第8話 山にて逢うもの

 火にあたる二人へと、詩人が近づいてくる。

 更に距離をつめてくる前に、クレイは尋ねることにした。


「あなたは誰ですか」


 警戒を含んだ声。

 詩人はその声を受け止めて答えた。


「あなたたちと同じく、旅の者ですよ。そしてどうやら同じく……道に迷われたようだ」


 自分たちは道に迷ってはいないが、この夜更けに山中に留まっては似たようなものか。

 警戒を怠らずクレイの視線は詩人に向けられている。

 身の周りに武器になりそうな物は見当たらない。

 しいていうなら鈍器となりそうな楽器だが、商売道具を振り回すことはしないだろう。

 大物は無し。

 他にあるとすれば護身用の短剣くらいなものだろうか。

 腰を眺めてみるが小袋がぶら下がっているだけで、ナイフの類は見当たらない。

 入っているとすれば背負い袋の中だろう。

 仮に害意があろうとしても、距離をとっておけば何とかなりそうだとクレイは判断した。


「どうぞ座ってください。僕はクレイ、こっちはハンナ」

「私はジョグと申します」


 ごく自然に、腰を落ちつけるように勧めると、ジョグと名乗った男は火の近くにある場所へと座った。

 火の照り返しが頬に当たる。

 その面は白く、不健康そうにも感じた。

 優男。鍬も鋤も持ったことのなさそうな書生。

 おそらく野良仕事を手伝うクレイのほうが力があるのではないか。

 夜盗の線は消えそうだ。次に考えられるのは囮である。

 クレイは辺りへと耳を澄ませた。


 夜の静寂。

 それは今まさに、本当に静かで、鳥も獣も吐息を押し殺しているようだった。

 頭上の星々、そのまたたきが息づかいとなって感じられるような、静か過ぎる夜であった。

 聞こえてくるのは、火にくべた枝木がパチパチと燃える音だけである。

 他の者の気配など感じはしなかった。


 ぎゅうと背後にいるハンナが、クレイの袖を掴んでくる。

 無理もない。夜に知らない大人と対峙する。

 少女にしてみれば心細いに違いない。だから僕が支えてやらないと。

 クレイは彼女の不安を払拭しようと詩人とあえて会話するのだった。


「同じですか。僕たちも旅を始めたばかりですよ」

「それは良い」


 火にあたる顔をあげて詩人は笑った。


「旅は良いものです。色々な出会いと、別れがあります。それ故に味わい深い」

「あなたはもうだいぶ旅をされているので?」


 問いに対し詩人は首を傾げた。

 上目使いに記憶を辿るとしているのだろうか。


「そうですねぇ……もう、思い出せません」

「思い出せない」

「長い道程を思い戻ろうとすると霞にかかったようで、うまく思い出せないのですよ」


 そういうものなのだろうか。

 だが何日のいつに何があったのかというのが重ねられていくと、確かに思い出すのは難しそうだ。

 旅をするからには忘れないようにしたいとクレイは感じた。

 その点、ハンナなら頭が良いからそういうのは大丈夫そうだとも思った。

 彼女のほうを向く。彼女の顔はいまだ険しい。

 ぎゅうと手を握りしめたままだ。


「ハンナ……?」


 詩人を警戒している。それは合点がいく。

 だがこの雰囲気はほかに何かを内包している。

 ただならぬ気配をクレイは感じた。


「ハンナ、この人が気になるの?」


 問いにハンナは視線を反らさずに首を縦に振る。

 替わりにクレイが詩人を見た。

 武器の類は無い。いったい彼女は何を気にするのか。

 もしや。


「この人は魔法使いなの?」


 問いにハンナはまたしても首を横に振る。

 困った。ではいったい何なのか。

 問いかけの言葉を無くしたクレイの替わりに、今まで言葉を発してなかったハンナが口を開いた。


「違うわ。全然違う」


 ハンナは既に杖を握っていた。

 袖を掴んでいたと同じく、その腕には力が入っている。


「お嬢さん、恐がらないでくださいな。夜が恐ろしいのはわかりますが」

「ええ、そうですね」


 詩人は笑う。人の良い笑みを代わらぬままに。

