第32話 一戦終えたあとで

「疲れた……」


 ハンナとクレイは今、魔女の大釜にいる。

 大の字になってクレイはベッドで横になっていた。

 夜通し歩いたせいで、無理も無い。

 部屋につくなり着替えるのももどかしく、ベッドへと倒れるのも当然と言えよう。


「ハンナは? 疲れなかった?」


 首を横に倒すと、ハンナは椅子に座ってまだ眠る様子ではない。

 彼女もそれなりに疲れただろうに、意外と体力はあるのかもしれない。

 静かに腰掛けていたハンナが目を開く。


「疲れたわよ。だからこうやって気を落ち着かせているの」

「僕には座っているようにしか見えなかったよ」

「これは瞑想していたの。さっきで結構魔力を使ったからね」


 疲れた時、人々は自然と横になって休む。

 それは体力を回復させるのに必要だからだ。

 同じように魔力を回復させるにも休息は必要なのだが、ただ休むだけでは足りない。

 なぜなら魔女は人より魔力量が多いからだ。

 人と同じように回復しても、多量に消費した魔力が全快するのには時間がかかる。

 だから魔女は、瞑想によって回復を速めるのだ。

 ハンナによれば熟練した魔女は眠るのと同じ、あるいはそれ以上の急速回復法を身につけているのだという。


「ハンナはまだそこまでじゃないんだ」

「ええ。それにただ瞑想しても駄目なのよ」


 瞑想は水筒に水を入れるようなものらしい。

 水筒を人、水を魔力とする。

 水筒には水は入れるだけ入れるが、入れすぎても溢れてしまう。

 そのまま入れ続けても、容量いっぱいまでしか入らない。

 それと同じく、瞑想を続けても当人の魔力量以上には回復しない。

 無理にいれようとすれば、当人にも負担となるのだ。

 ただ目を瞑っているように見えるが、実は意外と難しい技術なのだ。


 異世界から脱出したあと、衛兵と男は詰所へと向かった。

 アヤカシと出会った時のことを調べるためだ。

 色々と聞きたいこともあるが、それは衛兵に任せることにしよう。

 そう考えた二人はそこで別れ、こうやって宿で休息をとっているというわけであった。


 ごろんと横になってクレイは考える。

 アヤカシの姿。アヤカシの世界。

 それは山で出会ったモノとは同じとは言えなかった。

 場所が違えばアヤカシも違う。

 改めてアヤカシとは、よく分からないモノだと思った。

 だが、分からなかったからといって、戦わないわけではない。

 この街に居る以上、いつか決着をつけなくてはいけないだろう。


「ねえ、ハンナ」


 ごろんとうつ伏せになり、彼女の方を見た。


「なあに?」


 声をかけられてハンナがこちらを見る。

 その表情には、恐れとか焦りとかいった気持ちは感じない。

 いつも通りといった顔である。


「さっきは逃げちゃったけど、あれは良くなかったのかな」


 異世界、奴の懐にへと飛び込んだのに逃げる結果となってしまった。

 せっかくの機会を不意にしてしまったのである。

 そこが惜しいと、クレイは思っていたのだ。

 またアヤカシを探さなければならない、一手間が増えてしまった。


「いえ、他に人もいたし、一旦逃げるのは悪くなかったわ」


 そう答えるハンナの顔は、クレイとは対照的であった。


「私とクレイだけなら応戦しても良かったけど、あのままだと庇いながら戦う羽目になってたと思うわ」


 確かにそうである。

 あそこには衛兵と、巻きこまれた男がいた。

 クレイかハンナか。

 どちらにせよ、彼らを守りながら戦わねばならなかっただろう。

 あのアヤカシの底が見えない以上、全力を出せずにいるのはかなりまずい。

 そう考えるとやはり、ハンナの言う通り退いたのは正解かもしれない。

 それでも尚、逃した魚は大きいのだ。

 クレイは肩で大きくため息をついた。


「残念そうね」

「そりゃそうだよ。敵から背を向けたんだから」

「男らしくないとでも言うつもり?」

「いいや違うね。従士らしくない」


 ストゥンならこういう時どうしただろうか。

 従士として剣を振るう時、クレイの頭にはそんな思いがいつもよぎる。

 これで良かったのだろうか。他に良い行動は無かったのだろうか。

 自分はいまだ経験が少ない少年の身である。

 しかし、より良い従士になりたいという思いは、誰にも負けてないつもりである。

 無様な真似はしたくないのだ。

 今はただ、ハンナを守ってやってくれというストゥンの言葉を思い出し、自分を無理矢理納得させるだけだ。

