第16話 フライハイワードの覚え書き

 村人たちに見送られながら栄光への道へと出立なされた御二人でありましたが、その旅路は困難でありました。

 村を離れて数日、山道を越えようとした魔女と従士は野宿することとなったのであります。

 これは失敗などではありませぬ。御二人は長旅をなさったことはありませぬ。

 宿から宿の距離感を見誤るを嘲笑するは、挑戦を嘲笑う無能な輩と言えましょう。

 成功の影には数多の失敗が有りまする。

 これが御二人の糧となるは必然、むしろ長旅の序にて起こるは我が主の深遠なる計画の一端とも言えましょう。

 無知蒙昧の徒にはわからず、ただただ嘲笑うばかりであります。

 そのような世間と同じように、夜風は寒うございました。

 季節は冬ではありませぬ。しかしやはり、外気は体力を奪うに足る冷気を帯びておりました。

 しかしそこは流石の従士様でございましたでしょう。

 温かい夜食を作り、外套を主様に羽織らせ夜を明かそうとなさるではありませんか。

 魔女を第一に考える従士。我が主様が選ぶに相応しき態度で御座います。


 紙とインクによって造られし私めは御二人の腹を満たすことは適いませぬが、その智慧を披露することによって寒気を些か忘れさせることは可能でありました。

 魔女と従士がわたくしめによって休憩を楽しまれておりましたが、それは一人の闖入者によって破られました。

 その者の見かけは成人した男性でありました。

 衣の袖はすり切れ、帽子は煤け、旅を続けてきたのが容易に想像出来る風体でありました。

 楽器を懐に持っていることから吟遊詩人の類であるということがわかります。

 それを証明するかのように、かの者から発せられる言葉は、どことなく人を惹きつける魅力がありました。

 しかし流石は我が主様でございます。

 人は見かけによらぬ。ましてやアヤカシなら尚更であります。

 その者が人外の理に棲むもの、アヤカシだと既に気づいておりました。

 正体を看破されたアヤカシはわたくしたちに襲いかかります。

 杖と剣を構え、魔女と従士はそれを迎え撃ちます。

 栄えある戦を記せることのなんと有り難き、幸運なことか!

 これが我が主様の初陣となった次第でありました。


 アヤカシは人の姿を止め異形を露わにしていきます。

 それは人と木が合わさったような姿でありました。

 人の身体から枝木が生え、それが複雑に絡み合ってるのでございます。

 ぐるぐるぐるぐると巻きつけるその有様は、まるで機織りに癇癪を起こした端女が断ち切った糸を丸めたような、そのような格好でありました。

 髭根をふんだんに生やしたその毬は、山をも動かすような音を立てて迫ってきます。

 しかしてその行進は、我らが従士によって阻まれました。

 鈍重な動きよりより速く従士の切っ先が、アヤカシめの急所目がけて振り下ろされます。


 嗚呼! 嗚呼! しかしてなんと憎きことか!


 アヤカシの体皮は固く、木っ端を生みだしに過ぎませんでした。

 攻撃を防がれ、動きが止まった従士の元へ、丸太のような一撃がお返しとばかりにやってきます。


 だが! そこは従士!


 まるで読んでいたかのように軽やかに躱し、さっそうと距離を取りました。

 その優雅な所作はまこと、夜に舞う蝶のようであります。

 蝶は枝木に止まるもの。枝木のほうから強請るとは、まさに器が知れると言えましょう。

 すでにこの時、勝負は見えて居いたとわたくしめは思っておりました。

 しかしそこは慎重な従士のこと、一旦距離を置き始めます。

 配下の言を素直に聞くのも我が主、魔女の美徳。

 御二人は波が退くように距離を置きました。

 これは敗北の退きではありませぬ。勝利の一押しのための下がりでございます。


 体勢を立て直した従士が降り立つは光の円。

 魔女の力に護られた、防御円にてございます。

 踏みいろうとしたアヤカシは浄化の炎にて焼かれました。

 その猛々しい焔の数々は、我が主に敵対せし者の当然の姿、相応しき末路でございましょう。

 簡単にはいかぬと見たアヤカシの次なる一手は、自分と等しき異形を生み出すことでした。

 枝木がざわめき、盛り上がり、何かを形造っていくではありませんか。

 それは山野を駆け巡る獣たちそっくりに動きはじめます。

 違うことと言えば、腐汁まき散らす屍の軍団ということでございましょう。

 押し寄せる異形の群れ。

 常人の心ならば折れ、為す術も無く蹂躙されてしまったことでございましょう。


 しかし! 嗚呼しかし!魔女と従士の何たる強きことか!


