第9話 ゆきあいがみ①

 傘のように広がった枝は地に食いこみ、それを鳴動させ巨躯とは思えぬ動きで迫ってくる。

 クレイはそれを軽やかに動いて捕らえられまいと動く。

 しゅるしゅると、蔓が地面を這って足下へと。

 それを剣で薙ぎ払い、一足飛びで後方へと身を避けた。

 ふう、とひと息つき呼吸を整える。

 枝木をさんざん打ち払いはすれど、本体への攻撃は届かない。

 枝木は複雑に絡み合って、今や毬のようになっていた。


 その隙間から高々と首が伸び、見下ろすようにこちらを睨めつける。

 あの首の距離まで三、いや四倍ほどの背丈はあろうか。

 奴の身体を利用して登っても、当てられるかどうかは不明である。

 足場にした木々が、纏わりつかないとも限らない。

 攻めあぐねるクレイの耳に、頭上からアヤカシの唄が振り注ぐ。


 ♪ようこそようこそ お坊ちゃん お嬢ちゃん

 ♪こんな夜更けにいかがいたした 迷われたか捨てられたか

 ♪貴男と貴女 そして私

 ♪山に誘われこんな夜更け 惑わされたか誘われたか

 ♪さあさあ身を寄せ合いましょうぞ 震えて眠る其は誰ぞ


 弾けるように、木の毬からぴしゃりぴしゃりと枝が跳ね起きる。

 跳ね上がり伸び上がり、天へと一直線に伸びたかと思うと、それが一気に振り下ろされた。


 ばばばばばばば


 奴を中心に、放射状のように叩きつけられた枝。

 クレイはハンナの方へと振り下ろされる箇所だけを防ぎ斬る。

 ビリビリと、手に反動が残る。

 一本一本は指のような太さ。

 しかしそれぞれには奴の悪意が潜んでいるのか、思いのほか固かった。


 ♪まずは挨拶 そしては握手 互いに名乗れば御友人

 ♪御友人方如何なされた そうかお腹が空きもうしたか

 ♪それもそのはず夜更けも夜更け 今日のおかずは何だろう


 ぴしり ぴしり


 再び枝木が伸び上がる。

 また振り下ろされるのか。

 否。

 今度は枝がより合わさっていくではないか。

 こよりのようにひねりあげられ、ベルトを締めるように横向きに毬へと絡みつく。

 クレイは悟った。次なる奴の攻撃を。


 ぴしっ


 桶のたががはずれるように、太く束ねられた枝が回旋する。

 ぐるぐる、ぐるぐると、勢いを増して範囲を広げながら。

 横薙ぎの攻勢を、クレイは避けようとしなかった。

 後方にはハンナがいる。

 避けてしまえば大木の一撃は、彼女に安々と致命を負わせるだろう。

 ならば。

 クレイは踏ん張り、上段に構えた。

 目の前に迫ってくる枝木に対し、真っ向から剣を振り下ろす。


 ばきり


 乾いた音と手応え。

 木の触手は裂けて木っ端をあちこちにまき散らしながら蠢いた。

 敵の勢いを借りた一撃は、防ぐことと成功させた。

 自分の両腕を痺れさせる会心の一撃。

 それを与えたことに満足せず、クレイは再び身構えた。

 姿勢を低くしての、踏み込み突き。

 攻めを凌いで、こちらが攻め。

 木毬を試しについてみれば、やはり硬い。

 手応えを確認し、枝に絡め取られぬようクレイは距離を取る。

 毬より出でし長首は、あいかわらずこちらを睨めつけている。

 急所はアレか。それともあの固い檻の中か。

 考えあぐねる少年の耳に、勘に障る唄が再び振り下ろされてくる。


 ♪これはご無体御友人 哀れ戯れ諦めなされ

 ♪腹立ちまぎれの苦し紛れ 自分が神にでもなったおつもりか

 ♪ささ 剣を捨てなされ 拳をひろげなされ

 ♪ひと思いに喰ってやりましょうとも


 絡み合う木毬の中から、楽器の音が聞こえてくる。

 それにあわせて奴の首が高らかに唄を奏でていた。

 それらが組み合わさり一緒くたになれば、世界は様相を変貌させていく。


 毬が沈んでいく。

 まるで地面が沼になったかのようにずぶずぶと。

 その沈下にあわせて、周りも沈んでいく。

 奴の重さに引き摺られるかのようにすり鉢状に沈んでいく。

 その傾斜が足先へと来る前に、クレイは後を見せた。


「ハンナーーーーーーッ!」


 攻めは防げても、地形を変えられては難しい。

 だからクレイは一旦逃げることにした。

 後ろを振り返れば、目を閉じ何やら集中している彼女の姿。

 その手を取って叫んだ。


「ハンナ、ここを離れよう」


 真っ直ぐな声。それを真っ直ぐにハンナは見据える。


「ええ、一旦離れましょう。でもあのアヤカシは祓うわ」


 手と手を取り合って二人は一目散にかけ出す。

 駆け出すハンナの肩越のあたりを、フライハイワードが漂い離れない。

 開ききった頁には、文字と挿絵が描かれていた。

 今こうやって走っている間にも、インクも無いのにひとりでに書き加えられていく。

 まるで、内からにじみ出るかのように。


「あのアヤカシは『ゆきあいがみ』よ」

「ゆきあいがみ?」


 疑問符を口に出しクレイは振り返った。