 だがハンナはそれを意に介さず一蹴し、杖を振るった。

 光球が杖よりほとばしり、放物線を描いて鍋に放りこまれる。

 すると湯を沸かしたように、さかんに鍋から蒸気が噴きあがった。


 ぶっしゃああああああ


 まるで霧が発生したかのように、辺りに白い湯気がたちこめた。

 それは夏の暑さに勝るとも劣らない熱気を帯び、身体に纏わりつく。

 夜の寒さを酷暑へと変え、やがて霧は薄れていった。


「ハンナ、何を?」


 安否が気になったクレイは視界が戻ると、すぐに彼女の姿を追った。

 額の汗をぬぐったのは、安堵もあってのことだろうか。

 ハンナは同じくそこにいた。自分と同じく、汗まみれになりながら。

 彼女の頤に汗が溜り、滴り落ちる。

 だが、彼女は微動だにしない。

 視線は先ほどと変わらず、そこをむいていた。

 視線の先を確かめようとクレイは振り返る。

 そして見た。詩人の姿を。


 彼も変わらずそこにいた。白い顔で、笑みを浮かべながら。

 二人と違い、汗一つかかずにそこに立っていたのだった。


「ハンナ……?」


 疑問符は彼女に向けられたものではない。

 ようやくここに至ってクレイは目の前の者が何者なのか、不信に思えたのだ。


「クレイ、サルタトルを使って」


 木剣では無く、師から与えられた剣を抜けと彼女が言う。

 クレイは拒まずにサルタトルを手に取った。

 素早く鞘を抜くと、白刃が煌めく。

 人が見れば孔だらけのなまくら剣と思うだろう。

 だが、従士にとってこの剣こそが重要なのだ。


「どうしましたクレイさん、剣なんか抜きまして」

「それよりアンタ、どうして汗をかかないんだ?」


 警戒を露わにクレイは構えた。

 ハンナの盾となるように前へと出る。

 それを見た詩人が嗤った。


 かかかかかかかか


 嗤った。

 さも可笑しくて可笑しくてたまらない声。

 舌が動く度に口が裂ける。

 割けた口端は耳元まで。歪んだ唇は三日月か上弦か。

 否。

 このような邪悪が月のはずがない。月は夜中にひっそりと昇っている。

 呵々大笑して静寂を乱すような無粋な真似はしない。

 その恥知らずは人の姿をやめていた。

 先ほどまで詩人の姿をしていたものは、その風貌を残してはいたが、姿を変え始めていた。

 腕は細く伸び柳のように、首は捻り伸びていき蛇のように。

 大人ほどの大きさがあった身長は、いまや二人を見下ろさんと伸び上がり、樹木を追い越していく。

 されど胸に抱いた楽器は離さずにいた。

 背中から枝木が生え始め、それは蜘蛛の脚のように曲がって地へとささった。

 枯れた古木。

 そのうろから首をにゅうと出でて、白面の異形は嗤っているのである。


 嘲笑うかん高い声が、キツツキのように周りの木々に突き刺さる。

 それはクレイの心にも響いていた。

 化け物。

 このような存在は少年は今まで遭遇したことが無かった。


「アヤカシよ」


 背後から、ハンナの声が聞こえてくる。

 その口調は落ち着いていた。

 ハンナは最初から分かっていた。詩人を人ではないと看破していたのだ。

 それは知識が経験か。それはクレイに分からない。

 だが、自分に気づかなかったことを彼女は気づいた。


「ハンナ、アヤカシって?」


 クレイはアヤカシが何者かを知らなかった。

 しかしハンナがこれほど警戒する相手ならば、少なくとも好意的な存在ではなさそうなことは確かである。


「この世ならざるモノよ」

「敵でいいのかい?」

「少なくとも、目の前のアヤカシは敵ね」

「了解」


 問いかけは即答された。

 その断定する言葉は、自分に勇気を与えてくれたような気がした。

 ならば、自分のやることは一つ。

 クレイは剣を構えた。

 息を整え、ステップを踏み出す。


 たん たたん たん たたん


 アヤカシを相手に少年は舞う。剣舞の冴えを披露するために。

 夜の山中に、少年の軽やかな音が染みてゆく。

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