第24話 そして繰り返す
放課後はうっかり一人の時間が出来た。
ゆきめが小林先生に部活の件で呼ばれたそうで、俺は先に一人で部室に向かった。
すると偶然九条さんが前を歩いていたので声をかけた。
「おつかれ九条さん。今朝はありがとう」
「あ、高山君お疲れ様。こちらこそどうも」
特にこっちを見るでもなく淡々と言葉を投げ返してくる九条さんを見ていると、ゆきめがなぜあれほどに敵対視するのかがまたわからなくなる。
「明日も朝練するの?」
「ええ、明日も来る?」
「え、いいの?」
「べ、別に来なくてもいいわよ。でも道具出すときとか男手があると便利なだけだし」
「じゃあ考えとくよ」
「うん……」
気のせいだろうか、一瞬だが九条さんが笑ったような気がしたが……
しかし九条さんはその後も凛とした顔でさっさと歩いて行ってしまったのできっと気のせいだろうと思い、俺も男子更衣室に向かった。
俺は普段、着替えはさっさと終わらせて出て行くし誰とも喋ることはない。
しかし今日は一人の部員に声をかけられた。
「高山、お前どうやって神坂さんを口説いたんだよ?」
興味津々な顔で俺に話しかけてきたのは、同じ一年生で走り幅跳びの選手をしている加藤だった。
彼は去年、中学生ながらに7m22㎝という記録を出して、中学歴代10傑にも名を連ねたスーパーマンだ。
高校では三段跳びにも挑戦中とのことで、彼もまたこの部活はおろか陸上界の有望株として注目を集めている。
それに加藤はイケメンだ。
180㎝を超える長身と、少し濃いが俳優のようなホリの深い顔立ちで女子生徒からも人気がある。
俺と加藤はよく試合会場で会うこともあって昔から顔なじみではあるが、特に遊びに行ったりなんて程の仲ではない。
「い、いやなんとなくというか……それに俺からじゃないし」
「マジで!? いいなぁお前、あんな美人が彼女だったら毎日幸せだろ?」
加藤はただ普通に当たり前にゆきめに好かれている俺を羨んだ。
まぁ内情を知らなければこいつに限ったことではなく誰もがそう思うだろう。
しかし実際は、毎日少しずつ幸せの本質から逸れていっているだけである。
歪な愛の形に怯えながら、その重みに押しつぶされそうになるのを必死で耐えて耐えて耐え抜く。そして今日も一日耐えきれたということにだけ喜びを感じられる歪んだ日々だ。
「そんないいもんじゃないよ……」
「またまた、そんなわけあるかよ。神坂さんと話してる時のお前、すっげー穏やかな顔してるの、知らないだろ?」
「……俺が?」
聞き捨てならないことを言われた。
俺がゆきめと話していて穏やかな顔をしている、だと?
そんなわけはないし、そんなはずもないし、そんなつもりもなければ今後そうなる予定もない。
もしそれが事実なのだとしたら、俺はきっと将来俳優になって有名人になれるだろう。
それくらいあり得ないことを加藤に言われて俺は少し苛立った。
「絶対ないから、気のせいだよ」
「照れるなってー。それよりさ、今度神坂さんに紹介してもらいたい子がいるんだけど、頼めない?」
なるほどこれが本題かと、今日唐突に加藤に話しかけられたことへの疑問が一気に晴れた。
ずいぶん回りくどい聞き方をしてくるじゃないかこいつも。
それに、その過程でわざわざ人を不愉快にさせてくれたんだから、ほんと余計な話でしかない。
