第35話 説得
館主と遊女たちは顔を見あわせた。
そして、館主が彼女達の不安を代弁するように答える。
「魔女様、ここにいる娘達はみんな可愛い子たちでありんす。傷物にされるようなことは御免でございますな」
自分たちは案内しただけ。そのあとのことは関わりたくない。
そういった態度がありありと見えた。
「そのようなことはありません、私が守ります。それに、アヤカシは貴方がたに危害を加えるようなことはないでしょう」
ハンナはそう言って、協力をお願いする。
「なんでそう思うのさ」
そこでようやくクレイが声をかけた。
彼にとっても不思議だったからだ。
あの時、アヤカシは人を襲っていた。だから自分たちが割って入ったのだ。
それを、襲わないとはどういうことだろうか。
「アヤカシはここに関係あるからよ」
ハンナは居並ぶ人たちにそう言い切った。
「それは、アヤカシがうちらの中に潜んでいるということでありんすか?」
アヤカシが人に化けているのか。女将はそう思い尋ねる。
ハンナは首を振って否定した。
「いいえ、それも違います。ですが、アヤカシは元は人です。人の想念というべきでしょうか。その思念に縛られるならば、あなたたちに危害を加えることはないでしょう」
そして、とクレイのほうを見つめた。
「危害を加えられるべきは、クレイ」
「僕?」
「ええ、アヤカシは女性を襲わない。襲うのは男性。今ここで襲われるとしたら唯一、クレイだけよ」
ハンナはここに来て確証を深めていた。
あのアヤカシが襲うのは男性のみであると。
ここにいる女性たちは襲われることはないと確信していた。
アヤカシの正体。それはこの廟に渦巻く想念だとハンナは推測していた。
想念の元は遊女であるならば、その仲間である者を襲うということは低い。
考えられるならば、自らをここに押し込めた、あるいは弄んだ者に恨みがゆくであろう。
天井の格子口を見上げる。
おそらく煙がこもらないようにと設置されたのであろう。
ハンナは、異世界の出来事を思い出す。
アヤカシは地でなく、空からやってきた。
それを象ったのは、この造りが遠因か。
「アヤカシは人に化けてなどいません。元は人であったと言うべきでしょう。その想念が渦巻き、思いを遂げようとしているのです」
元は人。
言葉を選んだつもりだが、館主には気に入らなかったようだ。
眉がいささか角度を変えた。
「確かにうちらは陽を堂々と歩けはいたしませんでしょう。しかし、お天道様に顔を向けられぬことは何ひとつやってはおりませぬ」
「それはわかってはいます」
ハンナとて、彼女たちの仕事を批判するつもりなどない。
今訴えたいのはこの廟がアヤカシの巣となっていることだ。
しかし詳細に話したとて、信用はしては貰えまい。
ハンナ達はこの街に来て一月も経ってはいない。
余所者の言うことに目くじらを立てるのは当然であろう。
だが、ハンナは知らせたかった。
アヤカシの脅威を。この廟の移設を。
ここで口論になっても、一切の理はない。
せっかくここまで入れたのだ。
今叩き出されてしまっては、心象が悪くなって次はいつになれるかわからない。
どうしたものかと悩むハンナであったが、思い出す。
それは宿で呼んでいた書物、魔女と従士の話であった。
彼女達も見知らぬ地で、地元の人間と協力してアヤカシと対決しようとしていた。
助力を仰ぎ、それに感化されて網元は周りを説き伏せた。
ならば、とハンナは考える。
この状況も同じではないのかと。
渋る人々を説得し、アヤカシと一戦交えるのは、同じではないかと。
そして、失念していたことも。
「あ……」
「なにか?」
呟くハンナに女将は尋ねてくる。
なので思い出したことをそのまま返すことにした。
「そもそも私たちが衛兵と一緒に伺ったのも、被害者がいたからなのです」
「被害者、でありんすか? 前も言いましたうちらは何も……」
「ええ、あなた方は被害はないのでしょう。犠牲にあったのはここに来た客なのですから」
衛兵の詰所にて、犠牲者の身元が判明した。
すると分かったのだ。男は娼館に立ち寄っていたことが。
あの襲われている男にも話を聞いた。
案の定、娼館の帰りに襲われたのだという。
襲われたという点と点が繋ぎ合わされ、線となった。
あとは娼館がある地域へと赴き、アヤカシを感知すればいい。
そうハンナは衛兵に説明し、ここまでやってきたのだった。
