第28話 突入

 同じ景色だとしても、朝と夜とでは雰囲気は違う。

 ましてやそれが着いて間もない街では尚更だ。

 人の気配がまるでない通りを歩けば、聞こえるのは石畳に反響する己の靴音。

 まるで別世界に来たかのような錯覚に陥るが、まだここは現実の世界だ。


「お二人とも何か変わった所は感じますか」

「いえ、今の所は何も」


 ハンナとクレイはジョネスに頼んで、夜の巡回ルートの付き添いをしていた。

 彼らが定期巡回しているルートに混ざり、何か異変がないか捜しているのだ。

 今回は、死体が見つかった場所付近を巡回するルートに加わらせてもらった。


「そうですか。何かあったらお願いしますね」


 衛兵はランタンを前に二人を先導する。

 暗い通りを一行は歩いているが、今のところ変わった様子は無い。

 事件があった直後だが、衛兵は落ち着いた様子だった。

 それは任務だからなのか。それとも、魔女と一緒だからなのだろうか。


「いつもこうやって巡回しているんですか」


 夜の雰囲気、寂しさに耐えかねてハンナが質問した。

 無言のままだと間が持たない。


「ええ、酔漢や揉め事とかは意外と多いんですよ。だから我々がこうやって歩いているだけでも抑止になります」


 なるほど。

 確かに官憲を前にして強がれる者はそうそう居ない。

 助けを求めるにせよ、衛兵が持つランタンの灯りは、夜の闇に怯える者にとって何倍も心強いであろう。

 巡回中、何人かとすれ違うことがあった。

 衛兵はそれらを一瞥しただけで、たいして警戒する様子はない。

 犯人ではないと分かっているからなのだろうか。


「怪しい人とかと出会ったりはしないんですか」

「今日は見かけないですね」

「見かけることもあるんだ」

「ええ、幸いなことに滅多にないですがね。だから先日死体が出た時はビックリしましたよ」


 歩くうちに段々と口数が多くなってくる。

 それを止める理由もない。

 辻の角を何回か回るうちに、二人は衛兵とすっかり打ち解けていた。

 ハンナとクレイは、よそ見することが多くなった。

 だが衛兵はさすがである。

 二人に相槌を打ちつつも、周囲を見ることを怠らなかった。

 協力を申し出た二人であったが、今この場所では間違いなく衛兵が先輩であった。


「そろそろ巡回場所が終わります」


 見回しながら衛兵が二人にうながした。

 あと数区画歩けば見回りは終了、詰所へと戻る手はずとなる。

 これまでの所、怪しい箇所は見受けられなかった。

 今日は手ぶらで終わりそうである。


 空振りに終わるのも致し方ない。この日犠牲が生まれなかったことに安堵するべきである。

 だが二日続けての夜更かしは、少年少女にはいささか辛い。

 明日はどうしようかと考えながら道を戻っていると、衛兵が立ち止まった。


「どうされました」


 衛兵が振り返った。つられてクレイも後ろを振り返る。

 見ればハンナが足を止めて杖を握りしめていた。

 疲れたの、と声をかけようとしたがその言葉を飲みこんだ。

 彼女が真顔でいたからである。

 ややうつむき加減に、何かを感じるように佇んでいた。


「……臭わない?」


 ぼそりと吐き出される言葉。

 衛兵とクレイはお互いに見合わせ、顔を横に振った。

 昼間であるなら露天などが立ち並んでいるから、その感想は分かる。

 今は夜だ。

 路地には何も見当たらないし、静かこのうえない。


「私は別に」


 衛兵はそう答えた。

 クレイも、僕も臭わないよと声をかけようとした。

 だが思い出した。

 先の出来事。山での遭遇。アヤカシと出会ったときのことを。

 今のハンナは、あの様子とそっくりだ。

 だから代わりに、違った言葉が喉から出た。


「……アヤカシかい?」


 その言葉に彼女は頷いた。

 衛兵は戸惑っていたが、ハンナとクレイの真剣な表情に気を取り直した。


「魔女殿、我々はどうすれば」

「ついてきてください。私が見破ります。それと、クレイはその人を守ってあげて」