「お前なら紹介なんかなくても声かけたら一発だろ」
「そうでもないんだってー。陸上知らない奴からしたら俺とかただののっぽだよ。な、頼むって」
「……ちなみに誰だ?」
「お前のクラスにいる
「あー、あの子か」
遠坂アリアとは、同じ一年生で学年ナンバーワンの学力を持つ帰国子女だ。
染め上げたようなホワイトブロンドの腰まで伸びる長い髪が特徴的で、ハーフらしいはっきりした目鼻に大きな瞳は少し青い。そのあまりの美人さに入学当初はファンクラブなんかもできて大騒ぎになり学校側が規制をかける騒動にまでなっていたほどだ。
もちろんそんな騒ぎの中でも俺は蚊帳の外だったし、一緒のクラスとは言ってもいつもクラスの綺麗どころの女子が彼女の周りを陣取っていたので会話をすることなんてありもしない存在だ。
「でも、ゆきめが仲いいとは限らないぞ?」
「いやいや、二人が話してるの見たんだよ」
「いつ?」
「今朝だよ。登校中に二人が一緒だったから仲いいんだなって」
「……」
そう言えば今日は九条さんと朝練してたからゆきめとは一緒に登校していないから誰といても不思議ではない。
とはいえ、あいつが女子と待ち合わせて学校に来るなんてことも考えにくい。
偶然遠坂さんに出くわして一緒に登校した、ということなのだろうが俺は少しだけ嫌な予感がしていた。
「じゃあ頼むぜ」
加藤は先に着替え終わって更衣室を飛び出した。
そして俺もすぐにグラウンドに出ると、待ち構えていたかのようにジャージ姿のゆきめが俺のところにやってきた。
「高山君、今日は先生から疲労を抜くメニューにしろって。だから私手伝うね」
「あ、あのさゆきめ。遠坂さんとは仲いいのか?」
俺は正直ゆきめの前で他の女子の名前を出すのは怖かった。
しかし、別に加藤の為というのではなく俺自身が気になったので敢えてその質問をしてみた。
そして結果は予想通り、ゆきめは目の奥を濁らせた。
「アリアちゃんがどうしたの? ついにあの子にまで手を出そうってこと? 可愛いもんねあの子。人気だし、でも彼氏いないし。一緒のクラスだからチャンス多いもんね。何かな? 紹介してほしいのかな? ずいぶん大胆だね。」
「ち、違う違う! 話を聞けよ……」
俺は別に加藤の話をするつもりはなかったが、ゆきめが怖かったので仕方なく用件を伝えた。
「なぁんだそういうことか。でも難しいかなそれは」
「だよな。いや、別に無理にってわけじゃないからいいんだけどさ」
「ちなみにアリアちゃん、高山君のこと狙ってるよ?」
「はぁ?」
またゆきめがわけのわからないことを言いだした。
あの遠坂さんが俺を? そんなわけあるか、絶対にあり得ない。
九条さんもそうだが、話したこともない女子から惚れられるほど俺はイケメンでもないしクラスで目立ってもいない。
まぁ話したことがないまま、勝手に人の家族と仲良くなって彼女面して押しかけてきたやつもいるけど、こいつは例外だ。
「さすがにそれはないだろ」
「あるよ。本人から聞いたし」
「はぁ? そ、それでお前はなんて言ったんだ?」
「別に? 眼中にないしあんな子」
ゆきめの基準がよくわからない。
遠坂さんは学年でも最上位に位置するほどの人気女子だ。
それに対抗心を燃やさない、という理由は何かあるのか?
