第31話 脱出

「おい、しっかりしろ!」


 衛兵は狼狽する男を取り押さえ、落ち着かせようとしていた。

 揉め事が起こった時は、腕章を見れば大抵は大人しくなるのだが場合が場合である。

 男は衛兵から離れようと必死であった。

 別に危害を加えるつもりは無い。発見したときに既に剣は収めている。

 なのにこの暴れっぷり。

 よほど狼狽えているようであった。


「やむを得んな」


 こうなれば少々手荒な真似をするほかあるまい。

 衛兵は暴れる男の腕を持つと捻り上げ、関節を極めて押さえつけた。


「痛てててて!」

「お前が暴れるからだ。いいか良く聞け、俺たちは味方だ」

「み、みかた……?」

「そうだ、助けに来た。お前のほかに誰かいるか? ここにいるのはお前だけか?」

「いや、いや、俺だけだ! 帰るだけだったのになんでこんなところに」

「ふう、ようやく話を聞いてくれる気になったな」


 会話が出来る状態になったので、カイは男を解放した。

 腕をさすりながら男はこちらを見てくる。

 まだ半信半疑なのだろう。


「お前もこの街に住んでいるならこの腕章に見覚えがあるだろう。俺は街の警備を担当している者だ。お前の名前は?」

「ジ、ジン」

「そうか。ジン、俺についてこい。ここから逃げるぞ」

「逃げられるのか!?」


 男の声に明るさが増す。

 どのくらい追いかけっこをしていたのか分からないが、ようやく希望が持てたのだろう。

 それが顔にも表れている。

 感情を抑えきれないのかあれこれと話しかけてくるが、衛兵はそれを無視して走った。


「魔女殿、無事確保出来ました」


 合流し報告すると、ハンナは上を見上げていた。

 頭上では従士とアヤカシの戦いが繰り広げられている。

 魔女は詠唱を中断すると、手短に伝えてきた。


「ありがとう。離れないで」


 再び詠唱に戻るハンナ。

 杖から光が滲み出るとそれは球になり、次々と飛翔してクレイのもとへと走る。


「おい、ここから逃げるんじゃないのかよ!?」


 男からすれば何故ここに留まるのか不思議なのだろう。

 声を荒げるが、それを衛兵は制止する。


「ああ、逃げる。だがな、今はここにいた方が安全だ」

「どういうことだよ!」

「お前、空は飛べるか?」

「はあ? 何言ってやがる!」

「俺は飛べん」

「当たり前だろうが!」


 それじゃあ見ろと、衛兵ははるか頭上を指さした。

 男はそれを見上げると、あんぐりと口をあけた。


「どうなってやがる、あのバケモンは……それに、あのガキは?」


 追いかけられていた時のことを思い出していたのだろう。

 男の眉間に皺が寄る。

 だが、それと戦う少年の方にも興味が湧いたようだった。


「口を慎め。アレと戦っているのは従士殿だ。そしてここにおられるのが魔女殿だ」

「魔女と従士……こんなガキが?」


 舐めた口をきいた男の面が衛兵によって歪み、そのような言葉は聞こえなくなる。

 男は頬をさすりながらハンナを見た。

 確かに魔女を示す三角帽子を被っているが、それ以外は子供である。

 魔女というものはもっと年上と思っていたのに。

 それに頭上で戦う従士。それもまだ若かった。


 街から街へと旅する魔女と従士。

 その二人連れを見るのは男はこれが初めてでは無い。

 この二人はまだ幼いように思えたのだ。

 だがそんな感情も、次第に薄れていく。

 少年はあの化物に果敢に立ち向かっているし、どうやら少女はそれを支援しているようだった。

 正直、逃げてばかりでいた自分とは度胸も何もかもが違う。

 考えを改め大人しくなった男は、今度は静かに尋ねた。


「それで衛兵さん、俺たちはどうすれば良いので?」


 男の視線は衛兵と同じく、ハンナに向けられている。

 その視線を伝って衛兵は振り向いた。


「魔女殿と従士殿が奴を撃退するまで待て。大人しくしていろ」


 わかっていた答えではあったが、やはりすぐには逃げられないらしい。

 とはいえ、一人で逃げる勇気もない。

 護衛がついたことによって余裕が生まれた男は、アヤカシとクレイに視線を送った。


 夜歩いていると、いつの間にかアイツに追いかけられていた。

 それも綱渡りみたいに、紐のような物を渡ってきてである。

 腰を抜かさんばかりに驚き逃げたが、いつの間にか知っている場所では無いときた。

 こうやって肺で息が出来るのも、この人たちのおかげである。

 だから今は黙って、行く末を見守ることにした。


 頭上遠く、アヤカシの髪が大きく伸び上がる。

 それは螺旋を描き、まるで天を目指す竜のようでもあった。

 天を突いたその先から、バラバラ、またバラバラと何か振ってくる。


 赤い雨。


 ぬらぬらとテカるそれは地に落ちるや泡立ち範囲を広げていくではないか。


「うへぁ……」


 酷く嫌そうに呟き、軒下へと男は避難する。

 無理もない。

 衛兵も他に人が居なかったら悲鳴をあげているところである。

 では魔女は?


