第17話 セカド
人。人。人
右を見ても左を見ても人ばかり。
街道沿いの宿場街とは人の多さがまるで違う。
ここは都市セカド。
二人の次の目的地であった。
「凄い人だね」
「うん、そうだね」
都市のなかではここはまだ小さい方である。
だが村育ちの二人にとっては目を見張るばかりの、感心せずにはいられない人の数であった。
「凄いといえばハンナも凄いよ」
クレイはそう言ってハンナが被っている帽子を指さした。
ハンナが被っている帽子は、いわゆる魔女の帽子と呼ばれる。
その名の通り、魔女たちが被っているオーソドックスな三角帽子であり、すなわちそれが身分の証明でもあった。
少年少女の二人旅である。
それを訝しがる者がいないのは、ひとえにハンナの身分にあった。
この街に入るときも衛兵に簡単な魔法を見せさえすれば、すんなりと中に入ることを許可されたのである。
「私が凄いんじゃなくて、他の人たちが凄かったのよ」
魔女というだけで担ぎ上げられる。
それに対し悪い気はしないが、気をつけなければとハンナは思った。
自分は魔女として未熟であると理解しているからだ。
驕るような結果、無様な真似をしてしまえば、道中ここを訪れることになる魔女たちを奇異な目に晒してしまうほかにならない。
だから謙遜ではなく、彼女は自分は凄くないと自戒していた。
「ハンナは、ここに寄りたい場所があるって言ってたよね」
「うん、そうなんだけど……」
キョロキョロと、ハンナは辺りを見回している。
どれもこれも、見慣れないものばかりだ。
行きたい場所はこの街にあると知っている。
だが実際にどこのどの場所にあるのか、それは全く検討がつかなかった。
行き交う人々は、二人を気にせず毎日の仕事に勤しんでいる。
だがそれは、まだ若き少女に疎外感を沸きたたせ、焦燥させるには足る雰囲気であった。
「誰かに聞いてみようか」
どこに行くかわからずにオロオロとするハンナにむかって、クレイは声をかける。
こういうときは道に迷う前に人に尋ねる方がいい。
通りの店に適当に入り、道を尋ねてみると、知っている人がいた。
「ありがとうございます」
礼を言って目的地へと歩を進める。
魔女の大釜
目的地の場所はそういう名前らしい。
大通りから少し抜けて細道に入り、突き当りのT字路の辻々を曲がっていく。
先を進むにつれ、行き交う人も少なくなってくる。
本当にこれで良かったのかと思った時、背後からハンナの声がした。
「あ、クレイ。あそこを見て」
細道の左側。
建物が軒を連ねる中、看板が突き出している。
木製の看板に銅製の金輪が打ちつけられ、支柱から伸びた年代物のそれはキイキイと軋んだ音を立てている。
汚れで煤けた木板に刻まれている文字は、かろうじて『魔女の大釜』と判別できた。
扉の方には何も無い。
他の住居棟と似たような、片開きの扉である。
正直あらかじめ名前を聞いてなければ、ただの家屋と見過ごしていたところである。
それくらいに他の雑居と溶けこんでいて、看板が無ければわからなかった。
「ここがハンナが寄りたかった場所?」
不信感を隠さずにクレイは尋ねた。
反してハンナは嬉しそうである。
頷き返すと、今度は率先して扉に手をかけたのだ。
「うん、ここに来たかったの」
声をそこに残しながら彼女は先に入っていく。
慌ててクレイは後を追った。
外と内との明暗の差で、目が眩む。
その明るさに慣れてきたクレイの目に写ったのは、本の山であった。
店、なのであろうか。
入って直ぐにはテーブルと椅子があり、その先にはカウンターがある。
その奥には床から天井まである高さの本棚、そしてそれをそれを埋めつくほどの本の数があった。
大きさは不揃いで、タイトルもバラバラだ。
いったいどういう順番で並んでいるのか、クレイには見当もつかなかった。
やや薄暗い店内で人の声がした。
「……いらっしゃい、若き魔女とその従士さん」
いつの間にそこにいたのだろうか。
いや、最初からいたのだが、気づかなかっただけなのかもしれない。
店の中、カウンターの向かいに老婆がこちらに挨拶をしながら身体を預けていた。
顔には皺が刻まれており、だいぶ歳をとっていることがわかる。