「ど、どういうことだ?」
「あの子が高山君のこと狙う理由が、私と付き合ってるからなんだもん」
「い、意味がわからないんだけど……」
「私が来てから人気者の座を奪われたから、彼氏を奪ってやるって今朝私に宣言してたわ。だから気を付けてね」
ゆきめは何気なしにそんな話をしてきた。
あっさりと、そしてすんなりと俺は女子同士のドロドロした喧嘩に巻き込まれてしまったようだ。
「い、いやそんな理由で……」
「べ、別に私はヤキモチとかそういうの妬かないもん。アリアちゃんが高山君に告白したってモヤモヤとかしないもん」
「そ、そうか」
「代わりにイライラしてぶっ殺したくなるけどね」
ゆきめはそう言って手に持っていたボールペンをくるっと回した後、真っ二つにへし折った。
「そ、それなら止めたらいいんじゃ……」
「お嬢様だから、言うこと聞かないのよ。だからもしかしたら明日以降にアリアちゃんがアプローチしてくるかもだけど気にしないでね」
ゆきめは俺に念を押したりはしなかった。ただ淡々とそう言ったあとは、その話題も忘れてしまったかのように練習のことについて話しだした。
それでも俺は逆に遠坂さんのことが気になって仕方なくなってしまった。
九条さんのこともあるし、もしかしてモテ期? なんてことをほんの少しだけポジティブに考えたりもしたがすぐにその浅はかな思考を取り下げた。
だいたい九条さんだってまだ俺のことが好きだとはっきりわかったわけでもないし、遠坂さんに限っては俺だからという理由ではなくゆきめの彼氏という存在を惑わそうと躍起になっているだけのようだから、結局俺はモテているわけでもなんでもないのだ。
やっぱりゆきめがきてから俺の周りが騒がしくなったのではなく、ゆきめが俺の周りを騒がせているのだ。
全く厄介でしかないなこいつはと思いながら俺の練習を手伝うゆきめを見ると、ゆきめも俺の方を見てなぜかニッコリ笑った。
全くの無自覚というか、悪気がないというか……それでもこいつのせいで遠坂さんとまで厄介ごとになるのは嫌だったので、ジョギングをしながらゆきめに苦言を呈した。
「あのさ、女の闘いに俺を巻き込むなよ」
「何の話?」
「いやだから、遠坂さんのこととかさ。あと九条さんだって」
「闘いになんかならないよ? みんな相手にならないもん」
「だ、だからって」
「それとも何? アリアちゃんや九条さんに言い寄られたら心が揺れちゃう? 揺れ動いちゃう? ドキドキしちゃう? ワクワクしちゃう? 眠れなくなっちゃう? 私にはそんな態度見せてくれたことないのに」
ゆきめがまたモードに入ってしまった。
俺はまた言い訳をしたが、今回ばかりはゆきめも怒ってしまったのか無言でジョギングを続けることになってしまった。
その後は淡々と、静かに練習を行った。
九条さんも別メニューで調整していて接点がなく、他の人たちも記録会に向けて軽い練習に切り替えていたので活気もなかった。
そして練習が終わり更衣室に行くとメールが入っていた。
相手は九条さんからで、内容は「明日も朝練くる?」というものだった。
もちろん行かないとメールをしようとしたが、それもこれもゆきめに遠慮してのことだと自覚すると、途端にイライラしてきた。
そしてムキになって「明日も行くよ」とメールしてしまった。
それでも俺も男だ。意地もあるしプライドもある。
いつまでもゆきめに屈してなどいられない。朝練ごときで文句を言われるくらいならこっぴどくフッてやる。いや別に付き合ってるわけじゃないんだけど。
でも情けない話、帰り道で少し不機嫌そうなゆきめを見ていると、いつ明日も朝練に行くつもりだとゆきめに告げるか迷ってしまった。
昨日のように快く承諾してくれるのか、それとも怒り出すのか。そんなことを考えているうちに何も言えないまま家に到着してしまい、一度ゆきめは洗濯物を持って部屋に戻ろうとした。
その時だった。
「随分メールの返事が早いんだね。九条さんとの朝練、そんなによかったんだ」
ゆきめは真顔でそう言った。
それだけ言い残して部屋に戻るゆきめを見て俺は、玄関先で膝から崩れ落ちた。
今なら山田がこんな風にうなだれた理由も納得する。
ゆきめに嘘は通用しない、誤魔化せない、だませないということがはっきりとわかった。
もはや今の俺は袋のネズミというよりは籠の中の鳥、いや虫だ。
すぐに俺の部屋にやってきたゆきめはその後も無言だった。
あまりの気まずさというより、あまりある恐怖に耐え切れず俺はゆきめに話しかけた。
「あ、あのさ……朝練、誘われたんだけど断ろうかなって」
「行けばいいじゃん? ていうか行くんでしょ? 返事したんでしょ?」
「い、いやそうだけど……そ、それに朝練くらいで怒るなよ?」
「あ、開き直った。別に怒ってないし。そうそう、今日は九条ネギを使うからね。まずは根っこを落としてから、一気にこう!」
トンと渇いた音がキッチンに響いた。
ゆきめは怒っている。明らかに怒りに満ち溢れている……
やはり今朝は気まぐれで、その上で俺が九条さんの誘いを断るまでが正解のルートだったというわけか。
勇んで部室で九条さんのメールに返事をしたことを今更ながらに悔やんだが、もうそれも後の祭り。
とにかく今はゆきめの機嫌を取り戻さなくては……俺の命が危ない。
「ゆきめ、正直本当は行きたくなかったんだけどさ。九条さんが来れないかっていうから仕方なくというか……だから断るから、だから機嫌直してくれよ」
「一応言い訳してくれるんだ。じゃあ私の言うことなんでも一つ聞いてくれる?」
「な、なんでも……?」
「そう、なんでも。嫌なの?」
「そ、それは……」
ゆきめは今憎しみに満ちた顔で九条ネギを刻んでいる。
あの包丁はとてもよく切れそうだ……
「わ、わかった。それで、なんなんだ?」
「毎日おはようとおやすみと仲直りのキスして?」
「ま、毎日!?」
俺の恐れていた展開になった。
この前のは一度きりの過ちだと自分の中で封印しようとしていたが、毎日、それも複数回のキスとなればもう言い訳の余地もない。
しかも仲直りのキスだと?
