一同は不安な表情を浮かべている。
当然だ。
これから化け物の住処へ行きますと言われてまともな神経ではいられるはずもない。
剣も持ったことのない手弱女の集まりである。
だからハンナは精一杯励まそうとした。
「みなさんは私が守ります。離れないでください。皆さんが力を合わせてくれることでアヤカシを祓えます」
自分の力だけでは無理だ。あなた方の助力がいる。
そうハンナは励ました。
何度もそんな風に励ましていたら、ようやく遊女たちの顔が変わってくる。
「こんな小さい子が頑張ってるんだ。人肌脱がないとね」
「そうね。姉さん頑張らなきゃね」
恐れを完全に払拭出来たとは言えない。
だが、それなりの覚悟はして貰えたようだった。
あとはこの人たちを自分が守るばかりである。
再度、突入することを伝え準備に入った。
杖を掲げ、集中する。
ハンナを中心に光が広がり、廟室と通路に拡がっていく。
それが収束し、小さくなっていくと光は消えた。
そこには誰もいない。
ひっそりとした廟から、煙が上がっているだけであった。
・
・
・
夏の夕立のあとのような、ムッと肌にまとわりつく感覚。
それは明らかに、先ほどいた場所とは違うとわからせてくれた。
「ここは……?」
辺りを見回す遊女たちは、空を見て息を呑んだ。
雲ひとつ無い空、と聞けば人は青々とした空を思い浮かべるだろう。
否。
赤。
一面の赤。
血で染めたかのような真っ赤な空は、煌々と輝いていた。
その下に立ち並ぶ住居は、確かに自分たちが住んでいる街並みだ。
だが知らない。
窓から、戸口から、壁や屋根の隙間から。
空に向かって手を伸ばす腕を彼女達は知らない。
ブンブンと狂ったように振るう腕は手先から何かを投げていた。
これもまた血で染めたかのような真っ赤な米であった。
パラパラと降り注ぐそれはまるで雨。
光のドームに包まれたハンナたちに降り注ぐ。
ライスシャワーは、ハンナ達を狙って振りまかれている訳ではない。
見渡せばあちらこちらに、おそらく街中で振りまかれているのであろう。
その異様な光景に、誰のものともつかぬ短いため息が聞こえた。
「ねえ、何か聞こえない?」
降り注ぐライスシャワーのはね返り音とは別に、どこからか何か聞こえてくる。
それは歌だ。朗らかに歌う女性の声。
だがそれは、この光景にはいささか不釣り合いであった。
それが余計に、薄気味悪さを引き立たせる。
♪ここよ ♪ここよ ♪私はここにいるわ
♪幸せに包まれて ♪空に浮かんで ♪夢心地に
♪だってあなたと一緒になれるんですもの ♪夢じゃ無くてなんなのかしら?
赤い空に響き渡る声に耳を澄ませば、それは近づいてくる。
ハンナたちの元へと近づいてくる。
恐れが、さざ波のように立つのが分かった。
「クレイ」
「ああ」
ハンナがクレイを見た。クレイが頷く。
杖を振れば生み出される光円。
それが次々と宙へと浮かべば、クレイはそれを蹴って上昇していく。
二人はもう知っているのだ。
声の主が何なのかを。
空を、壁を蹴って上っていく少年の背を、他の者たちは見つめる。
クレイの姿はもう人形くらいの大きさに見えるくらいに小さくなっていた。
その姿に何者かが近づいてくる。
屋根から屋根。壁から壁。
縦横に張られる糸を伝って、何者かがやってくる。
♪ここよ ♪ここよ ♪見えるでしょう? ♪私はここにいるわ
♪さあ手に取って ♪抱きしめて感じさせて
♪ずっとずっと ♪待っていたのずっとの間
♪忘れるくらいに抱きしめて ♪感じさせて
それはアヤカシであった。
女の格好をした異形のモノ。
ボロボロの服を纏って、目から血の涙を流しながら
身体のあちこちから血を滴り落としながら。
彼女はケラケラと嗤う。
それは何に対してであろうか。
「怯えるんじゃないよ!」
一つ声を上げれば萎えてしまうのではないかと思われた空気の中、館主は声を張り上げた。
ここでは自分が一番の年長である。
その自分が臆してしまえば、恐怖は伝染してしまう。
そうなれば、混乱を収めるのは若き魔女には難しくなるだろう。
だから館主は率先して声を張り上げた。
遊女達を、少女を鼓舞する声を。
身に寄せた弦楽器に指を這わせ、力一杯に鳴り響かせる。
自らの恐怖をかき消すためにだ。
館主の姿を見せられ、遊女達も次々に演奏に手をつけ始める。
二人三人の伴奏はしたことはあるが、これほど大勢の合奏はしたことはない。
だから所々合わない部分も出てくる。
それでも、足りない部分を補おうと、相手に合わせようと女たちは心を通わせた。
やがて、ちぐはぐではあるが、音が揃いはじめてくる。
それは曲となり、辺りを震わせた。
この真っ赤な世界で、自分たちを主張するようにだ。
ハンナは感謝した。女性陣の健闘を。
戦の心得の無い者がこの異世界に足を踏みいれば、狼狽してしまうのが当然だ。
だが彼女達は、退くことなくこの場に留まり続けている。
それがハンナにはありがたかった。
今回のアヤカシとの一戦。
それには娼館の人たちとの協力が不可欠と考えていたからだ。
ハンナとクレイでは埋めることの出来ない欠片。
それを彼女たちが持っているからであると考えていた。
必要な駒は揃った。あとは自分が、勝利へと導く。
女性達が鳴り響かせる曲に身を委ね、心を研ぎ澄ませる。
頭に情景が浮かび、自然と口が動いた。
花が開けば♪ 蝶よ寄り添う♪
口を開けば♪ 貴方寄り添う♪
苦楽零せど 腹は満たせぬ♪
ささよ寄りましょ♪ 近う寄れ♪
ハンナの口から出たのは、人生を楽しもうとする歌であった。
この世には辛いことは当然ある。だが過去のことは思わず今を楽しもう。
そんな歌である。
歌は空へと昇り、クレイの耳元へと。
それを聞いたクレイの身体が優雅に動き出す。
まるで客に舞を披露する芸妓のように、クレイの身体は軽やかに空を駆けた。
行き先は当然、アヤカシへとである。
少年が一足を飛べばその距離はぐんぐんと詰まる。
手と手が触れあう距離まで近づくのはすぐと思われた。
だが。
アヤカシが身悶えをする。
それは喜びか。
はたまた、拒絶か。
口にへばりついた笑みを崩さずに、アヤカシは嗤う。
けらけらけらけらけらけら
聞く者全てが何事かと振り向き、眉を顰めずにはいられない不協和音。
笑いという行為は、これほど人を不快にさせるものなのか。
哄笑が、クレイと、ハンナと、館主たちに降り注ぐ。
その嫌味にビクリと、遊女が身体を震わせた。
「聞くんじゃないよ! 集中おし!」
館主の声に救われ、遊女の手が再び動く。
上を見上げず手元に集中し、仲間と共に伴奏を続けるのだ。
ハンナの声は、そんな遊女たちの背中を後押しした。
少年と少女は、臆さずに化け物と対峙しようとしている。
ならば自分たち大人たちが、頑張らなければ。
歌が勇気を鼓舞し、そして力づけられた演奏がハンナの歌を押し上げる。
その歌に押され、クレイはアヤカシと肉薄しようとしていた。
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