第45話 けらけらおんな⑩

 幾重に連なる蝶の渦。その渦に飲みこまれながらアヤカシは空へと。

 クレイもその渦中へと飛び込み、一緒に空へと駆け上がっていく。

 その螺旋の光に導かれ、アヤカシとクレイは更に更に空へと。

 もう既に地上は霞み、ハンナ達の姿も点となってみえない。

 彼らはどこへ行こうとするのか。


 上昇する流れに逆らいアヤカシが動く。

 しかしそれは地に足がついた動きではなく、水中にて足掻く餓鬼のようであった。

 そのような児戯は従士には通じない。軽やかに躱し、その動きを利用し独楽の動きを続けるのだ。

 独楽はアヤカシの頭上、一定の距離と速度を保ちつつ、異形を導くかのようにぐるぐると回旋し続ける。

 回旋は渦を生み、渦は力を生み、その大気の流れに押し上げられアヤカシと蝶は上昇し続ける。

 光の柱の中で、羽ばたく蝶の群れが描く螺旋の数々は、その陽光を浴び鮮やかに柱を染め上げる。

 その反射光に、アヤカシの白装束が淡く染まっていく。

 いつの間にか、奴の哄笑は途絶えていた。


 流れに揺蕩うアヤカシ。

 手足を動かせど、蝶はその勢いに押されて離れるだけ。

 決して傷つけることなどない。

 笑みを止めたアヤカシの口から、呪詛の唄が放たれる。


 ♪居場所はここ ここなの? 貴方と二人のここなのかしら

 ♪でも貴方は私をかまわない 抱きしめることすらしない

 ♪昏い 昏い ♪cry cry cry

 ♪叫びたくなるわ 貴方との距離

 ♪慟哭よ 壁を突き抜けて 貴方まで届け

 ♪ねえここよ ここなのよ 私はここにいるわ


 しゅるしゅると衣服の袂から細腕が幾重にも伸びる。街中に生えていた、あの触手のような腕だ。

 四方へと伸びる腕は、上昇に翻弄される本体とは違い勢いがあった。

 その掌、まずは身近な蝶へと狙いを定めた。


 ぼしゅっ


 アヤカシは失念していたのだろう。蝶を掴もうとした腕が炎に包まれていたのを。

 その同じ光景が、目の前でくり返されようとした。

 導火線の如く火は根元へと伝わっていく。

 街中に生えていた数々は、それで根切りとなった。

 では、アヤカシから生えている数々は如何。


 伝う触手腕を灰と化し、火はアヤカシの衣装袖を染め上げた。

 赤い、赤い焔。

 この世界に降り立った時に見た朱とは違う、赤い焔。

 それがアヤカシの身体を染め上げていく。

 白い婚礼衣装が焔へと変わっていく。

 そこから飛び散る火花。それは上昇の気配を受けて高く舞い上がっていく。

 羽ばたく蝶のようにひらひらと、高く高く艶やかに。

 衣装の燃えカスは逆に、下へ下へと下がっていく。

 蝶に染められた色を更に濃くしながら。


 螺旋に新たな蝶の群れが加わった。

 昇る蝶に降りゆく蝶。

 蝶の群れに囲まれて、アヤカシが空へと昇っていく。

 アヤカシを中心にして、炎に照らされながら蝶が舞う。

 その遙かな頭上にて、クレイも舞っていた。

 クレイが生み出す渦の流れに、アヤカシも蝶も引っ張られている。

 このまま舞い続ければ、空の向こう側へと行けるのではないか。

 そこはいったいどんなところであろう。現世か。それとも別世界か。


 下方より巻き上がるように歌が聞こえてくる。

 それは道標。

 アヤカシの行く先を示す魔女の歌であった。


 私は一人じゃ無い♪ 貴方も一人じゃ無い♪

 あなたは私じゃ無い♪ 私は誰彼でも無い♪

 顔を上げるに理由はいらない 楽しいなら笑っていればいい♪

 哀しいことがあればついうつむきになるけれど 泣くことばかりひきずってはいけない♪

 私の道は私が決める あなたの道はあなたが決める♪

 交わるときがあれば 手を交わしましょう♪

 互いに疲れているならひと休みして どこか遠くで待ち合わせましょう♪


 せりがってくる光。それを受けて蝶もまた輝く。

 幾万の、幾色の、灯。それは温かさを周囲に振りまくのだ。

 熱い焔ではなく、やわらかな陽射しのような強さ。

 炎に包まれたアヤカシにもそれは降り注ぐ。

 炎と陽光。

 二種の明るさに包まれながらアヤカシは唄う。

 その双眸には何も見えてはいない。

 そしてその唄には、何者かに問いかける確かさがあった。


 ♪独り 独り 私は独り

 ♪誰彼にも見られず 篭の中に押し込められた雛鳥

 ♪泣いても 泣いても 人はその泣き声を嘲笑うだけ

 ♪泣けよ動けよと揺さぶり叩く

 ♪涙なんて涸れ果てた 笑い方なんて忘れた

 ♪だから私は真似をするの 私を嗤っている奴らの真似を


 孤独。慟哭。

 嘆き哀しみ、全てを羨み妬むアヤカシの唄。

 身体が薄ら寒くなるような、負の感情が周りにぶつけられる。

 上空なのが幸いした。

 この唄を聞かされるのはクレイただ独りであったから。