 二人は恐れを抱いても決して下がることはなさらず、異形の理不尽を迎え討とうとなさいます。

 それは如何なる御業か。杖が煌めき、剣が振るわれます。

 するとどうでしょう。

 円を護るように柵が現れ、その隙間から悪鬼共に目がけ火矢が放たれました。

 脳まで腐った輩は避けることも出来ず、火柱となって手柄を証明していきます。

 何という間抜け。

 一度起こった愚を二度も明らかにするとは無知無能の極みとしか言いようがありませぬ。

 その阿呆面を拝みたいところではありましたが、流石に恥を知るので御座いましょう。

 次々と炎にまみれ、地に伏していきました。


 次に飛び出したるは磨き上げられた等身大の鏡の群れ。

 光が光を反射し、獣たちに陽光の洗礼を浴びせます。

 さすれば起きたるは更なる奇跡。

 陽を浴びた獣たちは、我を取り戻してアヤカシへと向き直ったのでありました。

 我らの正道に立ち返るのは、生きた心地がするのでしょう。

 腐汁したたる哀れな躯ではなく、隆々たる野生の獣本来の肉体へと生まれ替わっていくではありませんか。

 なんと素晴らしき主様の神業。

 わたくしめがかような僥倖を拝むことは光栄であります。


 獣と獣の戦が始まり戦場は拡大していきます。

 正義はこちらに有り。

 アヤカシ率いる異形の群れは、次々に打ちのめされていくのです。

 人ならぬアヤカシが取る策は、やはり外法の行いでありましょうか。

 枝木が伸び獣に刺さると、それは操りの糸となって前進を強要していくではありませんか。

 敵から退くことは許さぬと、獣たちは背中を撃たれながら進んでくるのです。

 これではどちらが敵なのかわかりませぬ。

 屍に鞭を打っても起きは致しませぬが、後ろから撃たれればこちらへと押してくるのでございます。


 魔女の敵は異形の獣たちに非ず。

 そう確信した主様はただ前方を指し示しました。

 アヤカシのいる方角。闇が渦巻く奥の奥へと。

 杖の先から光が溢れ、緞帳を切り裂くように一直線に伸びていきます。

 自らは何もせずふんぞり返り、配下を犠牲にしてまで生き延びようとする、醜きアヤカシの元へと。

 敵は……後方に有りや。


 差し示された方角へと従士は駆けていかれました。

 後を続くは、正気を取り戻した獣たち。

 行かせてはならじと、異獣たちが行く手を塞がり阻もうとしました。

 だが! 正道を阻むは愚者の道!

 従士が腕を動かすまでもなく、獣たちが異獣を押さえこんでいきます。

 従士を阻む輩は一匹たりともおりませぬ。

 風のように軽やかに、その足捌きはまさに疾風と言うほかにわたくしめは知りませぬ。

 こうして従士は、アヤカシと一騎討ちになるのでありました。


 アヤカシは大きく、従士の倍を超える巨躯でございました。

 しかし胸に燃ゆる気持ちは従士の方が上でありましょう。

 その意が噴き出したのか、従士の剣が赤々と燃え上がっていきました。

 火を見るより明らかという言葉がありますが、木に火をむければどうなるか、それは幼子でも分かることであります。

 小細工を弄すアヤカシの実力は、迫る従士の剣を防ぐには余りにも劣るもの。

 抵抗空しく彼の者は火を纏いてその報いを受けたのです。

 燃えがらが風に飛んで失せる頃には、そこは何事も無かったかのような景色が甦っておりました。

 勝負は火を見るより明らか。

 魔女と従士がアヤカシふぜいに負ける道理がありませぬ。


 夜風が戦を抜けた従士の身体を労るように、柔らかに山肌を過ぎていきます。

 月はまだ頭上に輝いて、周りはアヤカシと遭遇する前と同じ。

 先の一戦が本当にあったのか、それも分からなくなるような、何事も無い場がそこにあったのです。

 しかしわたくしは確かに拝見しておりました。

 魔女と従士が、果敢にもアヤカシと戦うのを。

 よってここに、その一戦をしかと記す次第でございます。

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