第18話 宿から外へと

 ハンナが抱えている本の表紙には何も書かれてはいない。

 ただ背表紙に文字が書かれているだけで、装飾は何も無い。

 抱えた彼女は嬉しそうであった。


「それにしたのかい。では街から出るときは返して貰うよ」

「はい、わかりました」


 用を済ませた二人は奥へと案内された。

 すると左右に扉がいっぱいある長い長い通路へと来た。

 外の建物の大きさより明らかに広い。これも魔女の魔法であろうか。

 だが正体はどうであれ、ここで泊まれることは利点である。

 二人は適当な部屋を選び、そこに入ることにした。

 部屋に入ればやはり広い。

 あつらえたかのように二つの簡易寝台が置いてあり、机とクローゼットも二つある。

 まるで最初から来るのがわかっていたかのように、部屋は居心地が良かった。

 御丁寧にテーブルには昼食なのであろうか、盆に乗せられた食事が置いてあった。


「ハンナはどうするの?」


 旅装を解きながらクレイは尋ねる。

 彼女といえば、もうベッドで横になりながら先ほどの本をひろげている。

 すでにくつろいでいるようだった。


「私はしばらくこうやって本を読んでるかな」

「食事は?」

「んー、あとで食べるわ」

「せっかく温かいのに」


 クレイに食べ物を粗末にするという考えはない。

 ましてや温められた食事が出されているというのだ。

 冷ましたものを食べるというのは失礼にあたるだろう。

 だからクレイは、彼女をそのままにして一人で食べることにした。

 パンとスープ、それを頬張りながら窓を見ればまだ陽は高い。

 朝早くからやってきた甲斐があったというものだ。

 食事を取ったら横になるのもいいかもしれないが、それよりも街に出てみようとクレイは考えた。

 ハンナのように書物に没頭できるタイプではない。

 外を散策してるほうが楽しいし、村にはない物を見られるかも知れない。


「僕は街に出かけようと思っているけど、ハンナは?」

「今日はもう出かけないわ。ぐっすりと休みたいしね」

「そうか」


 彼女が頁をめくる動作は休まらない。

 そうやっているほうが疲れが取れるのだろう。


「じゃあ僕は出かけてくるよ。夕方までには帰ってくるね」

「うん、いってらっしゃい」


 手早く食事を済ませたクレイは、盆を持って部屋の外へと出た。

 ここが魔女と従士の宿泊施設であるならば、他にも人はいそうな気がしたが、通路は静かだった。

 まるで自分たちしかいないかのようでもある。

 だからといって部屋を伺う泥棒のような真似はしない。

 他の人もそれぞれの時間を潰しているのであろう。


「ご馳走様でした。美味しかったです」


 店先へと盆を持ってやってきたクレイに、老婆は目を細めた。


「おや、持ってこなくても部屋に置いていれば良かったのに」

「いえ、配給して頂いてるのに甘えるわけには」


 村に居たときでも片付けは自分でやっていた。

 ましてや施設を利用しているのに胡座をかくような真似など出来るわけがない。

 ストゥンがいれば拳骨が飛んで来るであろう。


「それはそれは。感心な従士さんだね」


 うんうんと頷くと、老婆は受け取ってそれを片付ける。

 その落ち着いた雰囲気は、年相応の貫禄を漂わせていた。

 人はみな、年齢を経るとこういう人物になるのであろうか。


「出かけなさるのかね」


 片付けてまたカウンターへと来た老婆が尋ねてくる。


「ええ、夜まで間がありますしちょっと見て回ろうかと」

「そうかいそうかい。で、どこか目当ての場所はあるのかね」


 そう言われてクレイは首を傾げた。出かけると言っても、特に当てはないのだ。

 あの様子ではハンナは結構な時間動かないとみた。

 だから外で時間を潰そうとしたのだが、どこに行くかまでは考えてはなかった。


「見知らぬ街を一人でうろつけば、迷子になるかもねえ」


 そう言って老婆は、ひゃっひゃっひゃと笑った。

 子供扱いされているみたいだが、土地勘は無いのは事実だ。


「路地裏一本間違えれば、ここにつくのは難しいかもよ」

「そう言われるとそうかもしれませんね」


 事実、看板が無ければここを見過ごしていたところである。

 似たような場所を曲がり間違えないという保証は無い。

 考えあぐねているクレイに、老婆は一枚の紙を渡してきた。


「それは地図さ。ここの場所と、衛兵の詰所にしるしをつけておいた。図でわからなかったら尋ねてきなされ」

「ありがとうございます」


 老婆の心遣いをしまい込むと、お辞儀をしてクレイはドアを開けた。

 ここに来るまでの道のりを思い出しながら細道を戻っていき、大通りへと出る。

 食べ物屋だろうか、通りから良い匂いがしてくる。

 出かける前に食べてこなければ、あやうく無駄遣いをするところであった。

 通りをただなんとなく歩いてみていても、村とは全然違う。

