第46話 けらけらおんな⑪

 主の手から離れても、サルタトルは意をくんで独りでに廻っていた。

 下界へと降り注ぐ光は柱となり、その中を蝶とアヤカシは追随していく。

 蝶が舞う螺旋の渦で、アヤカシは流れに翻弄されながら昇っていく。

 手を伸ばす先は頭上。日輪のように輝くサルタトルであった。

 その手は届かない。

 自分が上昇すれば剣も上がっていく。その距離は近いようにみえて、中々に縮まらないのだ。

 アヤカシが伸ばした手の袖口から、シュルシュルと触手が天へと伸びる。

 だが、それは辺りを舞う蝶に触れた矢先に炎を巻き上げ、火の粉が下へと落ちていく。


 手を伸ばしても届かず、身を揺すれど巻き上げられる状況を変えることは出来ない。

 糸の切れた凧のように、ぐるりぐるりと翻弄されるのみ。

 奴の口から呪詛が漏れ出した。


 ♪どこに行こうとワタシは独り どこで行こうとワタシは独り

 ♪陽光差す陽の下で昏いワタシの独り道

 ♪手を伸ばしても拒絶され 声を荒げても聞く者は無し

 ♪ワタシはここよ ここにいるわ

 ♪優しさも 慰めも 生き様も 全てこぼれ落ちて地に落ちた

 ♪ワタシのワタシは抜け殻なのかしら

 ♪何も無いから風に飛ぶのね 行きつく先は地獄かしら

 ♪貴方がいれば 何というのかしら


 身体を捻りうつ伏せの姿勢となる。

 眼前に広がるのは、小さな世界。遠く遠く離れた、地上であった。

 人も物も何も確認出来ない。

 何かしらの曲が下から聞こえてくるだけだ。

 それは蝶によって運ばれてくるのか。

 それとも風に乗ってここまでやってくるのか。

 確実なのは、アヤカシが独り、虚空へと投げ出されているという事実。


 アヤカシは相も変わらず手足を動かしていた。

 水中へと浸かり足掻く、溺れる者の如く。

 だがそれに応える者はいない。

 遠く高く空の上で、アヤカシは独り藻掻いていた。

 何者も写さぬ異形の目。それもまた虚ろであった。

 虚ろな窪みに、やがて点が穿たれた。


 それはクレイの姿である。

 今再びクレイが、地より上がってきた。

 再びアヤカシと相まみえようと、彼がやってきたのである。


 それがアヤカシにとってどう写ったのか。

 応えられる者はいない。異形の心など他者は備えてないのだから。

 アヤカシの両の腕が広がった。口の端が吊り上がる。


 けらけらけらけらけらけら


 両腕を大きくひろげ笑う姿は、新郎を迎える花嫁にも思えた。

 否。

 ここにいるは新郎新婦に非ず。

 互いに決着をつけようとする魔女の従士とアヤカシであった。


 クレイが手を伸ばす。上方に伸ばしたのはアヤカシに手を差し伸べるからではない。

 その手に差し伸べられたのは光。

 サルタトルから輝く光の糸であった。

 糸は腕に絡みつき、いともたやすくクレイを引き上げる。

 捕まえようとするアヤカシより速く、クレイはたやすく頭上にへと昇っていった。

 その手に剣の柄が握りしめられた。

 不覚を取り一度は手放してしまったが、今はこうして手中に収めることが出来た。

 懐かしむようにクレイの手に力が入る。

 感触を取り戻すかのように、一度、二度、素振りをしてみる。

 その手応えにクレイは頷いた。


 再びクレイが構える。

 剣の切っ先を天へ。足先を地へ。

 それは異形を穿とうとする楔となろうとするからか。

 それから、暫くして両の腕を開いた。

 構えが、上段へと移行する。

 視線はそのまま下。アヤカシへと向けられていた。


 風が、柔らかい風が遙か下方から流れてくる。

 それは朗らかな音と歌を運んでくる。

 見えなくても誰なのかは分かる。

 ハンナと女性たち。

 その想いと歌声が、ここまでやってくるのだ。

 声を高らかにと言うが、まさにそれであろう。

 その響きには恐れも不安も無い。

 その歌声と曲には、勇気づけられる何かがあった。

 心なしか蝶の羽ばたきも色めき立っている感じがする。

 動き。彩色。声。

 それらがクレイを奮いたたせ、動きを後押しするのだった。