そんなの喧嘩の基準も曖昧だし、ゆきめが怒ったふりをするたびにしなければならなくなるような悪条件でしかない。
「い、いや他にはないのか……」
「ない。それのんでくれないんなら、九条さんもこのネギみたいになるかな」
「そ、そんな物騒なこと言うなって……そ、それにその包丁一回置いてから話を」
「やだ。うんって言ってくれなかったらここで死ぬもん」
「……」
完全にゆきめの扱い方を間違えた結果が今なのだと、俺は反省した。
俺ごときが意地になって張り合おうとしたことが、そもそも状況を悪化させる原因だったのだ。
何度こうやって後悔すれば気が済むんだ……いい加減諦めてゆきめには抗わないと決めてしまえよ俺。
そんな声が内側から湧いてきた。もちろんすべてを屈するわけではない、あくまで自分の命が大切だからという防衛本能に従ってという結果で俺はゆきめの要求をのんだ。
「わ、わかった」
「じゃあ早速仲直りだね。ん♪」
「……」
「あれ? やっぱりわかってない?」
「わ、わかったわかった!わかったから……」
目を瞑り唇を差し出すゆきめの右手にはまだ包丁が握られたままだ。
俺は仕方なく、ただ鋭利なものに屈しただけだと自分自身に弁解しながらゆきめにそっとキスをした。
その後恐る恐るゆきめの顔を見ると、顔が真っ赤になっていた。
「べ、別にこうした方が仲直り早いかなって思ったから提案しただけだし!キスしたいから言ってるんじゃないのよ。か、勘違いしないで!」
いや今そのツンデレは無意味だろうと言いたくなるほどに、状況をわかっていないゆきめを見ながら俺は呆れた。
しかしそんな俺に対して、機嫌を取り戻したゆきめはあっさりと「朝練行ってきていいよ」と言って微笑んできた。
もちろん裏がないか確認はしたが、どうやら本心のようである。
それでも気を緩めることなく、朝練に行くのがさも面倒だと言わんばかりのアピールを散々続けていると、ゆきめはこう告げた。
「その代わり、朝もゆきめとチューしてきたよって九条さんに言うんだよ?」
交換条件にしては、あまりに釣り合いの取れないものであった。
それは恥ずかしいからやっぱり朝練は断ると言ったのだが、今度は「言えない理由を恥ずかしいから以外で答えて?」と迫られたので俺はまた言葉を失った。
結局朝練には行くことになった。
はっきり言っていきたくなくなっていたが、逆に行かされる結果になった。
朝練に行かされる、そして俺は生かされる。
なにをちょっとうまいこと言おうとしているんだと自分にツッコミを入れながら現実逃避をしていると、ぐつぐつ沸いた鍋が運び込まれてきた。
「今日はおネギたっぷりの豆乳鍋だよ。」
その味は言うまでもなかった。
ただひたすらに飢えを満たすように鍋を平らげて、お腹いっぱいになったところでゆきめに促されて風呂に入ることにした。
そしてまた夜が来た。
この後俺はゆきめとキスをしなければならない。
そしてまた朝が来る。
その時俺はゆきめとキスをしなければならない……。
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