 あれもこれもと目を惹かれるが、クレイの興味を特に惹いた物があった。


 店頭に飾られた剣や槍の数々。

 鈍く光るそれに装飾の類は一切無い。

 その無骨な意匠に魅入られたクレイは、しばし立ち止まって眺めることにする。

 店先に並べられたそれらは、遠目から見ても悪くなかった。

 流石に詩にうたわれるような業物と比べれば見劣りはするだろうが、武器としての感触は悪くない。

 実際に触ってみれば確信は出来るだろうが、冷やかしでそれは店に迷惑だろう。

 クレイはサルタトルとは別に、もう一振り剣を所持している。

 サルタトルを振るまでも無い時にはこれを使うことにしている。

 師から受け取った剣をろくでなしで汚したくないのだ。

 アヤカシと一戦交えたあとだと特にそう感じる。


「そういや手入れしてなかったな」


 旅路を続けながらの手入れは中々に面倒だ。

 クレイはサルタトルの手入れは欠かさず行なってはいたが、反面もう一振りの剣の手入れはおろそかになってしまっていた。

 街に滞在するなら、しばらく預けるのもいいかもしれない。

 店頭の武器から見て、粗略に扱われることはないだろう。

 クレイはそう判断し、武器屋の戸を叩いた。


 店内に入ると銅や鉄の金属、そして油の臭いがした。

 辺りを見回せば武器の類が並んでいる。

 大小様々なそれは、店の前に置いてあった物よりはるかに豊富であった。


「坊や、御使いかい」


 店主であろうか。

 店の奥から若い男がやってきた。

 煤けた作業着とエプロン姿のその格好は、まさに武器屋に相応しい。

 こちらを値踏みするかのようにじろじろと眺めてくる男に対し、クレイは携えてた剣を差し出した。


「はい、この剣の研ぎをお願いしようかと」

「ふうん」


 男は剣を受け取ると、クレイを見たようにじろじろとそれを眺めている。


「結構使いこんでいるな」

「ええ、ですからお願いしようかと」


 眺め終わった男はクレイに剣を返すと、奥にむかって叫んだ。


「親方、お客さんでさあ! 剣の手入れを頼まれてます!」


 この男は店主かと思ったが、そうではなかったようだ。

 男は向き直ると苦笑し、頭を掻いた。


「悪いな。鍋釜の修繕なら俺でも首を縦に振れるんだが、武器となると親方に伺いを立てないと駄目なんだ」


 しばらくして、奥から人のやってくる気配がした。

 姿を現したのは店先にいた男より歳がいった、初老の男性だった。

 男性は男を一瞥し、それからクレイの方を見やった。


「坊主、手入れを頼みたいらしいな」

「はい、この剣の手入れをお願いしたいと思ってます」


 先ほどと同じく店主に剣を渡すと、店主は刀身を傾け静かに見ていた。


「坊主、これお前のか」

「ええ、そうです」

「ふうん」


 店主は鞘に納めると尋ねてくる。


「坊主、手ぇ見せな」

「……はい?」


 見てもらいたいのは剣なのだが、向こうが見たいというなら仕方が無い。

 よく分からないままに手を差し出すと、店主はその手を持ってじろじろと眺め始めた。

 初対面の人にこう眺められるのは、なんだかむず痒い気持ちがする。


「稽古のためにさんざん振った男の手だ。気に入った、いいぜ」


 仏頂面だった店主の顔が少し緩む。


「まだ名前を尋ねて無かったな、お客さん」

「クレイと言います。それでどうなんでしょう」

「お前さんの相棒は頬ずりしなくなるくらい男前にしてやるよ。その間こっちで預からせてもらうがな」

「ええ、勿論です」


 どうやら手入れはしてくれるようである。

 最初に手付けとして幾らか支払うに求められたので、言われるままに差し出した。


「よろしくお願いします」

「なあに、悪くはしねえよ。その間ひとつ借りていきな」

「いいんですか?」


 預けるだけと考えていたが、その間替わりを貸してくれるとは思いもよらなかった。

 初めて入った店であったが、もしかして結構サービスが良い店なのかもしれない。

 それとも、都会はみんなそうなのだろうか。


「あんた見たところ旅人だろ? 腰に下げてる物が無くなりゃ不安だろ。だからさ」

「ありがとうございます」

「なあに礼はいらねえよ」


 その代わり、と店主は男を指さした。


「ちょっとソイツの話し相手になってやってくれ。店番を任すとサボりやがる」

「サボってないですって!」


 男の声を聞き流し、店主は奥へと戻っていった。おそらく作業のためであろう。

 残された男は頭を掻きながら、クレイに聞いてくる。


「……まあ、そのなんだ。金は出せねえけど飯くらいなら出すから、聞き役になってくれるか?」


 店番というのは案外暇らしい。

 特に行く当てもなかったクレイは、これも縁と思い頷いた。


「はい、喜んで」

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