第21話 知らぬ街暮れる街
陽は幾分傾いていた。
「随分と話こんじゃったかな」
空を見上げながらクレイは嘆息した。
店番との話は思ったより楽しかった。
クレイは山近くの村育ちである。平野に住む街生まれの話は新鮮であった。
村では常識であったがことが街では通じないし、その逆も然りである。
互いにそうなんだこうなんだと話あっているうちに、こんな時間になってしまったのである。
「また来いよ」
気安く馴染みに手を振るようような店番に手を振り替えして、クレイは店をあとにした。
その腰には、しっかりした剣が下がっている。
手入れだけをお願いしたのだが、こうやって代わりの剣を貸してくれるというのは悪くない。
村の近くにあったら贔屓にしていたに違いない。
剣も旅の垢を落としているところだろう。
「そういえば、風呂に入ってないな」
すんすんと衣服に鼻を近づけながらクレイは顔をしかめた。
臭ってはきてないとは思うが、一度気になると臭いは気になってくる。
旅人にとって風呂は贅沢だ。晴れの日に水浴びするくらいが精々である。
なので宿場街にはたいてい公衆の浴場が設置してある。
風呂の準備というのは面倒なものなので、一軒に設備があるのは貴族か金持ちだけだ。
クレイも村にいたときは皆で風呂に入っていた。
「たまにちょっとくらいの贅沢は良いよね」
自分で薪割りもせずに風呂に入ることは、クレイにとっては大変な贅沢である。
旅を続けて街にきたばかりで横になりたい気持ちもあるが、横になるのは洗濯物を干してからがよろしかろう。
クレイは風呂に入ってから帰路につくことにした。
とはいっても、まだこの街の内情を知らない。
公衆浴場がどこにあるか、クレイには全くわからなかった。
貰った地図に従って詰所に伺うのもいいかもしれないが、事件でもないのにそういう場所へ押しかけるのは躊躇われた。
風呂に入るぞ、という欲が胸の中に湧いてくると、なんだか身体が痒くなってくる。
はやくこの掻痒を洗い流したいものだ。
さてはてどうしたものかと考えあぐねながらクレイが左右を確かめながら歩いていると、臭気とは別の香りが鼻をくすぐった。
振りむけば男が歩いている。酒を飲みながら気分良さそうに歩いている。
その赤ら顔からはアルコールの臭いとは別に、良い香りがしたのだった。
おそらく香油かなにかの類である。
都市部では体臭消しのために風呂湯に香草を足すと耳に挟んだことがある。
そしてよく見れば、肌のほうもつやつやとしている。
その上気した顔と肌の感触から、クレイは男は浴場の帰りと判断した。
向けた顔の先から、鼻歌まで聞こえてくる。男はかなり上機嫌であった。
これならもし違っていても邪険にされることはないだろう。
クレイは男に道を尋ねることにした。
「すいません」
「あん?」
尋ねられて男は振り返る。
じろじろとこちらを不審そうに見るが、声をかけてきたのが少年とわかって態度は幾分和らいだようだった。
「なんだいボウズ」
「道を教えて欲しいのですが」
「道だぁ?」
酒臭い息を吐きながら男が近づいてくる。
なんで俺がと言った表情だ。
大人に臆することなくクレイは続ける。
「ええ、よく道がわからなくて。だから教えて欲しいんです」
「何で俺なんかに? 知り合いだっけ?」
「いえ、たんなる通りすがりです」
「じゃあ俺は関係ないな」
関係ないといって男は立ち去ろうするとする。
その背にクレイは再び声をかけた。
「待ってください! 知ってるかだけでも教えて欲しいんです」
「あーあー、他の誰かに尋ねるんだな」
手をヒラヒラ動かしながら男は言ってしまう。
その背にダメ元でクレイは尋ねる。
「すいません、じゃあせめてあるかどうかだけでも。風呂屋ってこの辺にありますか?」
男が、ピタリと足を止めた。
そしてゆっくりと振り返る。
「……風呂屋行きたいのか? お前が?」
