第2話 ハンナ
道なりに歩いて行くと、ハンナの家が見えてきた。
見ればハンナの母であるゲルダが、何か洗濯物を干している。
物干しに服をひっかえようとする彼女と目があった。
いそいそと身体を動かして、こちらにむかって挨拶してくる。
「おはようお二人さん。あの子はまだ家の中さ。待たせちゃって悪いね」
やれやれといった表情だ。ハンナはまだ支度中なのだろうか。
ハンナはここに祖母と母と三人で過ごしている。
クレイは生憎と中に入ったことはない。
ハンナと遊んだのはもっぱら外の出来事だ。
そういえば、魔女の家の中とはどういう物なのだろうか。
出発する今になって、途端に興味が湧いてくる。
そんなクレイの一歩前へとストゥンが出て、ゲルダと言葉を交わす。
「構わんさ。色々と支度があるだろうしな。旅立つのに時間をかけるのも悪くは無い」
「わたしゃ、ここでずっと暮らしてほしいと思ってるんですがねぇ?」
そういってちらりと後ろ、自分の家の方を見やる。
その横顔に偽りはない。ゲルダは娘に残って欲しいと思っている。
ゲルダの母、ハンナの祖母であるフレイは魔女である。
だがゲルダは魔女になることを拒否し、静かに暮らすことを選んだ。
フレイもそれには反対はしなかった。
そして彼女はごく普通の村人として生き、一人娘を産んだ。
「母さんにたぶらかされちゃって魔女になるときたもんだ。親としては複雑ですよ」
「あの子には素質があるんだ。仕方ないさ」
「お忘れですがストゥンさん、わたしゃあの人の娘ですよ? 素質なら一応持ってるんですがね」
祖母と娘は魔法を使えるが、ゲルダが魔法を使ったところを見たことはない。
しかし魔女の系譜であるから素質はあるのには違いない。
悪戯ぽく笑うゲルダにストゥンは苦笑した。
ゲルダの視線がストゥンの肩越しから、クレイへと移る。
先ほどから黙ったままの彼にむかって、彼女のお声がかかる。
「ねえクレイ、今からでも遅くないからハンナを貰ってやってくれない?」
「えっ?」
素っ頓狂な声。
おもわずクレイは顔をあげた。彼女は一体何を言ってるのだろうか。
「……一緒に旅にはいきますけど」
おどおどと返事を返す。
しかしゲルダは納得がいかないようだ。
やれやれといった、大袈裟な身振りをしめして被りを振った。
「そんなんじゃないよ。うちの娘を嫁に貰ってくれってことさ」
「ええ?」
「アンタが婿なら姑として凄く安心するんだがねぇ、ダンナさま?」
「ええええ?」
困惑し、クレイは言葉に詰まる。
そんなことを言われてどうすれば良いのだろうか。
結婚というものは知っている。
しかし自分とハンナは10と半ばの歳である。
一緒になるには些か早くはないだろうか。
そもそも今日は旅に出る日である。
自分はそのつもりで出てきた。おそらくハンナもそんな気持ちに違いない。
一緒に旅を出る、では駄目なのだろうか。
ちらりと横を見てみた。ストゥンと目が合う。
彼はふむ、と考える素振りをし、答えが出ない弱輩に代わって言う。
「そいつは良い。二人なら幸せな家庭を作ること間違いありませんな」
表情を変えずに言ってのけるストゥンに、クレイは食い気味に反論した。
「何言ってんのさ!?」
「言っちゃ悪いか?」
さも当然といった様子であった。
冗談では無い。自分はハンナと一緒に村を出るのだ。
「ハンナを守ってやれって、さっき言ったじゃんか!」
「妻を守るのが夫の役目だろ?」
「訳のわかんないこと言わないでよ! だいいちハンナの気持ちはどうなのさ! 勝手に決めつけないでよ!」
「ほうほうほう。それはハンナが良ければ貰ってくれるということでいいのかい」
にやにやとゲルダが笑みを浮かべて話に入ってくる。
これでは少年にとって分が悪かった。
大人と子供。しかも二対一では。
このままクレイの主張は、ゲルダとストゥンに茶化されてしまうかに思われた。
「何をやっていますかゲルダ、家の中まで聞こえてきましたよ」