特定出来れば、すぐにでも飛び込めるよう用意をして。
なのでハンナは、そこから説得することにした。
客が次々と襲われる娼館。
そのような噂が立てばどうなるのかと。
勿論、最初は女将のように気にしない人々がせいぜいだ。
だが一人、また一人と犠牲者が増えていけばどうなるか。
客足が遠のいても、そこにいる者たちは飯を食っていかねばならぬのだ。
「何も無いと、追い返すのは結構でしょう。しかしそのあと犠牲者が出れば厄介なことになります」
はあ、と館主がため息をつく。
その表情には呆れの文字が浮かぶ。
「まるで脅迫でござんすなぁ……」
「そう受け取って貰えても構いません。ですがこれだけは信じて欲しいのです」
向き直り、ハンナが礼をする。
「私たちはアヤカシを祓いに来ました。ですのでどうか、協力をお願いできませんか」
館主は深々と下げるハンナの頭を見つめている。
それがどのくらいの時であったろうか。
五秒、十秒、それからも続くと思われた。
「ようがす。うちらは協力致します」
「ありがとうございます」
「ただし」
頭をあげたハンナに女将はつけ加えた。
「うちらが決して傷つかぬよう約束出来ますか。もし出来なければ……」
上から下まで眺め、女将は告げる。
「魔女様は当館で奉公してもらうことになりまする。器量は良しでござんすから、補償金はすぐに積めるでありんすなあ」
「それは!」
これにはクレイが声をあげた。冗談では無い。
旅は危険と承知している。だが、これはそういうのとは違う。
クレイの頭にフレイとストゥンの顔が浮かんだ。
傷物になってしまったとしれば、二人はどれほど悲しむだろうか。
割って入ろうとしてくるクレイを、ハンナはなだめた。
「大丈夫よ」
「大丈夫じゃないよ、ハンナにそういうことはさせたくない」
「あら、最初から負けるって考えてるの?」
「そういう訳じゃないけど……」
別に負けるとは考えてはいない。
だが、こちらが防ぐにしても数というものがある。
自分一人ならハンナを何としても守れるが、他はそう出来る余裕は無い。
彼女以外を守れる余裕など自分には無いのだ。
「クレイはアヤカシを倒すことだけに専念して」
ハンナはそう言って笑った。
「いつも通り、私が貴方を導くわ」
従士と魔女は、互いに無くてはならない存在である。
アヤカシを前にしてクレイは剣を振るう。そして魔女は後方にへと控える。
互いの関係性を知らぬ者は、従士を盾にしていると思うかもしれない。
だが、それは違うのだ。
魔法の行使には、集中と詠唱が必要なのである。
簡単な魔法であれば少しの集中ですむのだが、アヤカシ相手だとそうはいかない。
多くの身振りと口上を目の前の敵が見逃してくれるはずがない。
そこで過去の魔法使いは考える。
一人で行なうから負担が大きくなるのだ、と。
発動を複数で行ない、より広範囲へと、より強固な魔法へと。
それは体系立ち、洗練され、一つの流派を生みだした。
一人が詠唱と発動を受け持ち、一人が持続と対象を受け持つのだ。
一人で魔法を使えぬ輩を、魔法使いと呼ぶことは出来ない。
そういって魔術師たちは嘲笑った。
だからその者達は自戒をこめて自らをこう呼んだ。
そ
魔女、と。そして、それを支える者を従士と。
嗤えば嗤えと、魔女たちはその力を人々のためにへと使った。
今の地位は、過去の魔女達があってこそである。
だからハンナは、実行に移すのだ。
「この人たちは私が守る。だからクレイは、目の前に集中して」
「ハンナ……」
彼女の目に、それ以上クレイは何も言えなかった。
「ヤバくなったら逃げるよ、それでいい?」
「ええ、いいわ」
決心はついた。
振り返って館主に告げる。
「その条件で結構です。協力、お願いします」
「なんだか焼けるでありんすなあ」
女将がため息をつく。
それは呆れではなく、微笑ましさの現れだ。
「条件を呑まれましたら、こちらも覚悟するしかありませんなぁ。皆様がた、気張っていきましょうや」
女将は居並ぶ遊女たちを見据えた。
その目に射すくめられ、全員の気が引き締まる。
「はい!」
「ええ声や、それでは魔女様、従士様、うちらをよろしくお願いするでありんす」
「わかりました。ありがとうございます」
身柄を託されたハンナの目には、強い意志が灯っていた。
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