「了解」


 わかったとクレイは剣を抜いた。

 街中での抜剣は咎められる処遇であるが、非常の場合は仕方が無い。

 衛兵も剣を抜く。


「お二人には劣るかもしれませんが、これでも少しばかり実戦は心得ています」


 アヤカシと戦った経験は無いにせよ、暴漢を取り押さえたことはあるのだろう。

 魔女と従士につきそうよう頼まれた人物である。

 それなりに出来ると考えたほうが頼もしい。


 二人が得物を抜いたのを皮切りに、ハンナが走り出した。

 そのあとを衛兵とクレイが追いかける。

 衛兵はランタンを高々と掲げ、少しでも灯りを遠くに届けようとする。

 そんな彼を横に、クレイはハンナが行く先を目で追っていた。


 ハンナは慌てたように駆けているが、正直自分にはただの夜道にしか感じない。

 彼女が慌てて転ばないようにと気を揉むのが大きい位だ。

 だがハンナは、自分の感じない何かを感じ取ることが出来ているのだろう。

 今はその勘を頼りについて行くしかない。

 やがて、ハンナが足を止めた。


 路地の真ん中で肩で息をしている。

 その先には何もない。ただ変哲のない通りだった。

 右も左も、怪しいものは何もない。

 だが、そんな考えはすぐに打ち壊されることとなる。


 ハンナが杖を掲げ、何事かを呟いた。

 光が収束し杖全体が輝いていく。それは眩く、辺りを明るく塗り替えていく。

 明かりが強くなるにつれ、クレイは違和感に気づいた。


 暗いのだ。

 周囲を照らす杖の輝き。それを受けながらも路地の一角は暗かった。

 道が暗いのではない。

 その上、人の腰くらいの高さの空間が薄闇に包まれている。

 それは蠢く暗い球のようにも見えた。

 モヤがかかったその辺りは、光に浮き出され黒さを増していくではないか。


「これは……」


 衛兵も異常さに気がついたのだろう。

 クレイと同じく、違和感を目にして思わず声を漏らした。

 ハンナは振り向かず、二人に声をかけた。


「無理矢理結界を広げるわ」


 掲げていた杖が振り下ろされた。光が噴き出し闇を斬る。

 するとパカリと音が聞こえたような、あっさりとした感触で球は真っ二つに寸断された。

 半月が二つ。

 それは地に落ちるでもなく、それでもフワフワと浮いている。

 その切断面から、ジュクジュクと汁のようなものが滴り落ちてくる。


 黒から生まれたのは朱であった。

 斬られた人が出血するように、こぼれ落ちるのは赤い液であった。

 ジュクジュク、ブクブクと泡を立てねっとりとこぼれ落ちるのは赤い粘液であった。

 道へとべっとり落ちたそれは、噴き出す勢いにそって周囲に広がっていく。

 赤い。

 そして暗い。

 いまだに輝く杖の勢いに負けじと、球から生まれし液は光を吸い込み、鈍い濃赤を主張していく。


「魔女殿! お下がりを!」


 衛兵が警告の叫びを発した。

 だが、ハンナが返した答えは違った。


「いえ、このまま進みます!」


 ハンナが杖を再び掲げ、またもや振り下ろす。

 地面へとへばりつくそれが光鞭に叩かれると、液面は沸騰したかのようにさらに泡だった。

 シュウシュウと煙をあげ、鼻と喉に絡みつく異臭が漂ってくる。

 そのもうもうとする煙の中へとハンナは飛びこんだ。

 するとどうだろう。

 文字通り、煙に包まれたようにハンナの姿が忽然と消えたではないか。


 残った二人は正直状況を掴めずにいた。

 だが、ハンナの居ないこの場所でモタモタしているわけにもいかない。

 互いに顔を見あわせ、覚悟を決める。

 手で口を押さえながら、二人も煙の中へと飛びこんだ。


 夜の路地で煙をあげる水たまり。

 しばらくするとモヤは晴れ、水たまりは蒸発したかのように薄れ、全て消えていく。

 静かな夜の、何事も感じさせない街の路地。

 そこに三人の姿は無い。

 彼女達は異界へと飛びこんだのであった。

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