静かな、良く通る声。その一声で口論は一旦収まりをみせる。
三人が声の方向へと振り向けば、老婆が家から出てきたところだった。
落ち着いた物腰は風格と気品があった。田舎育ちにはこの態度は出せまい。
老婆に続き、少女もいそいそと顔を出す。
こちらは元気一杯の田舎娘といった感じだった。
後ろで縛った髪の上に三角帽子。そしてローブと杖。
いかにも魔女の風体といった格好である。
少女はストゥンの傍にいるクレイを見て破顔し、ゲルダは少女の前に立つ老婆に軽口を返した。
「ああ、お母さん。ストゥンさんとクレイ坊やが尋ねてきてね」
「ならさっさとお通しなさい」
「いやいや、今日で最後と思ったら話が長くなってね」
この老婆こそゲルダの母にしてハンナの祖母、魔女フレイであった。
そして控える少女こそ、ハンナその人である。
こういった母娘のやりとりはいつものことなのであろう。
やれやれとゲルダを一瞥し、フレイはハンナを促した。
祖母の横を抜けてハンナが三人の前へと歩み出てくる。
魔女の証である三角帽子を外し、ぺこりとお辞儀した。
「ストゥンおじ様、おはようございます」
「ああ、おはようハンナ。もしかしてその姿は」
「はい、御祖母様から譲り受けました」
ハンナは微笑み、その場でふわりと一回転する。
少し大きく感じるローブにストゥンは見覚えがあった。
かつてフレイと同行していたのと同じ旅装。
そのかすれ具合に、昔の記憶が思い起こされる。
ハンナもフレイから譲り受けたのであろう。それを知ってストゥンも嬉しくなる。
「クレイ、もしかしてそのマント」
「ああ、ストゥンから貰ったんだ」
そういって誇らしげにマントをはためかせるクレイ。ハンナもそれを見て微笑んだ。
互いに他愛無い会話を交わすが、クレイは気づく
三角帽子にマント付きローブ、そして杖は魔女の格好であるから仕方が無い。
しかし旅行に対する意識がまるで感じられなかったのだ。
他に持ち物といえば、肩掛けの鞄がひとつ見受けられるだけだ。
自分は色々と詰めこんで、背負い袋に色々と体中にぶら下げさあ準備万端といった風情なのだが、対するハンナは軽装だ。
これから少し散策でもいくような、およそ長旅に行く格好では無いのである。
クレイは少々不安になってハンナに尋ねた。
「ねえ、ハンナ。そんな姿で大丈夫?」
「んー、似合ってない? 御祖母様みたいにはやっぱり無理だったかな」
「そうじゃなくて。僕たち旅に出るけど、準備はそれで良いの?」
ハンナはそれを聞いて鞄をポンポンと叩く。
「この鞄すごいのよ。魔女の鞄はなんでも入るんだから」
ハンナの説明によればただの鞄ではないらしく、見かけよりかなり多くの物を入れられるらしい。
嘘を言っているようには見えない。
半信半疑で自分と鞄を見つめるクレイを見て、ならばとハンナは鞄のホックを外した。
中をうかがうと一つ物を取り出して見せる。
出てきた物にクレイは目を開いた。それは毛布である。
ひらひらとひろげられた毛布は明らかに鞄より大きい。
くるくると丸められ、ぎゅうぎゅうと押し込められると、また毛布は中へと戻っていった。
その間鞄は膨らみも歪みも見せてはいない。
すごい、とクレイが感嘆の声をあげる。その顔にハンナは得意気な表情を見せた。
「だからクレイの持ってる物も、重かったら言っててくれれば色々と入るわよ」
「そうなんだ」
これが魔女の力というものかと、旅に出る前にクレイは改めて感心した。
と、同時に興味も色々湧いてくる。
「他には何が入ってるの?」
「ええ。色々と、何でも入ってるわよ」
他にも何か見せようと、ハンナは鞄の中をごそごそと漁る。
「きゃっ!」
しかしハンナは思わず手を引っ込めた。
その口から勢いよく何かが飛び出してきたからだ。
飛び出してきた何かは二人の頭上へと高く高く。
クレイの視線も上へとつられていく。
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