頭に被っている三角帽子とローブから、その人も魔女だということがわかった。
「初めまして、管理人さん。私はハンナ、こちらはクレイです」
挨拶をすると老婆は答えた。
「して如何なる用件だい。若き魔女よ」
「はい、この街に滞在する間の借宿の許可、そして本をお借りしたいと願います」
魔女の大釜。
それは魔女たちにおける相互扶助の場である。
魔女と従士は旅を続ける。そうすれば泊まる場所が必要だ。
ある程度路銀があれば宿場で結構なのだが、それでも長旅となれば不安が残る。
そういった旅の負担を和らげるために設立され、綿々と受け継がれているのがこの組合である。
「じゃあ、他の街にもあったりするの?」
「ええ、大きい街にはあるわね」
答えながらハンナが取り出したのは、フライハイワードだ。
魔女と従士であれば滞在はいつでも認められるのだが、それには対価が必要。
それが魔道書。ハンナの場合、フライハイワードなのだ。
ハンナから受け取った管理人はしげしげと見つめていた。
フライハイワードは場を弁えているのか、大人しかった。
奴の頁には無言という文字があったのである。
「旅をしたばかりで、まだ書きこみは少ないですが……」
「なんのなんの、同じ人生などこの世には無し。そこから学び取れることは当然有るさ」
受け取った本をカウンターへと置くと、老婆は辺りを示した。
「一冊差し出し一冊借りる、それがここの流儀。さあ、どれでも好きなのを持っていきな」
その言葉にハンナは目を輝かせた。
一方、クレイは何のことだか分からない。
ここの流儀とは。知らないで流されるのは居心地が悪い。
だからじろじろと本棚を上から下へ、右から左へと目を泳がすハンナに聞いてみることにした。
「流儀ってなんなのさ?」
「早い話が宿賃よ」
「お金代わりにアイツを払ったって訳か。そのまま貰ってくれると嬉しいな」
「それは出来ないわ。街を出る時はちゃんと返して貰わないと。それに、魔道書が無い魔女なんて無力だわ」
話ながらハンナは本棚から目を離すことはしない。
それはたくさんのお菓子を目にした幼児のようでもあった。
ハンナの目をクレイも追ってみると、本の背表紙には色々な名前があった。
どうも辞典や小説の類では無く、人物史のように見受けられた。
ここは魔女と従士が来る場所と伺った。
ならばそれに関係あるのだろうか。
「これ、みんな魔道書なの」
「違うわ。複製書ね。さっき私が差し出したでしょ」
「うん」
「それを管理人は書き写すの。ここに来るまでに経験した魔女の経験を、知識として蓄えるためにね」
「このいっぱいある本は、そうやって書き写した本ってこと?」
「そうよ。この街に滞在する許可を得た魔女は、一冊借りることが許されるの」
「ふーん、一冊だけなんだ」
「一冊にしないと、魔女の旅が終わらないからね」
老婆が話に割りこんできた
テーブルにカップを二つ置く。そして一つはカウンターへ。
来客に対する持てなしだろう。傍には茶菓子もあった。
相変わらずハンナは捜すのに夢中である。
自分はあくまで付き人である。
礼を言ってクレイは椅子へと座った。
「なにせ魔女という輩は知識に貪欲でね。ここの本を全部読んでいいとなったら、そしてそれが街々であるとしたら? 従士さん、どうなると思うかね?」
「なるほど。わかりました」
ほどよく温められた茶を啜りながら、クレイは合点した。
目の前のハンナを見ればそれは言わずともよく分かる。
答えを甘い菓子と共に飲み干した。
「僕も泊まっていいんですか?」
「当然さね。むしろ、なんで従士を外さねばならんのかね」
そういって老婆はフライハイワードを見せる。
「宿賃はしっかりと頂いているよ。空いている部屋を好きに使いなされ」
「ありがとうございます」
路銀を節約出来るのは良いことだ。
使わないでおけるに越したことはない。
ハンナの方はと目を向ければ、彼女もようやく選べたようだった。
「これにします」
そういうハンナの胸元には、一冊の本が大事そうに抱えられていた。
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