第15話 宣戦布告

 俺の朝は早い。

 というか強制的に早くなった。


 毎朝4時半には玄関のドアが強く揺れる。

 合鍵を持ってはいても、なぜか使うのはためらっているようで。

 まずノック、というかもはや壁を殴る勢いでゆきめは俺に朝を告げる。


 その時には基本的には既に制服に着替えている。一体こいつは何時起きなのかと聞いてみたいが、彼女のプライベートには踏み込まないほうが賢明と判断し、その質問は封印する。


 そして部屋に来るとすぐに朝食を作ってくれる。


 その間の彼女は静かだ。

 しかし、前日に泊まりを拒否したことが響いていたのかブツブツと何かを呟いていた。


 俺はそれを聞かないようにと朝のニュースをつけて日が昇るのを待つ。


 朝食は和洋問わずバリエーションに富んでいてどれもうまい。

 朝が苦手な俺でもモリモリ食べれてしまうのだから相当なもんだ。


 そして一通りのことが終わるとゆきめはまたキッチンで何かを作り始める。


「それ、お弁当?」

「んーん、お弁当はもう作ってカバンに入れてるよ。これは、今日部活のみんなに配る用のお菓子作ってるの。とはいっても朝ほとんどやっておいたから仕上げで焼くだけだけどね」


 見ると生地のようなものを小さく型抜きし、オーブンで焼いていた。

 このオーブンはもちろんゆきめが勝手に設置したものだ。 

 どうやら手作りクッキーのようだ。


「へ、へぇすごいな。それに型もたくさんあるし、ハートのやつなんかもらった男子は勘違いするんじゃないか?」


 こいつは学校中の男子のスケベ心を一心に集めているくせに、手だしどころか関わることすらもさせずにつっぱねているから、こいつをさらってくれそうなライバルも出現しない。


 しかし何かのきっかけで勘違いした男子がこいつに言い寄る、なんて展開でもあれば俺もそいつに少しだけ期待を持つことができるのだけど……


「大丈夫、ハートマークは全部高山君の分だから。女子は星、男子は丸いのにしたよ。」

「あ、そう……」


 みんなの分として小さな袋に小分けしたクッキーの中にひと際大きな袋が一つだけあった。

 そしてそれには無数のハート形クッキーが詰められており、更には何か文字まで書いていた。


「何書いてるんだそれ?」

「ふふ、私と高山君のイニシャル入れちゃった♪」


 俺はそのイニシャルが書かれた二人の関係性が砕けてしまえばいいのにという気持ちで全力でそのクッキーをかみ砕く決意をしてから、もう一度部屋に戻った。


 やがてゆきめが準備を終えると、紙袋にクッキーを詰めて学校に向かうこととなった。


 登校中に俺が僻まれることは少なくなった。

 しかしゆきめのことはほとんどの生徒が男女問わず見てくることに変わりはない。


 やはりこいつは目立つ。

 そしていつも傍らにいる俺の存在が徐々に認められつつあるのも何となくわかる。

 もはや家族からも学校中からも俺とゆきめは付き合っていると、そう見られている。


 しかし誰になんと思われようが俺はこいつとの関係を認めない。

 いくらよくされようが美人だろうが、こいつの頭のおかしさを目の当たりにして好きになるなんてあってはならないのだ。


 そんな強い気持ちを持たないと挫けてしまいそうなので、なんとか気力を振り絞って。


 今日も無事、放課後までたどり着いた。

 俺とゆきめは揃って陸上部へ向かった。


「あ……」


 ゆきめと一旦別れてから着替えを終えて集合場所に集まると、もちろんだが九条さんがいた。


 はっきり言って気まずい……。

 彼女の仕事のミスを目の当たりにしてしまったのもあるし、ゆきめが見せつけるように九条さんの前でベタベタしてきたのも見られてると思うと恥ずかしい。

 九条さんはいつものようにクールに遠くを見つめているので、何を考えているかはわからないが、それでもいつもより顔が暗く感じる。


 全体のアップを終えてストレッチをした後、パート練習に移る前になると、ゆきめがみんなに声をかけていた。


「皆さん、今日クッキー焼いてきたので終わったら食べてくださいねー」


 その声に部内の男子たちの目が光った。

 みんなストレッチなどそっちのけでゆきめに群がった。


 まるで飢えた獣のようなそいつらに順番にクッキーを配ったあと、女子にも同じようにそれを分けていくゆきめは、もちろん九条さんのところにもやってきた。


「はい、九条さんもどうぞ。」

「……ありがと」


 九条さんは表情一つ変えずにそれを受け取るとそっとカバンにしまっていた。


 その後練習中のゆきめは小林先生と一緒に色んなパートの道具の準備や記録係など忙しそうに動いていた。


 意外というかああいうところはきっちりしているから余計に彼女という人間がわからなくなる。


 なぜあんなにまともそうなのに俺に関してだけあそこまで異常になるのだろう?