「え? ええ……そうなんです」
男はクレイをまたじろじろと眺め回す。
だがその目に不信感は無い。興味深そうに見てくるのだ。
じろじろと見つめられるのはあまり良い気分はしないが、相手は立ち去ろうとはしない。
機嫌を損ねないようにじっとしていたクレイにむかって、やがて男の声がかかった。
「ほうほうほう、そうかお前さん。すっきりしたいって訳だねぇ」
「はい、そうなんです。街にはあると聞きましたので」
「街? お前さんこの街の人間じゃないのか?」
先ほどとは違い、随分と気安い口調で声をかけてくる男にクレイはおずおずと頷いた。
確かに自分はこの街の生まれではない。
余所者である。
だからそんなことを問われると疎外感を感じてしまう。
しかし男はまるで同郷の友にあったかのように、肩をバンバンと叩いてくるではないか。
「そうかそうか! まあ俺もわかるよ! 男だもんな!」
酔いのせいかそれとも話して距離が縮んだのか、男は楽しそうだ。
その勢いにのまれ、クレイはただ頷くことしか出来ない。
「余所からわざわざやってくるとはな! 気にいった! おじさんが教えてやろう」
「あ、ありがとうございます……?」
態度の変化に困惑するが、教えてくれるならばありがたい。
男は丁寧優しくそこまでの場所をクレイに教えてくれる。
そこまでの場所は、ここからはそう離れてはいない。
そんなに歩かなくても良さそうだ。
おそらく男が上機嫌なのも、そこから出てすぐのことだったのだろう。
「じゃあなボウズ! 頑張れよ!」
男は手を振りながら去って行く。
ぐいぐいとくるその話しぶりには気圧されたが、悪い人ではなさそうだった。
クレイも礼を言ってその場を離れる。
なんだか一層疲れた気がする。はやくゆっくりしたかった。
「今日は休んで、明日にすれば良かったかな」
山道は起伏があるがは泥土であった。ここは平坦ではあるが、石畳の路である。
固い足下は少なからずの疲労を蓄積させている。
体力に自身があるほうだったが、それは同年代と比べてのことである。
やはり少年の身では色々無理がある。早くこれを癒したかった。
あともう少し。
クレイは教えられた場所にむかって、なるべく早く急ぐことにした。
小路を抜けて大路へと抜けると、そこにはやはり建物が建ち並んでいる。
男が言うには、このまま行けばその区画へと辿りつけるらしい。
陽は落ちてはいるがまだ夕には遠い。一汗流しても明るいうちに帰れるだろう。
目的の場所はどこかなと、辺りを見回した。
路地を歩くうちに、クレイは違和感に気づく。
何というか、見られている感覚がするのだ。
自分が余所者だからだろうか。
それに気づき、辺りをよくよく見てみれば、やはり視線を感じる。
その視線に目を向ければ、こちらを興味深そうに見ている周りの大人たち。
もしクレイがもう少し注意深く見ていれば、それは女性ということに気がついただろう。
クレイを興味深そうに見る周りは、大人の女性達だ。
時々男性ともすれ違うが、圧倒的に女性の方が多い。
この街に来たばかりのクレイには、その違和感に気づいていない。
そんなものだと納得し、堂々と通りを歩いている。
その格好が、周囲の目を惹くとも気づかずに。
「おかしいな。そろそろのはずなんだけどな」
教えられた通りにクレイは足を進めていたが、それらしき建物を見つけることは出来ない。
左右には何階建ての建物ばかりで、湯の風情は感じられない。
さては担がれたか。頭にそんな疑念がよぎる。
しかしあの態度は、自分を騙そうという風ではなかった。
だが、ここが何処かと問われても答えようが無い。
不安を打ち消そうと、クレイは辺りの人に尋ねることにした。
そのうちのひとつ、やはり興味深げな視線をおくる女性にへと。
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