第16話 映画館は映画を見るところ

 もう俺は駐輪場で何があったかなんて野暮なことは聞かなかった。


 多分聞いてよかったなんてことは一つもないと、それだけは確信に近いものを持っていた。


 そのまま二人で家に帰ることに。

 するとゆきめが早速仕掛けてきた。


「映画に行く前に駅前に服見に行きたいんだけど、いい?」

「まぁいいけど、急だな」

「だって明日お母さんと会うのに変な服着てたら失礼でしょ?」

「べ、別に制服とかでいいだろ? 高校生なんだし」

「ダメよ、誰かに見られたら大変だもの」


 何がどう大変なのかよくわからなかったが、とにかく行くと言って聞かないので渋々鞄だけ置いてすぐに出かけることになった。


 そして駅前のアパレルショップに向かう途中で、ゆきめは少し不思議なことを言い出した。


「明日、もしお母さんから何かお願いされたらちゃんと聞いてあげてね」


 これは察するに、母さんの口からゆきめに都合のいい何かを提案させるのだろう。


 そんな罠には引っかからない。

 俺は随分と用心深くなった。

 そう、こいつのせいで。


「何をお願いしてくるかによるだろそんなの」

「大丈夫だよ、お母さんは高山君のことすごく心配してるから安心させてあげてねってだけのことよ」

「そ、そうだとしてもだな……無理な相談には応じない。いいな」

「ちぇっ、わかった」


 油断も隙もないゆきめのことだから、明日はとんでもないことを母さんに言われるのだろうと覚悟しながら二人で服を見ていると、ゆきめが試着したいと言い出したので俺は待つことに。


「じゃあ待っててね」


 ゆきめは選んだ服を持ってカーテンの向こうに消えた。

 その隙にふと考えたことがあった。


 このまま逃げたらどうなるのか。

 まぁ家は隣だしすぐに足はつくのだろうが、今日という日はゆきめから解放されるのではないか。


 はっきりいって目先のことしか考えていない判断だし、後々のことを考えればしようまでは思わないが、ゆきめにだって隙や弱点はあるのだと言うことを証明したい自分がいた。


 しかしだ。 

 試着室のカーテンの向こうにいるゆきめが「高山君、そこにちゃんといるよね?」と声をかけてきて拙い妄想から目が覚めた。


 やはり俺の考えが読めるのか?

 部屋のみならず俺の心の中まで覗き見てるとしたら、本気で厄介どころではない。


「ねぇ高山君いるの?」

「あ、ああいるよ」

「ちなみにどこか行ってもすぐわかるから」

「あ、そう……ん?」


 なんだ、今の発言はどういう意味だ?


 なぜわかる?

 お前は全知全能の神だとでも言うのか?


 ……いや、考えられることは一つか。


「お前GPSをつけたのか?」

「私はつけてないよ携帯に勝手についてるから。はい、着替え終わったよ」


 ゆきめはカーテンを開けて出てきた。

 俺はゆきめにツッコもうとしたが黙ってしまった。


「どーお?」

「え、あ、いや……」


 彼女の試着した服はなんでもないワンピースだったが、そもそも私服姿なんて部屋着以外見るのも初めてでその綺麗さに言葉を失ってしまった。


「ねぇ、どうなのよ。似合ってる?」

「ま、まぁ似合ってるよ……」

「よかった……って言ってもそれは服を褒められたから喜んで当然なんだからね。べ、別に高山君に褒められて嬉しいとかそういうんじゃ……う、嬉しー♪」


 ゆきめはツンツンしきれずにデレた。

 そして早速、この服くださいと店員に言ってレジに並んでいた。


 まぁ見た目は超がつく美人なんだ。

 そりゃおしゃれをすれば一層可愛く見えるのも当然わ、


 だからゆきめに一瞬でもドキッとしたことだって俺がおかしいからではない、むしろ普通なんだ。


 俺は自分の正当性を主張するように自分に言い聞かせた。


 そして再び制服姿になったゆきめと、ようやく映画館へ向かうこととなる。


「ふふ、楽しみだね。も、もちろん映画の話だよ?」

「はいはい。でも俺も映画は久しぶりだな。いつ最後にきたっけ?」

「去年の9月21日のレイトショーが最後だよ。まだ一年経ってないのに忘れたの?」

「そういえば……ってお前映画館にまでついてきてたのか?」

「何言ってるのよ、一緒の映画見たじゃん。隣で」

「隣で……?」


 俺はうっすらと残る記憶を懸命に探った。


 確かあの日は、一人で人気SFの洋画を見に行ったのだが、夜なのに結構な人が入っていた。


 もちろん隣にも誰か座っていたような気がするのだが……あの時隣にこいつがいたのか?


「嘘だろ……」

「嘘じゃないよー、高山君ったらポップコーンこぼして焦ってたじゃん。私が拾ってあげたんだけどね」

「そ、そんなことが……」


 俺は大きな勘違いをしていたようだ。

 俺の家族と親密になったり、先生と仲良くなったりして周りを固めてばかりいるものだと思っていたが、その実俺のこともしっかり捉えていてすぐ近くにいつもこいつはいたのだ。


 もしかしたら中学の登下校から休みの日までずっと?

