第27話 調査
何の変哲も無い。
辿り着いた現場の、最初の感想はそれだった。
それも当然なのかも知れない。
死体はすでに片付けられ綺麗に清掃されている。
一見すれば、そこには何事もなかったと思ってしまう景色だった。
だが近寄って見れば、僅かに血糊があったと思われる染みが確認出来る。
うっすらと浮かぶその跡は、この道を通る石畳のあちこちに見受けられた。
ここで死体が発見されたと言われてなければ、二人も見過ごして通り過ぎていただろう。
「ここみたいね」
「何かわかるかい?」
地面の跡を指先で撫でながら、ハンナは真剣な表情をしていた。
その背にクレイは尋ねる。
自分にわからないことが、おそらく彼女には分かるだろうと思ったからだ。
顔をこちらにむけて、ハンナは頷いた。
その顔には確信があった。
「魔力の痕跡を感じるわ」
魔女である彼女には、修練の賜物で人より魔力を感じやすい。
アヤカシは魔力の塊である。
その塊が害を及ぼせば、その爪痕を感知するのはたやすい。
「ということは、やっぱり?」
「ええ、アヤカシの仕業で間違いないわ」
もちろん、人が魔法を行使しても同様にその痕跡は残る。
だが人とアヤカシでは魔力の量が違いすぎる。
人と比べてその残り香は、酷く鼻につくのであった。
その残りカスを削り取るかのように、ハンナは指先を地面へとこすりつけていた。
痕跡はアヤカシがつけた印である。
印は道標となって、犯人へと導いてくれるはずだ。
だが文字や図と違い、それは曖昧なものである。
風などの周りの具象によって、薄らいでしまう。
その場で事件が起これば、まだはっきりと認識出来ていたのかもしれない。
だが刻が過ぎた今、ハンナの力ではアヤカシの居場所を特定するのは難しかった。
「仕業で間違いないけど……何処に潜んでいるかまでは……」
そう言って立ち上がったハンナは、悔しさを滲ませていた。
「御祖母様なら必ず突き止めたでしょうに……情け無い」
魔女として解決してみせると、この事件に臨んでみせた。
だが、いきなり躓いてしまった。
フレイなら難なく解けてみせるに違いない。
ハンナの胸中で神格化された祖母の背が、遠く遠く感じられた。
情け無い。まったくもって自分が情け無い。
そんな落ち込むハンナであったが、クレイはそうでもなかった。
そもそも彼には魔力が感知出来ない。
だから、痕跡を掴めずに落胆している彼女の苦悩はわからなかった。
この場所に来て、アヤカシの仕業と判断出来ている。
そのことを素直に感心してしまっていた。
やっぱりハンナは自分なんかと違って凄い。それがクレイの認識だった。
だから次に声をかけたのも、気遣いでもなくただ純粋な好奇心からである。
「他に何かわかったこととかあるの?」
ハンナは首を傾げた。
わかったことと言えばアヤカシが人を襲ったことくらいだ。
他に何が分かったか。どれも対したことはなさそうだった。
詰所で見た死体。そして現場。
二つの場所で感じたことを重ね合わせ、自分なりの答えを推測してみる。
まず死体。
死体の損壊は激しかった。
爪や牙などの殺傷ではなく、何か重い物に叩き潰された感じがした。
そして首や手足にきつく締められたような痕があった。
赤子がぬいぐるみを持ち上げて叩きつけたような、そんな破損である。
続いて現場。
綺麗に清掃されているが、ここは激しく臭う。
間違いなくここが事件現場で間違いない。
人々は気にしないようだが、石畳の床からムッとするような異臭を感じるのだ。
周りの建物や通路からはそういった感じはしない。それ以外からは全く感じないのだ。
それが追跡を困難にさせていた。
そう、まるで降って湧いたかのように、石畳からしか臭わないのだ。
上を見上げて嘆息するハンナであったが、やがてはっとしてクレイを見た。
「そうね……もしかしたらアヤカシは、空からやってきたのかもしれない」
「空?」
言われてクレイも上を見上げた。
空は今日も良く晴れていて、違和感など感じさせない。
「上から叩きつけられて殺された……ううん、持ち上げられたのかもしれない」
「アヤカシが人を上に吊り上げたってことかい?」
「まだ確証はないけどね。ここ意外に魔力の痕跡は感じないの」
でも、とハンナは頭上を指さす。
「空からやってくれば別だわ。通りを走り去ってくれれば追えたかもしれないけど、行きも帰りも上なら臭わないのも無理はないかもね」
「ハンナは空を飛べたりする?」
「まさか」
かぶりを振って否定する。
ハンナにはまだそこまでの実力はないのだ。
「それは残念」
空を眺めながらクレイは考える。
アヤカシが空を飛んで来るのならば、住処はどこなんだろうか。
まさかずっと、空中にいるわけでもあるまい。
いや、アヤカシならば可能なのか?
「ねえ、ハンナ。アヤカシってさ、ずっと浮いていることって出来たりするの?」
「どうなんだろ……私もそんなに詳しいわけじゃないし」
実際そのアヤカシを見たわけでは無い。
自分が言ったのは推測なのだ。だから外れている可能性だってある。
しかし、地を進んでやってきたのではない。それは確信があった。
何らかの手段を使って、空を駆けてやってくるのであろう。
それが何かは、今はわからない。
「じゃあさ、いつ来るかとかは分かる?」
犠牲者は一人で終わると思えなかったし、この街は事件が終わるまで離れられないのだ。
それならばアヤカシが来るのを待ち構えようと、クレイはそう提案するのだった。
なるほど、とハンナは思う。
アヤカシがどんな手段で来るにせよ、人が襲われるのは間違いない。
そこに遭遇出来れば手段など目の当たりに出来るし、次の被害を防げるかもしれない。
「いつ来るかは分からないわね。でも待ち構えるのは悪くない考えだと思うわ」
夕と朝に死体が発見されてなかったのなら、やはり襲われるのは夜だろうか。
もしそうならば、夜間に出歩くことになるだろう。
「それならクレイ、衛兵さんたちにも協力してもらったら? 次に襲われるのが彼らかも知れないし」
「確かに僕たち二人だけだと、街全部をカバー仕切れないね」
襲われた時、魔女も一緒となればそれなりに心強いはずだ。
怪異に遭遇した場合でも、無理に応戦せずこちらに回してくれれば被害も少ないはずだ。
「ハンナ、衛兵が異世界に引きずりこまれたらどうするの?」
山での遭遇はアヤカシを倒したから異世界から出られたのだ。
こちらに連絡して欲しいところであるが、衛兵がそのまま閉じ込められてしまうようでは連携も何もない。
「あっ、そうね。どうしようか」
ハンナも気づいたようだったが、どうやらそれに対する手段は考えてなかったようだった。
さてはて困ったと二人して首を傾げていたが、やがてハンナが顔をあげた。
「そうだ、管理人さんに相談してみましょうよ」
「管理人さん?」
管理人とは魔女の大釜のお婆さんのことか。
確かに、身に余るようなら相談してこいと言っていた気がする。
自分たちには思いつかなくても、何か良い知恵を借してくれるかもしれない。
事件の経過報告を兼ねて、一旦顔を見せるのは悪くない考えだ。
「なるほどそうだね。じゃあ戻ろうか」
「ええ、そうしましょう」
ここに居ても得られる情報は少ないと判断し、二人は宿へと戻ることにした。
街に潜むアヤカシ。その行方はいまだ知れない。
二人が歩む通りに影が差す。
空は満天とは言えず、やや雲がかかっていた。
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