 こうやって二人一緒に宿にいる。無事でいる。あの衛兵も男も、無事でいる。

 これで良かったのだ。クレイはそう思いこむことにした。


 内心穏やかでないクレイであったが、ハンナは落ち着いて見える。

 悔しくはないのだろうか。気になり、そこを尋ねてみる。


「ハンナはさ、逃げたのって悔しくない?」

「いいえ? 別に悔しくはないわよ」

「大人だね」

「また戦えば良いじゃない」


 また戦えばいい。彼女はそういうが事は簡単では無い気がする。

 今日あったのも偶然みたいなものだ。

 明日から、また遭遇するまでこの街を徘徊するとなると気が滅入る。


「戦えばいいさって、いつ戦えばいいのさ」


 だからちょっと悪態をついてみた。

 吐き出して少しは楽になり、ベッドへ顔をうずめるクレイ。


「戦えるわよ。準備が出来次第戦えるわ」


 そんな彼に、耳を疑うような言葉が聞こえ、おもわず跳ね起きた。


「ほんと!?」


 マジマジと見つめるが、嘘を言っている様子は無い。

 普段通りの落ち着いた様子だ。彼女には、当てがあるのだろうか。


「ええ、本当よ」

「嘘じゃ……ないみたいだね。でもどうやって?」

「私たち、あそこから逃げたわよね」


 ああ、そうだとクレイは頷く。

 だからこそこうやってここに居るわけなのだ。


「あの時私たち無理矢理侵入したわよね。そのとき異世界に亀裂が生じたのよ」

「亀裂?」

「ええ、亀裂よ。黒いモヤモヤみたいなのを見たでしょう?」

「ああ、あったね」


 アヤカシが発生させる異世界は、この世界と癒着しようとしてすぐ近くに有る。

 それは見えないが、確実に存在する。

 そこに侵入出来たのも、取りこまれようとしている人間がいたからである。


 アヤカシに取りこまれたものはアヤカシの一部となる。

 あの男もあのままだったらそうなっていたに違いない。

 だが取りこまれる前で幸いした。

 あの男の発する生命力が、SOSの信号となって感知することが出来たのだ。

 男が引きずりこまれた時、世界と異世界が一瞬交わるとする。

 黒いモヤモヤは、それによって生じた歪み、亀裂であった。


「あそこから臭いが漏れていたから救うことが出来た。時間が経っていたら閉じて追うことは困難になっていたでしょうね」


 ハンナはその亀裂を無理矢理こじ開け、異世界へと侵入した。

 あとは全員の知るところである。


「そのモヤモヤが何なのさ」

「臭うのよ。少なくとも私にはね」

「ああ、アヤカシの魔力を魔女は感じられるって言ってたね」

「ええ、そうよ。だからこそそれを追って私たちは行けた。さてここで問題よ」


 ハンナが指をたてて微笑んだ。

 それは生徒に物を教える教師のようである。


「異世界から私たちは無理矢理出て行った。じゃあその時、異世界はどうなったと思う?」

「どうなったって?」


 問われてクレイは首を傾げた。

 急にそんなことを言われても考えは浮かばない。

 とりあえず、さっき言われたことを思い出してみる。


「ええと……」

「私たちが侵入したときとは逆を考えてみて?」

「ぎゃく?」


 逆と言われても分からない。謎かけなんかするよりさっさと答えを出して欲しい。

 だからクレイはさっさと降参することにした。

 知ってるなら答えるし、知らないなら答えられない。

 両手を挙げて首を横に振った。


「わからない、降参だ」

「もう。少しは考えてよ」


 満足な答えを得られずハンナは不満そうだ。

 だが、彼女は回答を教えてくれる。


「世界から異世界ではなく、異世界から世界へと。そうしたらやはり、この世界には歪みが生じるわけよ」

「それが……亀裂かい?」

「そう、アヤカシではなく私がつけた傷痕。異世界にも残っているでしょうね。そこに、私の魔法で印をつけていたとしたら?」


「ああ、なるほど。なんとなくわかってきた」


 歪みから漏れるアヤカシの臭いを追ってハンナは侵入した。

 今度はハンナがつけた臭いを追って、再度侵入を試みる訳だ。


「凄いね、ハンナ」

「凄いしょう?」


 そういうハンナは得意気だった。

 臭いを辿ってアヤカシを追い詰めるなんて犬みたいだね。

 そんな言葉が出そうになったが、クレイはそれを飲みこんだ。

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