 考えたくもないが、俺がいけないのではと自虐的にもなってしまう。

 そしてハァっとため息をついた時に九条さんが初めてこっちを見て話しかけてきた。


「き、昨日はごめんなさい」

「え? いやいやアルバイトしてたなんて知らなくて。こっちこそ邪魔してごめん」

「いえ、私の問題だから。それじゃ」


 九条さんは短めに話を終えてまた練習に戻った。


 あの様子だと、やはりゆきめの考えすぎなのではないかと思う。

 九条さんが俺のことを好きなのだとしたら、さすがにもう少し愛想よく接してくれてもいいだろうに。


 結局ゆきめの被害妄想で迷惑をかけられた九条さんも被害者だな、なんて考えながら淡々と練習は終わった。


 そして練習が終わると皆、ゆきめの作ったクッキーを幸せそうに食べていた。


 ある男子は「家宝にする」と言って手をつけず、ある男子は「うますぎて今日死んでもいい」と涙していた。


 そんな明るいムードに包まれた陸上部の集まりの中で、俺にだけハートいっぱいの大きな袋を渡すもんだから、みんなからヤジが飛んだ。


 しかしなぜかそれは罵声ではなく、心暖かいイジりだった。

 もう、みんなが俺たちを祝福している。


「高山君、食べてみてよ」

「あ、ああいただきます……う、うまい」

「ほんと? よかった♪」


 うまいんだよ、いやマジで。

 なんだこのクッキー、絶対手作りでこうはならないだろ?

 ケーキ屋でもしろよマジで、絶対流行るから。

 そんで忙し過ぎて俺に構えなくなってくれ。


 女子力が高すぎてもはや女子力選手権なんてものがあればゆきめは満票を集めて優勝できるだろう。


 痛いところをついたつもりでも動じないし、他はツッコむ隙も見せないこいつに弱点などあるのだろうか?


 いや、ゆきめだって所詮はただの女子高生。

 弱い部分はあるはずだ。

 昨日の九条さんがそうだったように、完璧に見える人間でも実はなんて例はいくらでも……そういえば九条さんの姿が見えないな?


 さっさと帰ったのだろうか。

 まぁいつも無口だからいつ帰ったのかなんて気にしてもいなかったが、なぜか彼女のことが頭をよぎったのでトイレに行くふりをして部室の方へ行ってみた。


 すると部室棟の裏で声が聞こえた。


「あのくそ女の作ったクッキーなんて……あんな泥棒猫の作ったクッキーなんていらないわよ!私、せっかく高山君と同じ高校に入ったのに……」


 俺は見てしまった。

 クッキーの入った袋を片手に、そう呟きながらワナワナと震えて悔しがる九条さんの姿を。


「く、九条さん?」

「た、高山君!? ち、違うのこれは……」


 多分だけどゆきめのクッキーを地面にでも叩きつけようとしていたのだろう。

 慌ててそれを隠し、俺に弁解しながら彼女は逃げていった。


 ……もしかして本当に俺のことが好きなのか?

 いや、単純にゆきめみたいな完璧女子が鼻について嫌いだという可能性もまだあるにはあるが、それではさっき九条さんが言っていたことの説明にはならない。


 わざわざ俺と同じ学校を選んだとか言ってたよな。

 それはつまり、やっぱりそういうことなのか……


「高山君、何してるの?」

「うわっ! ……ゆきめか、いや別に」

「私は九条さんと何してたのかを聞いてるの。何してたの?」

「え、いやたまたまいただけだよ。うん、それだけだ……」

「クッキー、捨てずに持って帰るなんて彼女も偉いね。てっきり踏みつぶしてるかと思ったけど」

「へ?」


 もし異世界ファンタジーを実写でやるとして、敵のボスである魔女のオーディションがあるならゆきめがやればいいのにと思うくらいに悪に満ちた笑顔を浮かべていた。

 もう怖すぎて例えまでぐちゃぐちゃだな……


 こいつ、最初からそのつもりでクッキーを?

