第26話 推測
「大丈夫かい?」
うんざりした様子のハンナにクレイは声をかけた。
今、二人がいるのは街中の食堂である。
検分をすませたあと、詰所を出てここで休憩を取っていた。
死体を見るというショッキングな事態であったが、何とか終わらせることが出来た。
「ええ、ありがとう」
ハンナの声には疲労の色が濃い。
無理も無い。あんな物を見せられれば誰だってそうなる。
あそこで吐かなかっただけ彼女はたいしたものである。
流石に食べる気は起こらないのか、飲み物を口にするだけで、ハンナは椅子にもたれてくたびれた格好をしている。
フレイが見ていたら、はしたないとたしなめられたであろう。
「わかっていたつもりだけど、実際に見るとキツいわね」
「そりゃそうだろ。だから僕は止めたんだよ」
こうなることはわかっていたが、止めることは出来なかった。
まあ、ハンナの希望であるなら仕方が無い。
「それで? 何かわかった?」
あの場でクレイは口を挟むことはしなかった。
自分には目利き出来るとは思ってはいない。
こうやって大仕事を終えた彼女を気遣うのみだ。
「そうね……まあ、というかやはりというか、人の仕業ではないわね」
ハンナの言葉は予想通りだ。十中八九アヤカシの仕業なのであろう。
「わかるの?」
「前も言ったけどアヤカシは魔力の塊よ、現場にも痕跡が染みついているの」
そうね、とハンナは首を傾げた。
「酷く臭うって例えたほうが分かりやすいかしら。普段とは違う違和感。魔法を扱う者だからこそ分かる異常さなのよ」
「犯人は魔法使いって線は?」
「それも捨てきれないけど、どこの街でも許可の無い場所での行使は御法度よ。わざわざそんな嫌疑をかけられるような真似はしたくないわね」
それに、とつけ加える。
「護衛をいつも連れている人物ならともかく、ただの一人歩きに仰々しいことなんてするかしら。人を雇ったほうがまだしらばっくれやすいわ」
「なるほどね。ハンナの考えはアヤカシで間違いないんだ」
「今のところはね」
そこまで喋ってハンナは飲み物に口をつける。
話すうちにだいぶ落ち着きを取り戻せたようだった。
アヤカシの仕業、だとしてどうやって殺したのだろうか。
そして、アヤカシは今どこにいるのだろうか。
そんな疑問をクレイはぶつけてみた。
すると、首を横に振られた。
「あいにくと……そこまではわからないわね」
「ハンナでも分からないことあるんだ」
「私だって全部お見通しなわけはないわよ。御祖母様なら出来るかもしれないけど」
「手がかりは無し、か」
ハンナの顔と同じように、クレイも複雑な表情を浮かべた。
詰所に来たのは無駄足だったか。
「どこにいるかはわからなかったけど、どうやって殺されたかは何となく分かるかな」
「ほんと!?」
「あんまり思い出したくないけどね」
うんざりといった表情。まあ、無理もなかろう。
年頃の娘にとっては死体の対面など刺激的過ぎる。
だがそれでも、彼女は何かを掴んだのだ。
「何かで締めつけられたような跡があったわ」
そう言いながら首を両手で挟みこんだ。
そしてそれから、片方の手首をもう一方で掴む。
「身体のあちこちに、ね。損傷が激しいのはそこから叩きつけられたからかしら」
「引っ張り上げられでもしたのかな」
「まだそこまでは……でもそうかもしれないわね」
クレイの言葉にハンナは頷く。
強い力での損傷。
それはアヤカシ自体の力ではなく、地面にでも叩きつけられたの仮定すれば。
「アヤカシ自身の腕力はそうでもないってことかな」
「わからない。人を相手取るのに全力を出さなかっただけ、とも考えられるわ」
何にせよ、現時点で決めつけるには少々情報が少なすぎる。
まだまだ調査が必要だ。
「だから次は、死体が発見された現場に行ってみようと思うの」
「ハンナがそう思うなら僕は断る理由もないよ」
一も二もなく頷き、席を立とうとする。
その背をハンナが呼び止め、クレイは振り向いた。
「ねえ、その前に風呂にいかない。ちょっと気分を変えたいの」
ああ、そうだった。