 地獄なのか 天国なのか それは自分には分からない♪

 じゃあ生きているって何さ♪ 死んでいるって何さ♪

 飯くって寝るだけが生きているのか? 言い切ってやる Noさ!♪

 どこに行ってもついてくるお日様お月様♪

 手を伸ばしても届かない 頬を撫でるのも出来ないけれど♪

 アイツはあそこにいる 俺はここにいる♪

 独りなのか そうなのか でも一人じゃないとは思う♪

 今は暗闇で見えないかもしれないけど 手足を動かせればきっと何処かへいけるはず♪


 思いが身体を動かし、それが歌となって口より流れる。

 アヤカシとクレイ。両者は互いに独り。

 遙か高所にてこうやって相まみえようとしている。

 だがクレイを動かすのは、多くの者の思いであった。

 その中でひときわ大きく輝き。

 それを失いたくない。守ってみせる。

 思いに思いを重ねクレイが動いてみせた。


 剣が振り下ろされるが、その間合いは離れている。

 しかしその差を埋めるべく、光が伸びた。

 輝く軌跡はアヤカシへと伸びる。

 空中にて揺蕩うアヤカシにそれを躱せるすべは無いと思われた。

 だが、敵ももがく。足掻く。

 躱せぬならば受け止めるとばかりに、袖口から多くの触手が伸び、閃光の前へと立ち塞がる壁となる。

 光はそれらを斬り裂いた。

 承知。防げぬ事は承知。

 だが、勢いを削ぐことは出来る故に。

 アヤカシへと届いた斬撃は、致命とは成り得なかった。


 けらけらけらけらけらけら


 哄笑。

 それは嘲りか。それとも悲鳴か。

 嗤いは旋律となり、韻を踏み、手を伸ばせぬ代わりに呪詛となってクレイの元へとやってくる。


 ♪信じても信じても裏切られ 私は独り 独りぼっち

 ♪すがるものが無くなれば きっと私なんて無くなってしまうのだわ

 ♪空っぽの私の中を 誰かが好きにして通り過ぎる

 ♪一瞥もせずに 好きだと言ってくれる

 ♪身体に残る言葉 それを私の好きにして何が悪いのかしら

 ♪貴方はいない 誰もいない ただ言葉を残して

 ♪私はいる ここにいる ただ言葉を抱いて夢を見ながら


 再び袖口から触手が伸びる。

 クレイへと辿り着く前に、それは蝶の群れに触れ炎に包まれた。

 だが、止まらない。それは止まろうとしない。

 たとえ火が伝って身を焼こうとも、伸ばすことを止めようとはしない。

 焼かれても、焼かれても、焼かれても、幾重にも生えて、また伸ばしてくる。

 空中に火の粉をまき散らしながら、伸びゆく焔の枝木。

 その異様さは、攻めが届かずともクレイに妄執の激しさを感じさせた。


 クレイの頭に、情景が過ぎる。

 狭い一室にて独りうなだれる女性の姿だ。

 クレイは頭に浮かぶその姿を振り払った。

 違う。アレは違う。アレは人で無きもの。

 過去の残滓が形になったものだ。

 アレに同情しても引き摺りこまれるだけ。故人はすでにこの世にはいないのだ。


「だから……気を強く持て。自分」


 たとえ憐れんでかの者を見逃そうとも、犠牲者が増えるだけである。

 アヤカシは自らの衝動に突き動かされるだけ。

 そこに正解は無く、終わりはない。

 だから、ここで終わらせるのだ。

 終わらせよう。

 そして、このようなアヤカシが再び生まれることの無いように、伝えていこう。

 こういう事があったと、人に伝えていこう。

 きっと魔女が書を記すのも、後世に伝えるためである。

 それを聞いた者読む者に、感じて欲しいからである。

 ならば、それを手助けする従士の道は簡単だ。


「旅を続けられるよう、障害となるアヤカシを排除する。だよね、ハンナ」


 恐れは無い。迷いは無い。想う処はある。

 が、それを振り払うかのように刃を一振りする。

 師から譲り受けた剣サルタトルは、人を斬る道具にあらず。

 アヤカシを祓うためにあるのだ。


「ごめん、だから君を斬るよ。恨んで貰っても構わない」


 憎しみも怒りも無い。

 澄んだ心で剣を構え、クレイは次の攻撃に移った。

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