 アヤカシには敵意が無い。だがその存在は人に仇なす害意がある。

 歪んだ想いをぶつけようと人に危害を加えようとするのだ。

 アヤカシからぶつけられた感情。

 それを受け流しながらもクレイは余韻を感じ取っていた。

 妄想なのか、はたまた記憶の断片なのか。

 アヤカシの姿では無い、見目麗しい女性の情景が、クレイの中で浮かんでは消えていく。


 暗い一室。そこで茶を挽く自分。

 外からは男女の笑い声。

 賑やかな周りとは違いこの部屋は昏く、何だか寂しい気がする。

 それは独りだからなのだろうか。

 また来るよ。彼はそう言ったはず。

 彼も、彼も、彼も。幾人も幾人も。

 そうワタシに告げて、やはり去っていった。

 誰彼も綺麗事ばかり。ただ時が空しく過ぎていくだけ。

 じっと手を見つめ鏡を見る。

 歳を無駄にとってしまった自分の顔。

 両の人差し指を頬につけて、無理矢理笑顔を作ってみせる。

 可笑しなことだ。愛想笑いを生みだしたとて見せる相手などとうにいないというのに。

 ワタシはなぜここにいるのか。

 芸を身につけ、上手く口が回るようにし、年を感じさせぬよう化粧をしても、来る者など当におらぬというのに。

 年季奉公があけようとも行く場所は無し。

 親も兄弟も既に無し。ワタシは独り。

 腕を絡めて客をひく若い同僚。

 シナをつくって男を誘う同僚。

 勿体ぶった言い回しで興味を惹く同僚。

 あれはワタシだ。過去のワタシだ。

 そして残骸がここに、うち捨てられてここにいる。

 鏡に写る年老いた老婆。それがワタシだ。

 なんと醜いことか。

 楽しさではなく哀しさで笑えることを今知った。

 作り笑いでは無い、口角を吊り上げての大笑。

 自分の境遇など代わり映えはしないというのに何故だか笑えてくる。

 部屋で一人、自分をたしなめる者などなく、ワタシは鏡をみながら笑った。

 鏡の中に、自分がいる。

 それを見てふと、違和感を覚えた。

 何かが、何かが違う気がする。

 ここはどこだ。今はいつだ。

 ワタシは、ボクは誰だ?


「クレイ!」


 ハンナの切羽詰まる叫びで、クレイは気がついた。

 大丈夫。

 そう声をかけたがったが、思うように言葉は出ない。

 それにどうも身体のあちこちが痛い。

 痛みを堪えながら首を動かせば、ハンナが自分を介抱していた。

 それに向こうには館主と遊女。上を見やれば光の柱が立ちのぼっていた。

 その中に、アヤカシの姿も確認出来る。


「ええと、僕はいったい?」


 まだ霞のかかる頭をはっきりさせようと、クレイは振り返る。

 自分はアヤカシと対決していたはず。

 そして奴と一緒に空へと昇っていたはずだ。

 再度上を見上げれば、遙か彼方でサルタトルが主を失ってもなお回転を続けている。

 そこから生み出される光は、以前より収縮されていても、アヤカシを巻き上げるには充分な力を持っている。

 蝶の螺旋も相変わらず取り巻くように舞っている。


「アヤカシに近づき過ぎたのよ」


 視線を泳がせるクレイに、心配そうにハンナが声をかけてくる。

 なるほど、これが彼女の言っていた引きずりこまれるというものか。

 無事を示そうとクレイは立ち上がった。

 まだ痛みは続くが、それがぼんやりとする頭に活を入れてくれる。


「なるほど、ちょっと夢をみていたようだったよ」

「クレイ、あの」

「ハンナ、僕はやるよ」


 不安そうな表情のハンナに、クレイは笑みを返す。

 心配するな、と。

 敵と戦う以上、反撃を想定していない者が愚かなのだ。

 相手から一撃貰っただけ、それだけなのだ。

 まだまだ未熟。従士を名乗るには経験が足りない。

 ストゥンなら取りこまれずに出来ただろうか。


「サルタトルの効果はまだ続いているけど、それは魔女と従士あってのこと。僕たちが手を止まらせてはいずれ効力も薄れるよ」


 だから、行くよ。

 そんな風に上を見上げたクレイにハンナは頷いた。


「それに、守るんだろ? あの人たちを」

「う、うん。そうだね!」


 クレイが指さした遊女達。それを見てハンナは力強く頷いた。

 まだ、終わってはいない。

 戦いへと戻るため、クレイは地を蹴った。

 それは飛ぶというより浮かぶといった感じで、風に舞う羽根のようにクレイは光柱へと吸い込まれていく。

 その背に向かってハンナは杖を掲げた。

 祈りと祝福を授けるように、高々と。

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魔女ハンナと従士クレイ 朝パン昼ごはん @amber-seeker

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