 いや、いやいやそんなことは流石に無理だ……


「ほ、他に俺の行ってたところでお前も来ていたなんてところはあるのか?」

「うーん、キリないよ? コンビニの立ち読みも、スポーツショップもだし、高山君が好きだった牛丼屋もよく行ってたじゃん。あ、ゲームセンターでよく格ゲーしてた時ユキミーって名前でよく対戦してたの覚えてる?」

「あ、ああ……」


 いた、いたよユキミーってやつ。

 めっちゃ強いくせに最後やたらと華を持たせてくれるから一体何者だといつも思ってたよ……


 それに今こいつに言われてみればだが、よく映画館に行った時に俺の近くに誰か座るなぁとは思っていた。


しかしそれもたまたま真ん中を陣取っていた俺の付近が見やすい場所だからだと思って、気にもしていなかったが……


「な、何のためにそんなことするんだよ……」

「だって後であの時はこうだったよねーって振り返る思い出が多い方が結婚してからも楽しいじゃん。」

「い、いやそれは普通付き合ってる人間とだな……」

「他の女との思い出を私で上書きするなんて絶対嫌だもん。振り返った時に全部私との思い出じゃないと嫌だもん。うん、絶対嫌」


 そりゃ嫌だと言う気持ちは1万歩くらい譲ってわかったとしよう。

 しかしそれを実行する辺りが狂ってる。


 それにそんなに執拗にストーカーするくらいならなんで俺に声をかけてこなかったんだ?


「なぁ、お前って俺に話しかけようとか思わなかったのか?」

「毎日思ってたよ」

「じゃあ普通に声かけてくれたらよかったんじゃないか……」

「だって……勇気なかったんだもん……」


 乙女の恥じらい全開でゆきめが顔を赤くしながらこっちをチラ見してくる。


 ただツッコミどころがありすぎてそれにときめく余裕もなかった。

 声かける勇気はないのに、話したことのない人間の家族と話すコミュ力や度胸はなぜ、どこから生まれてくる?


 それにストーカーしてるのがバレたら嫌われるなんて思ったことは一切ないのか?

 それにそれにそもそもどうやってそんなに毎日俺をつけ回す時間があった?


 こいつ、学校に行ってなかったのか?


「どうしたの高山君?」

「い、いや聞きたいことがありすぎて整理が追いつかなくてだな……」

「ちなみに中学の時に一週間だけ付き合ってた亜美ちゃんになんでフラれたかわかる?」

「え、あの時はたしか……」


 中学2年の夏に俺は、一つ後輩の亜美ちゃんという子から告白されて付き合うことになったのだが、その一週間後にすぐフラれた。

 理由はわからなかったが、確かあの時「先輩の嘘つき」なんて言われたのを思い出した。


「……まさかお前」

「ふふ、私がいるのに勝手に人のもの横取りしたらダメよね。あの子、ちょっと純粋そうだったからちゃんと現実を教えてあげただけよ。ねっ、浮気は罪だもんね」


 思い出に浸るようにゆきめはクスクスと笑った。


 そして俺が唖然としているところで映画館に着いてしまった。


「さ、着いたしチケット買おうよ。あとポップコーンと飲み物も。高山君はいつもメロンソーダだったよね」


 ああ、大正解だ。

 ちなみに俺はいつも最後尾の真ん中に座るのだが、こいつが指定した席もドンピシャでそこだ。


 なんて便利なんだろう、何も言わずとも通じ合っているようだ。

 タネを知らなければ俺は運命じゃないかとときめいてしまったかもしれない。


 しかし今はゆきめの話が一つずつ俺の思い出とリンクする度に動悸が激しくなる。

 

 もう、何かに怒る気も失せてそのまま映画館の中へ。


 そして映画館にゆきめと並んで座った時に妙な既視感に襲われた。

 ああ、多分こうやっていつもこいつと映画を見ていたんだろう。


 映画が始まる直前、絶望感に襲われる俺の隣で照れ臭そうに微笑むゆきめが、俺にしか聞こえないような声で呟いた。


「手、繋いでいい?」


 俺はとっさに横を見たが、彼女はスクリーンの方を向いて俺とは目を合わさない。 


 しかしここで私語は厳禁だから反論ができない。

 両脇にも人が座っていて逃げることも許されない。


 逃げ場のない暗闇でゆきめの手が俺の手に触れる。

 そしてそれ単独で動く生き物のように彼女の手が俺に絡まってくる。


 何度かそれをかわしたが、やがて袖をつままれてジ・エンドだ。


 ゆきめの細く綺麗な指が俺の指の隙間にスルスルと入り込んでくる。

 その気持ち良い感触に俺は理性が飛びそうになるのを必死に我慢して。

 気を紛らわすように映画を見た。


 時々その指が動くたびに俺の背筋がピンと伸びた。


 まだ映画は始まったばかりだ……。

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