 奴は追ってこない。姿が見えない。

 距離を取れたとその脚を止めて、大きく息を吸い込んだ。


「逃げれた……?」

「いいえ、まだよ」


 荒い息を吐くクレイに、ハンナは被りを振る。


「気づかない、クレイ? 周りの様子が違うことに」


 ハンナの言葉に辺りを見回す。そしてクレイは違和感を覚えた。

 静か過ぎるのだ。

 夜は、生き物が活動を休める時間だ。

 だがそれにしても静か過ぎる。

 梟や虫のさえずりも、草木のざわめきも、そして風の音さえも。

 なんというか、空気が違うのだ。


「……静か過ぎる?」

「ええ、そうよ。それがアヤカシの力。私たち魔女はこれをアヤカシが生んだ異世界、怪異と呼んでいるわ」


 怪異。

 アヤカシが住まう異空間。

 アヤカシはその世界の主人となり法則はねじ曲げられてしまうのだという。


「生き物は程度の差はあれ、生命力と魔力を混在して生まれてくるの。でもアヤカシはそうじゃない。

 歪んだ魔力が形を成したもの。生き物とは違う存在よ。だから魔の物、魔物と呼ぶ人もいるわ」


 偏った魔力は、空間に歪みをもたらす。

 近くにある生命を引き寄せ、混ざろうとするのだ。

 だが、強すぎる魔力に引き寄せられ存在は、やがて破滅へと導かれる。


「そして魔力が強くなるほど、アヤカシの勢力はどんどんと広くなっていくのよ。やがて、世界を己に染まるまでね」

「そんなこと知らなかったよ」

「ええ、出会った者は取りこまれて帰って来れないからね」

「まさか僕らも?」


 冗談ではない。旅はまだ始まったばかりだ。

 ここで終わらせるようなことがあってたまるものか。


「まさかさせる訳ないわ。クレイの剣と私の魔法でね」


 フライハイワードがクレイに見せつけるように、本の頁を開く。

 ちらりと一瞥すれば、それは戦いの一幕であった。

 少年剣士が、魔女の力を借りて異形を狩る。

 こんな時ゆえ斜め読みしか出来なかったが、書いてあるのはおおよそそんな内容であった。


「ここは既に奴の『領域』よ。手順を踏まえなければ死んだことさえ無かったことに出来るわ」

「それって狡くない?」

「ええ、とっても。だから私が書き換える……いや違うわね。注釈? ううん、編集かしら?」


 ハンナが立ち止まり、顎に拳をつけて考えこむ。

 戦の最中の突然の棒立ちに、周りが吃驚する。


「主殿!」

「ハンナ!」


 フライワードとクレイが同時に叫ぶ。

 だが動いたのはクレイが先だった。

 彼女の頭を押さえ、抱きかかえるようにして倒れれば、その上を丸太のような枝木が横薙ぎに通り過ぎていった。


「言葉なんてどうでもいい! 奴を倒せるの?」

「言葉はすごく大事なんだけど……まあ、良い。説明はあとにしましょう」


 二人は立ち向かい、杖と剣を構える。

 その眼前に有るはアヤカシだ。

 ズブズブと、毬の身体を半分ほど地より出し、そして隙間から首を伸ばして歪んだ哄笑で蔑んでくるではないか。


 ♪夜道どのみち逃げ道あらず 坊やほとほと疲れもうした

 ♪ささ諦めなされやめなされ 息があがれば苦しかろう

 ♪生き急いでも戸惑うばかり 生きを止めれば安かろう

 ♪ささ 剣を捨てなされ 杖を捨てなされ

 ♪ひと思いに喰ってやりましょうとも

 ♪ここは何処ぞみな来た道 山道下がり道黄泉の路


 嘲りの唄が無力感を煽ってくる。

 いつから出していたのだろう。

 奴の身体から燐のように浮かびあがるぼうとした灯りが、滲みでいた。

 青白い光。

 クレイはまるで、亡者の灯りだと思った。

 生気を感じさせないその灯りは、見つめていると正気を失いそうだった。

 月明かりとも星明かりとも違う不気味な光。

 ここは確かに、山の中だったはず。

 周りを見れば木。木。木。

 上を見上げれば星明かりと月明かり。


 だが、何か違う。

 何が違うのかと問われれば説明出来ないのだが、確かに違う。

 これが『異界』

 クレイは剣を更に強く握りしめた。

 その実感が、自分が確かにここに居るという認識を与えてくれた。

 後ろを見るようなことはせず、奴を警戒しながらハンナに声をかける。


「ハンナ、奴を倒したい」

「ええ、勿論」


 後ろから答えられた声に、動揺は恐れはなかった。


「この山中の出来事はこうやって締めくくられるの。魔女と従士、アヤカシに勝つってね」

「魔女様がそういうなら安心だ」

「様は余計よ」


 どうゆう状況なのか、クレイはまだ掴めてはいない。

 だが、ハンナは落ち着いている。打開できる方法はあるということだ。

 クレイがまたステップを踏む。

 再び従士の軽やかな舞いが、アヤカシにむかって披露されたのだった。

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