 となれば他のみんなに配ったのも、すべては九条さんにクッキーを渡したいがための偽装工作ということなのか?


 いや、どこまで手の込んだ嫌がらせだよ……

 それに九条さんは別に俺を誘ったりもしてこないし、ゆきめに嫌がらせをされる理由なんてないと思うのだが。


「なぁ、なんで九条さんにばっかりそんなにきつく当たるんだ?」

「だって、高山君に好意持ってるでしょ?」

「……それだけ?」

「まぁ話せば長くなるけど、一応大きな理由はそれだけ。」

「な、なんだよ話せば長くなるって……」

「ひ・み・つ♪」


 俺の鼻をツンとしてゆきめは可愛くウインクした。

しかしだ、その後俺に触れた指をじっと見つめてハァハァ言っているゆきめを見て誰が可愛いとなんか思えるだろうか。


 うんざりしながら部室に戻ろうとすると、ゆきめが俺を呼び止める。


「ねぇ、今日は映画デートだって覚えてる?」

「え、今日なの?」

「当たり前よ、私傷ついたんだから早く癒してくれないと死んじゃうわよ」

「わ、わかったよ……」

「ご飯は遅くなるけど帰ってからでいい?」

「それも一緒なのか? いやたまには別々でも」

「ダメ、もし変なもの食べて高山君がお腹を壊したら練習に支障が出るでしょ? これはマネージャーとして当然の務めだからやってるのよ。わかる?」


 ぜーんぜんわかりません……

 マネージャーって毎日家に来て飯まで作って洗濯してくれて風呂で背中まで流してくれて勝手に人の家族と仲良くなるものなのか?


 絶対違うだろ。

 嫁でもそこまでせんわ。


「マネージャーとしての仕事だっていうなら、俺以外の奴にも同じようにやってやれよ。じゃないと不平等だろ?」

「じゃあ私に他の男子部員の家に行って抱かれて来いって言ってるの?」

「な、なんでそんな極端な話になるんだよ……」

「やだ、私高山君以外の男に触れられるなんてやだ、やだよやだよやだよやだよ……」


 急にゆきめが壊れてしまった。

 別に酷いことをいったつもりはない、ただ少し揚げ足を取っただけだ。


 しかしこのままみんながいるところに戻ることもできず、結局発言を取り消してゆきめに詫びて、機嫌をとらされることとなった。


 しばらくして、ようやく落ち着いたところでグラウンドに戻ろうとした時、更衣室から出てきた九条さんにばったり会ってしまった。


「あ、九条さん……お疲れ様」

「おつかれさま……」


 九条さんは目も合わさずに傍の駐輪場に向かい、自転車にまたがろうとしていた。


 しかしその時ゆきめが大きな声で「今日は映画終わったらおうちでご飯食べようね」と、まるで九条さんに聞かせるように言った。


 すると駐輪場でガシャガシャと大きな音がして、気が付けば自転車がドミノ倒しになっていた。

 それを申し訳なさそうに直す九条さんを見て、思わず助けに行こうと足が出たその時、先にゆきめが九条さんの元へ走っていった。


「高山君はそこにいてね」


 俺もすぐ続こうとしたが、ゆきめに言われて足が止まった。

 すくんで、動けなかった。


「大丈夫九条さん? 手伝うよ」


 心配そうにかけよるその姿は、とても演技には見えない。

 果たして本心? いや、それはないだろう。


 今のゆきめが本気だと俺は到底思えないが、それでも九条さんを見捨てなかったのはマネージャーとしてのあいつの責任感、とかなのか?


 よくわからないが困ってる人を助けるのはいいことだ。




「九条さん、動揺してるの?」

「……別に」

「あ、ツンデレキャラ私から盗らないでよ? それに高山君がツンデレ好きだからってそんなにツンツンしてたら損だね」

「べ、別に何もないから……」

「あっそっ。でも私、明日高山君の家族とご飯行くから」

「!?」



 また九条さんが自転車を倒した……

 大丈夫なのかあの子?


 すっかりぐちゃぐちゃになってしまった駐輪場を見て、先生たちが助けにやってきたところでゆきめがこっちに戻ってきた。


 そして俺の横でゆきめは「残念な九条さん」と言って笑った。

 その時の彼女の顔はとてもとても幸せそうな顔をしていた……

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