第10話 ゆきあいがみ②
ゆきあいがみ。
とおりもの、とも人は言う。
それに遭遇した人は、奇妙な気分にかかり場合によっては病などを発症するらしい。
それは人によって様々だが、ハンナは詩人と会った時に強烈な寒気を覚えた。
火に当たっても尚、肩から骨身に染みいる寒気。
これはアヤカシが世界、その人に干渉するために起きる現象と祖母から伝え聞いていた。
今、実際にここで経験したことで、ハンナはようやくその時のフレイの言葉を思い出せたのである。
聞いてなければ警戒を怠り、きっと呑まれてしまっていたことであろう。
そして自分もまた、アヤカシの一部となってたのかも知れない。
「御祖母様に感謝しなくちゃ」
そして、クレイにも。
彼は目の前でアヤカシと戦おうとしている。剣を振るい、自分の盾になろうとしている。
二人で良かった。
一人では宴の夜の時のように、心細かっただろうに違いない。
クレイが引きつけてくれるおかげで、自分は詠唱に集中することが出来るのだ。
だから、勝つ。
勝たねばならない。
ハンナが両手をひろげる。
正面にはフライハイワードが開く頁。
それに目を通しながら、ハンナはクレイとアヤカシへと目を移す。
何事かを呟くと、杖から光球が溢れだし飛び出す。
球は虚空を飛んでクレイの元へ。
あの時と同じ。宴の時とおなじくクレイの元へと。
♪さあさ夜は更けもうした ♪そろそろ瞼を閉じる時ですぞ
♪諦めなされやめなされ ♪坊や良い子だねんねしな
♪私が優しく抱いてやろう ♪骨身も残さず喰ろうてやろう
枝木が触手のように伸び、次々とクレイに襲いかかってくる。
それを剣で打ちのめし、なんとか反撃の機会を伺う。
縦糸と横糸を組み合わせ、それを解いて投げかけるような縦横無尽。
山遊びをするときに草刈りをしながら進んだことはあるが、これほどの枝木を払ったのは初めてだ。
絶え間なく続く攻めに、少々息があがってくる。
どこかでひと息つけたい。
そう思っていた矢先、鼻先を掠める光があった。
光。そう光。
ハンナが杖より生みだした光球が周りを旋回している。
大小様々、色も多彩。
クレイの視界を阻害せずに、ぐるぐると回っている。
あの時と同じ。村の宴のときと同じだ。
光は指向性をもち、球から降り注ぐ光はクレイを照らし、足下に光円を象った。
暗く暗く染まっていくアヤカシの世界において、クレイが佇む場所は光輝いていた。
降り注ぐ虹のような光に恐れをなしたのか、奴の攻撃が緩んだような気がする。
ふう。
クレイがひと息つく。
いや、ひと息が十ほど。満足な呼吸が出来るのに十二分な時間。
息は既に整った。
クレイが再び剣を構える。
たん たたん たん たたん
軽やかな、舞っているかのようなステップ。
華麗さに、白刃の殺気がこめられている。
児戯というなかれ。これは武技である。
そして武技は、魔女の祈りによって昇華されるのだ。
呼ぶは誰ぞ其は何者ぞ♪ ここは何処ぞ山の中♪
寒さに怯えりゃ背中もぶるり♪ 草を踏めば足下がさり♪
音に怯えるはもののふにあらず♪ ここにおわすはつわものぞ♪
たん たたん たたたん たたん
たん たたん たたん たん
クレイを鼓舞するように、ハンナが高らかに歌う。
その声にあわせて光球が踊る。
光線は指し示す。木毬の在処を。
クレイと木毬がいる位置が浮かび上がされる。
小円と大円。光の輪。
その明るさに悶えるように、首をふりながらアヤカシが息を吐く。
♪ここは何処ぞ山の中 ♪山道黄泉路行き止まり
♪ええ ええ 息の根止めてやりましょうぞ
♪つわもの何とぞおりはせぬ
毛羽立ちのように木毬から枝木が跳ね上がる。
だが。
先ほどより細い。
触れるのを警戒しているのだろうか。
クレイに降り注ぐ光球からの線、小円を。
勢いのない牽制など、取るに足らず。
クレイは襲って来た数本をたやすく斬り払った。
ふぉん ふぉんふぉんふぉん
剣撃の勢いそのままに、クレイは腕を振るう。
それは虚空を撫で切るように。周りの球を吸いこむかのようにだ。