 見れば魔女は動じず、何事かを呟いている。

 怪異の雨にうたれながらも、一切動くこと無く集中していた。


 にわか夕立降りかかる♪ ニカワゆらゆらべっとりと♪

 おいらの安物朱に染まる♪ どうだ見てくれ一張羅♪

 汚れほつれも目立たぬ染め上げ♪ 流石街の職人様♪

 ここらで気取って傘でもさせば♪ おいらはダンディ貴族様♪


 ハンナを中心にドーム状の半円が展開された。

 それは白く輝き、雨を防ぐ役割となって三人を守った。


「うへあ……」


 男が中心であるハンナの元へと駆け寄ってくる。

 こっちの方が安全だと思ったのだろう。

 無理もない。

 雨溜まりの中から今度は手が伸びてきて、ドームをバンバンと叩いてくるからだ。

 衛兵も眉をひそめた。

 地獄絵図。

 離れないで、と言われた意味が身に染みる。

 魔女の護衛としているが、このような状況に対応出来るスキルは自分にはない。

 せいぜい邪魔にならないよう大人しくしているくらいである。

 ちらりとこちらを確認したハンナ。


「一旦逃げましょう」


 そう二人に声をかけ、頭上で戦う一人と一匹を見た。


「そうですね! そうしましょう!」


 そうハンナに叫ぶ男の声は明るい。

 ようやくここから逃げられることに希望が湧いたのであろう。

 だが、ここからどうするか。

 ドームの外は外殻を破らんと赤い手が蠢いているし、従士は高台に一人。

 一緒に逃げるにしても距離が遠い。


 いったい魔女はどうするつもりか。

 それが気になり衛兵がハンナの方を見ると、彼女が持っている杖が輝きを増していた。

 フワフワと綿毛のような物がまとわりつき、まるでわたあめのようだった。

 少し杖を動かせば、それはひとりでに浮き上がり、風もないのにふわりと空へ高く舞い上がっていく。

 その行方を追うように衛兵は見つめていた。


 一方、クレイはハンナたちの居場所を探していた。

 赤い視界の中にぽっかりと、円が見つかる。

 そのおかげで、彼女たちがどこに居るかわかった。

 すでに高所のあちこちにも腕は生え、その範囲を広げようとしている。

 街が赤く染まり、そのまっただ中でアヤカシは嗤っているのだ。

 その寄せる手の数々から逃げ惑い、クレイは考える。


 退くべきか、押すべきか。


 それを指し示す歌は聞こえてこない。

 ならば自分の裁量でいくべきなのだろうか。

 考えあぐねるクレイだったが、その元へ綿毛が飛んできた。


 一目見て、それがハンナが生みだした物だとクレイにはわかった。

 赤く染まるこの世界において、それは柔らかく輝いていたからだ。

 ふわりふわりと近づき、包み込むように拡がるが、クレイは抵抗しなかった。

 全身を毛が覆う。

 伸びてくる手が掴もうとすると、静電気のように火花が起こり、それを弾いた。

 いわば魔法の鎧である。


「退きましょう」


 綿毛の中からハンナの言葉が聞こえ、クレイは頷いた。

 そうと決まれば話は早い。

 光輪の足場を蹴りながら、クレイは一目散に逃走した。

 タンタンと軽やかに蹴って、ハンナのいる半円の方へと。

 アヤカシが生み出す異形をぶち破り、クレイはドームの中へと吸収された。

 あいかわらず、手は入ってはこれない。


「ハンナ、来たよ」

「ええ、逃げましょう」


 ハンナが掲げた杖で地面を叩く。ドームの輝く強さが増していく。

 眩しくて目を開けてはおられず、思わず目をつぶってしまう。

 瞼の先で、光が薄れる感覚がした。

 次に目を開けてみれば、闇。夜の闇。

 あの静かな街の夜。そこにへと戻っていた。


「や、やったあああああ!」


 夜にもかかわらず、男が絶叫する。

 いずれ何事かと人がやってくるかもしれない。

 一同は、その場をとりあえず離れることにした。

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