そういえば、これを受ける前は一緒に行こうとしていたのだった。
それにああいうのを見たあとでは、リフレッシュするほうがいいだろう。
現場に向かうのが少し遅れても、調べるのに支障はない。
「そう言えばそうだったね。いいよ、ゆっくりしていこう」
「そんなにゆっくりは出来ないわよ」
そういうハンナだったが、言葉尻は嬉しそうだ。
やはり何かしら疲れていたのであろう。
器にある残りを飲み干すと、二人は次の場へむかうことにしたのであった。
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足下の石畳は滑り止めなのだろう、表面は粗めに磨かれていた。
その感触は、疲れた脚には逆に心地よかった。
肩までゆっくりと湯船につかると、押し出されるようにハンナは息を吐いた。
心地よさに身体が沈みそうになる。
背を浴槽の縁へと預け、ばんやりとした感覚を味わいながら、ハンナは風呂につかり目を瞑る。
あの後、二人がむかったのは風呂場であった。
元々の予定であったし、詰所の出来事を綺麗さっぱり流したかったせいもある。
クレイの前で強がってはみせたが、やはりああいうのは慣れないものだ。
目を瞑れば思い起こせるが、その風景はだいぶ薄れていた。
今日の夕食が喉を通らないとか、そういうのは無いだろう。
薄れいく心象のなか、次に占めだしたのはアヤカシのことであった。
アヤカシは他を引きつける。
放置しておけば犠牲者は一人ですまないに違いない。
何とかして止めたいと思っているが、ハンナにはアヤカシがどこに潜んでいるのか見当がついてなかった。
アヤカシという事象には、それを生み出す原因があるはずなのである。
その原因の在処を突き止めることが出来れば、アヤカシとも遭遇出来るはずである。
ハンナは、そう考えていた。
灯りに照らされた湯の表面に周りの風景が映っている。
それに手を伸ばし、湯を切るようにへと沈めた。
歪んだ水面は映った像をかき乱し、やがて元へと戻っていく。
アヤカシは確かにこの街にいる。だがそれを捉える手段が、まだわからない。
何とももどかしい気持ちである。
まあ、そのために現場へとこれからむかうのであるが。
手のひらで湯をすくいあげ、顔に浴びせる。
気分は転換できたが、この事件の展望はまだまだ先のようだった。
ずぶずぶと、肩までつかっていた身体を首まで沈みこませた。
心地よさが頭を真っ白にしていく。
問題は山積みだ。しかし今は、ただただ湯を楽しみたかった。
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風呂から上がって外に出ると、クレイはすでに身支度をすませて待っていた。
どうやら堪能している間にあちらのほうが早くあがったようである。
「ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
待たせたことを詫びたのだが、クレイは気にしてない。
久々の風呂である。長湯したくなるのは当然だろう。
そうクレイは思っていた。
だからハンナがゆっくりと出てきても、疲れが取れたんだなとしか思っていない。
それどころか顔色を伺い、先の件は引きずってはないなと喜んだくらいだ。
二人ともさっぱりした気分であった。
これでむかう場所が殺人の現場でなければ更に良いのだが。
「場所は分かってるの?」
「ええ、もちろんよ」
ハンナは先に行き、そのあとをクレイがついていく。
その足取りは重くない。
風呂に入るまではぐったりしていたが、どうやらだいぶ良くなったみたいだ。
「また、気分が悪くならないと良いな」
ぼそりと呟いた独り言。
耳ざとくハンナが聞き取り、振り返った。
「何か言った?」
「いいや。何にも」
風呂上がりの身体を撫でる、街の風が心地よい。
願わくばこの風が、自分たちに良いように吹けばいいのだが。
道を歩きながら、クレイはそう感じていた。
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