第34話 霊廟

 娼館の中へと案内され、ハンナとクレイは奥へと進む。

 ハンナは館主に行きたい場所を伝え、そこへと連れて貰おうとしていた。

 魔女の嗅覚がアヤカシの臭いを感じている。

 ここに怪異の原因が有るに違いないとハンナは確信していた。

 だから館主との受け答えにも堂々足るものであったが、その一方でクレイは居心地の悪さを感じていた。


 無理も無い。

 ここは子供が来るような場所ではないからだ。


 ときおりすれ違う遊女と客は、闖入者を物珍しそうに顔を向けてくる。

 その視線が少年の心をざわつかせ、穏やかならぬ気持ちにさせていた。

 別にやましい気持ちがあるわけではない。

 いや、ここに来るということはやましい気持ちでいいのか?


 ハンナと館主の跡をついていくクレイ。

 その背中に視線が突き刺さってくるのをまじまじと感じるのだ。

 衛兵達は外で待っててくれているが、運んできた荷物は代わりに脚が生える訳でも無い。

 だから遊女たちが衛兵の代わりとなって運んでくれている。

 それはありがたいのだが、そのせいで一行のなかで男はクレイ一人のみ。

 なんという居心地の悪さ。

 クレイははやく解決して、ここから逃げだしたかったのである。


「ねえ、あの子なんであんな格好してるの?」

「さあ~? でも可愛いから良いじゃない」

「わかるぅー。なんか持ち帰って飼いたいくらいだねー」


 あはははははっ!