サルタトルの窪みに球が伸ばされ、大気に弧を描く。
二撃、三撃、四撃。
剣が振るうたびに光は潰れ引き伸ばされ、場に艶やかな色を放つ。
まるで、それは虚空をキャンバスにした絵画のようであった。
剣は筆となり球は絵の具となり、歌はタクトとなって世界を定めていく。
闇に包まれ見失うたか♪ 目の前の勇士をお目になさらぬのか♪
それではご覧なされ近う寄りなされ♪ 遠慮はいらぬ御照覧を♪
見よ見よ剣をひっさげし御勇姿を♪ 背中は震えなさるか 後ずさりなさるか♪
これより舞うは魔女が誇りし従士の御技♪
もはや月も無く獣も無く 草木も眠る御時間に♪
貴方のために舞いましょう♪ 諦めることなど露も無く♪
たん たたん たたたん たたん たん たたん たたたん たたん
クレイが居る円の範囲が広がっていく。
剣が闇を払い、色彩が輝くたびに、光球は勢いをましてクレイに祝福を贈るのだ。
足下を照らすだけだったその光は、今は両手をひろげていても問題ない。
光輝く野の中で踊る少年剣士は、まるで日中の光を浴びているかのようだった。
木毬が放つ青白い燐粉はその光円柱に入ることを恐れ、ただその周りを漂うだけだ。
そして、哀れにも逃げ遅れた一つまみの粉があった。
それは陽を浴びると赤い炎を上げて焼き尽くされた。
まるで火に入る夏の虫のように。
ばきり
木毬の節々が裂け始めた。
そこから手がぬうと伸びる。
ゆらゆらと伸びていく無数の手の中には、等しくたて琴が抱えられていた。
幾重にも奏でられていくその音響と共に、アヤカシの首は怨嗟を世界に振りまいていくのだ。
♪止めなされ止めなされ 足掻くのは止めなされ
♪陽光など無用 暗い黄泉路で独り 私は佇む
♪止めなされ止めなされ 足掻いていても苦しむばかり
♪木々は抱いて安らぎを 私を隠し安らぎを
♪だから貴方にも祝福を 抱いて抱いてねじ切ってくれる
ごとん ごとんごとんごとん
手から琴が次々と落ちていく。
落ちた衝撃で弦が切れ、不快な甲高い音を次々と出していく。
その音が響くたび、腕がばたばたと動く。
それはまるで、溺れた人の手足のようでもあった。
腕と腕がぶつかり、絡み合い、糸を丸めたようになっていく。
それらはやがて腐り落ち、地に叩きつけられ不快な音を発する。
べちゃ べちゃべちゃべちゃ
異形のモノは異形を生み出すのか。
琴と肉塊が混ざり合い、組み合わさり、ひとりでに動き出す。
それは獣であった。
狼。鹿。熊。
腐肉によって生まれし、四つ足の化物たちであった。
異獣たちが唸り声をあげ、アヤカシが呼応するかのように琴をひく。
そして、奴は声高々に叫ぶのだ。
♪山に迷いし旅人の 行き先どこぞ行き止まり
♪足掻けど道は昏し 細道この道行き止まり
♪行けど戻れど辿りはつけぬ 諦めなされ止めなされ
♪獣が足跡つけてくる
歌に操られ獣たちがにじり寄ってくる。
生気の無い目。体のどこかは何か欠けてるか腐っている。
しかし彼らのうろのような目からは、二人をここから逃さぬという意識を感じた。
心なしか周囲の闇が深くなったように思えたのは、アヤカシの意が強くなったせいだろうか。
しかしクレイは狼狽えなかった。
自らは闇ではなく、光の中にいる。
ハンナが作ってくれた防御円のなかにいるのだ。
何を恐れることがある。何を戸惑うことがある。
一瞥すればハンナの側にも光円がその範囲を広げていた。
彼女の目にも恐れは無い。
それは、もしかして自分を信じているからなのかもしれない。
で、あるならば。
クレイは剣を構える。足跡を踏む。
陽光が降り注ぎ、強くなるたびに、その勢いは増していく。
ハンナの魔法と自分の剣。
二つを合わせれば、困難など容易いこと。
「すぅ~~~~~~……」
息を大きく吸いこみ、吐き出す。
クレイの様子に疲れは見られなかった。
ちゃきりと剣音が鳴れば、円を押しつぶさんとむかってくる獣の群れ。
第二幕が、開こうとしていた。
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