第30話 嗤うアヤカシ
夕暮れ日暮れ途方に暮れる♪ 天を仰いで藁をも掴む♪
この街どの街知らぬ道♪ 誰かと出会えば人心地♪
そろりそろりと近づいて♪ まずはお嬢さんにご挨拶♪
たん たたん たたたんたん たん たたん たたたんたん
タンポポの綿毛のようにふわふわと、光球が浮かびあがってくる。
それは回旋するたびに伸び上がり、円盤のように広がってクレイの周りに展開していった。
アヤカシが仰け反り、勢いよく首を振った。
それは攻撃であった。
長い髪は束ねた鞭のように持ち上がり、クレイ目がけて振り下ろされる。
避けるためにクレイは虚空へと飛んだ。
着地した足場は紐ではない。
薄く輝く円の上へとクレイは着地した。
そして、また髪鞭が襲いかかってくる。
光輪から建物の壁。壁から壁。壁から光輪。
そしてまた、光輪へと。
矢継ぎ早に襲いかかる攻撃を躱し、足場から足場へと次々に飛び映っていくのだ。
周りに浮かぶ光輪は、戦いの不安定を無くす足場として使えた。
これならば高場の不利は一切無く、気にせずに戦える。
むしろ、足場を利用して縦横無尽に動けるすらある。
足場から足場へと飛び移り、クレイは相手の後ろから剣で斬りつけた。
「なっ!?」
剣撃が受け止められた。
いや、受け流されたというべきか。
アヤカシの髪が急激に伸びそれが螺旋のように身体を覆った。
それは突きつけられた剣によってたわみ、衝撃をあちこちに分散させる。
クレイの一撃は、わずかばかりの毛をあちこちにまき散らしただけだった。
ぐるんっ
立ったまま、首だけが回転する。
焦点が定まらぬ眼でこちらを捉え、アヤカシが嗤った。
♪やっと来てくれた貴方は私にそっと腕を回す
♪何も言わなくてもわかっているの ♪貴方私を好きだってこと
(……まずい!)
危険を感じたクレイはその場から離れようと飛んだ。
それを捕まえようと、十重二十重にわかたれた髪の毛が襲いかかってくる。
剣を持つ腕は一つ。あちらは複数。
なれば。
むかってくる毛鞭の一つに対し、クレイは剣を叩きつけた。
先ほどと同じく、髪の束はたわみ緩み、衝撃を吸収してしまう。
だがその攻撃は、離れようとする力を僅かばかりながら後押ししてくれた。
しゅるしゅると、蔓のごとく髪が迫る。
こちらの手足や胴にまきつこうと、伸ばしてくる。
絡みつかれてはせっかく展開した足場に逃げることも困難になるに違いない。
さりとて逃げることはしない。せっかく対峙出来たのだ。
つかず離れずの距離を保ちつつ、様子をうかがうクレイ。
そういえば、と衛兵のことを思い出した。
あの人は逃げる人を保護して貰っている。
こちらは今の所大丈夫だが、向こうはどうだろうか。
距離を取りながら下を見回すと、衛兵の姿が確認出来た。
その近くに、男の姿も見えた。今のところは無事そうである。
ならばあちらに注意が向かないように、敵の気を惹きつけよう。
クレイはアヤカシから伸びゆく髪束の一つにまた剣を叩きつけた。
だがそれはやはり、対したダメージを与えてなさそうである。
髪の束は剣を包み込むようにたわみ、ばっさばっさと揺れてそれを受け流す。
またもや同じ。手応えを感じさせない。
はてさてどうするか。
考えあぐねるクレイの耳に、ハンナの歌が届いてくる。
これはこれはご挨拶♪ 言葉を交わせど心は見えず♪
上を見上げりゃたいそうな天気♪ ♪オイラの心も荒れ模様♪
退くか進むか宙ぶらりん♪ 日の輪お天道来ておくれ♪
ゆっくりと動く光輪の数々。
それが熱を持ったかのように赤く染まる。
建物の赤。空の赤。街の赤。アヤカシの赤。
しかして発光する輪の赤はけっして不快な色ではなかった。
それは赤熱化。
赤く染まり熱を持ち、その情熱を球として生み出す。
クレイの身体が自然と動いた。
赤球がサルタトルの孔に嵌まると、剣はたちまちに火を噴いた。
それは炎の剣であった。
悪しき者を討つ、浄化の炎であった。