 女三人寄れば姦しいとの言葉がある。

 それより多ければ尚のこと、口喧しさは際立つのであろう。

 自分を肴に楽しんでいるのは、なんともこそばゆい。

 少年にとって、歩を進める時間が何倍にも感じられていた。


「ねえ、ハンナ。まだつかないのかい?」


 ひょっとしたら、まだ中に入って何分も経ってないのかもしれない。

 だがクレイにとって永劫にも感じられたこの時間は、ハンナに急かす言葉を投げかけるのに充分であった。


「もうすぐよ」

「さっきからそればっかりじゃない?」

「クレイこそさっきからすぐそればっかりじゃない?」


 二人のやりとりに、物珍しそうな視線があちこちから入る。

 女将が振り向いてようやく、その絡まる視線はほどかれた。


「行き先はもうすぐでござんすけど、魔女様が望むものはないと思うでありんすが」


 ハンナに行きたい場所があると乞われて案内している館主であったが、そこにはたいした物は無いという口ぶりである。

 余所の者がなぜそこに行きたいと思うのか不思議という顔をしている。

 その場所へと着き、女将が手をひろげ示した。


「つきましたでありんす。ここが廟でござんすよ」


 部屋に入る戸の前で立ち止まり、そこから中に入るような真似はしない。

 その身体の隙間から、クレイは中をうかがった。


 廟とは何かを祀る施設である。

 娼館に有ればそれは、亡くなった遊女たちを偲ぶための霊廟であった。

 部屋自体はそんなに広くはない。

 人二人ほどの大きさの戸を開けば、六畳くらいの広さがある。

 奥に祭壇があり、左右と奥の壁には花を模した細工が施されて、壇には何かが捧げられていた。

 四方の角を陣取るように一抱えほどの壺がそれぞれ備えられており、その中から煙が立っていた。

 おそらく香炉の役目も果たしているのだろう。

 壺のなかで香を焚くのは、線香が倒れて火災にならぬようにとの配慮なのかもしれない。

 館主が戸を開けてくれた時、中からうっすらと煙が通路へと立ちこめ、ゆらゆらと床を張って天井へと手を伸ばす。

 その空気に、クレイのみならず遊女たちも口をつぐんだ。

 ここがどういう場所なのか、彼女たちもわかっているのだろう。


「失礼します」


 部屋に入る前に一礼してからハンナが部屋に入った。

 クレイは部屋前の通路で待つ。

 ハンナは廟をみつめ、そして深呼吸した。

 廟を前にして静謐な空気を感じているのだろう。他の人々はそう感じた。

 だが、ハンナ自身は違った。

 臭うのだ。

 幾ら香を焚きこんでも隠せぬ、アヤカシの臭いというものを。


 ハンナは廟に捧げられた物を見た。

 それは竹簡であった。竹を割って板を作り、それに紐を通して巻物状にする。

 竹が自生している地域では珍しくない道具である。

 紙は普及しつつあるが、儀礼用にと好まれる例もあるのだ。


 壺を窺えば、底には燃えカスが溜まっている。

 おそらくこの中で、香薬と一緒に竹簡もくべていると想像がついた。

 改めて壇をみれば。丸めた竹簡は一本の紐で締められていた。

 否。それは紐ではない。

 黒く束ねられた細い線。

 髪だ。

 髪によって結ばれた竹簡が、壇上には幾つもあった。


「すいません。あの竹簡を解いてもいいですか?」


 ハンナの言葉に館主は眉を顰める。無理も無い。

 ハンナが今言った行為は、他人の墓を暴くような物である。


「……それは、アヤカシ退治に必要なことでありんすか?」


 不快感を露わにした声。それは衛兵と口論していた時の感触と同じ。

 この街に最初来たときのハンナなら、物怖じして気圧されていただろう。

 だが、ここに来てちょっぴり成長した彼女の足跡が、前に進むことを臨んだ。


「はい、アヤカシを少しでも理解することに必要なんです。何も知らないでいたら祓えもしませんので」


 真っ直ぐ視線を受け止め、真っ直ぐに答える。

 その目に、迷いはなかった。


 正直、館主は侮っていた。

 最初は衛兵の言いがかりか何かだと思っていたくらいだ。

 魔女と従士といえば聞こえは良いものの、相手は子供である。

 中に入って適当に案内すれば、その気持ちもおさまると思っていた。

 だが少女は廟を見たいといい、そして今度は供え物を確認したいという。

 子供のままごとで終わらせるには度が過ぎていた。

 だから少し圧をかけた。悪戯ならば、叱られた子供のように大人しくなるだろう。

 館主はそう考えたのだ。


 だが、少女は堪えることなく物申している。

 そこには好奇心とは違う何かを感じた。

 この娘の言うことが本当なら、その化け物とやらは実在するのであろうか。

 この娼館内で男女のいざこざはあっても、そういった妖の類はこのかた聞いたことが無かった。

 最近ばかりではない。ずっとずっと、前からである。

 だから館主はいまいち懐疑的だったのである。


「わかったでありんす」


 負けた、と言わんばかりに大きく息をつき、館主は了承した。

 あまり荒らすことの無いようにつけ加えてだ。

 少なくとも、少女は自分たちを騙そうとはしていない。

 ならば好きなようにさせても悪いほうには転がらないだろう。


「ありがとうございます」


 許可を得られたことに感謝しつつ、ハンナは竹簡に手を伸ばした。

 しゅるり。

 紐を解いて拝見すると文字の羅列が止まる。

 それは名前だ。

 節の隙間を埋めるようにひしめきあうその文字は、女性の名前。

 名前と没年、そして享年。

 これは名簿だ。

 ここで働き、外に出ることが適わなかった者たちの、名簿だったのだ。

 ハンナは結わえられていた紐を撫で、感触を確かめた。

 先が分かれ痛んだ髪の質は、持ち主の苦労を偲ばせた。


「女一つ。それぐらいしか残す物は無いでありんす」


 髪の束を見つめて、館主は複雑な表情を見せている。

 ハンナはここの施設を良くは知らない。

 だが、身体を張って商売する場所とは存じている。

 そこには、数多くの人生があったのだろう。

 足抜け出来た者も勿論いるだろう。

 だが。


 ハンナは手元をじっと見つめた。

 個々の事情は分からない。名簿にあるということはそういうことである。

 春を売る場所に、人生の冬である墓はふさわしくないのだ。

 こうやってただ、故人を悼む廟を造るばかりである。


「骨も何も、残ってないのですか」

「所詮うちらは日陰者。たくす者が無ければ塵でありんす」


 だから、せめてもの証と、こうやって竹簡に結わえられているのであろう。

 ハンナは、何も喋らなかった。

 館主も、遊女たちも、クレイも。

 沈黙は黙祷となって、かつての者への捧げ物となった。


 どれだけの時が経ったであろう。

 ゆっくりと面を上げ、そしてしっかりした声でハンナは告げた。


「理解出来ました。これより、異世界へと突入します。どうか手伝ってください」

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