再び剣を、アヤカシにむかって斬りつける。
髪が、それを防ごうと四方からうねり上り、アヤカシの盾となった。
轟
だがそれは、威を防ぐに充分ではなかった。
先ほどは防いだ髪束の群れであったが、今度は勝手が違う。
受け止めた箇所から火がつき、逆上がっていく。
髪の先から根元へと、アヤカシの元へと。
野火のごとく迫る火勢にアヤカシも巻き込まれると思われた。
されどアヤカシは逃げる素振りは見せない。
慌てる気配など微塵もみせず、、己の両手を悠々と眼に突き刺した。
ごぷり
血涙が押し出され、手首から肘へと滴り落ちる。
♪恋に焦がされるわ 熱っぽい身体が私を揺さぶるの
♪揺れて震えて歓喜の声を上げるの
♪ねえ貴方見てる? 私を感じてる
♪私はここよ ここにいるわ
勢いよく腕が引き抜かれると、眼孔より鮮血のシャワーが噴き出した。
それは間欠泉のようでもあった。
二つの奔流は、髪を焼き進む炎と勢いよくぶつかった。
鼻につく、鉄の臭い。
炎へと叩きつけられた血飛沫は、熱によって固まっていく。
だが勢いはそれで衰えない。
カサブタのように乾いた血の上から、更に血流が塗り固めせり上がっていく。
血臭に耐えられなくなり、クレイは近場の屋根の上へと逃げた。
目にするは異様な光景。まさしく怪異と呼ぶに相応しい有様であった。
髪の毛を包む凝固された血の化粧。
それを伝い更に血流が押し進んでいく。
ぶつかった炎は、カサブタが剥がれるに従って火の粉を巻き上げ落ちていく。
恐るべきかなアヤカシ流防御術。
血で塗り固められた髪の毛。
カサブタを焼き剥がし、その身を焦がそうとすれば、眼孔より噴き出す奔流がまた髪を染め、血溜りの鎧と化していく。
何度鎧を焦がそうとも、カサブタが落ちようとも、炎はそれ以上進むことは出来なかった。
アヤカシの元へと辿りつくことは適わず、炎が勢いを弱めていく。
首をもたげれば、火の粉とカサブタを落としながら髪の毛が持ち上がる。
それは螺旋のように動き、上空へと昇っていく。
赤い竜巻が唸りをあげて舞い昇る。
危険を感じ、更にクレイは距離を取った。
バラバラと上空から降り注いでくる。
それは鮮血の雨だった。
固くなった血の破片が、剥がれ落ちてやってくるのだ。
地面に触れれば溶解し、フツフツと泡だってそこを血溜まりと化す。
突然の雨によって水たまりが出来るように、血塊は街全体に振り注がれ、嫌らしい色へと染め上げる。
温度も無いのに泡立つそれは、油が浮くように表面を虹色に輝かせ、被膜を張っていく。
あちこちに血溜りが出来上がり、足の踏み場も無い。
クレイも一旦屋根から離れ、光輪へと避難した。
屋根にも溜りが出来始めたからだ。
怪異は怪異を生み出すのか。
水面が泡立ちさざ波立ち始めると、液が盛り上がってくるではないか。
手だ。
藻掻き、藁をも掴もうと水面から伸びるのは人の手だ。
それが幾重にも。
あちこちに発生した血溜りから、上へ上へと腕を伸ばしている。
どうやら人程の長さでしかないようだった。
ゆらゆらと揺れる腕は、水に生える葦のようでもある。
手当たり次第に周りにある物を掴み引きずりこんでいくために、屋根の板はベリベリと剥がされ、基礎が見えてしまっている。
それを見てクレイは屋根に残って無くて良かったと安堵した。
しかし、足場となる場所が狭められてしまった。
自分はまだ良い。
こうやって高所に逃げることが出来ているからだ。
ハンナたちは無事だろうか。
降り注ぐ血の雨によって、街の路地は赤い絨毯が敷き詰められたかのようであった。。
ぬらぬらとテカるその表面から、手が浮き出て盛んに腕を振っている。
地獄絵図。
その光景から嫌な考えが頭を過ぎる。
湧き出る考えを押し殺しながら、クレイは三人の姿を捜した。
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