第17話 パンドラの箱
今見ている映画はどこにでもあるような恋愛映画だ。
少し身体の弱いヒロインと平凡な主人公の切ないラブストーリーがダラダラと長々と大したどんでん返しもなく平々凡々と進んでいく。
まぁこんな映画は二番煎じというよりかつての流行の詰め合わせパックのようだ。
どのシーンもどこかで見たことがあるようなそんな内容に辟易としていたが、ゆきめがそのうんざりな退屈を破壊していく。
なぜか今、ゆきめと俺は手を繋いでいる。
しかも恋人繋ぎだ。
俺は女の子と手を繋いだのも初めてで、確かに緊張もするし変な意識も持つ。
加えて時々小さく艶かしい声で「高山君の手、気持ちいい」と息を吐くものだから途中からは映画どころではない。
途中、スクリーンの光に照らされたゆきめの顔を見ると、うっとりを通り越えて目がイッている。
ただ一点俺と繋いだ手をうっとり見ている。
映画なんて口実で結局これがしたかっただけなのかと呆れたが、それでも時々聞こえる吐息や時々俺の膝にゆきめの膝が当たる。
変な気持ちになりながらただ時間が経つのを待った。
ようやく映画が終わり場内が明るくなると俺たちは立ち上がり、一緒に外に出た。
「あー楽しかった。さ、家に帰ろ」
「ああ、でもその前にこの手を離せ」
ゆきめは繋がれたままの手を離そうとしない。
むしろさっきまでより強く握ってくる。
「なんで? このまま帰ろうよ」
「……ダメだ」
「理由は? ちゃんと言って」
「い、いやなもんはいやなんだよ。恥ずかしいだろ」
「ひどい……私のこと遊びだったんだ、高山くんひどい、ひどいひどいひどい!」
急に映画館を出たところでゆきめが大声で泣き出した。
帰り客がこっちを見ている。
いかん、こっちの方がよっぽど恥ずかしい……
「わ、わかった繋ぐから……だから泣きやんでくれ」
「仕方ないからなの? 嫌々繋ぐの?」
「ち、違うよ繋ぎたいだけだよ……」
頼むからそのうるうるした目はやめてくれ、そういうのは反則だ……
それにすぐ泣いて困らせてくるが、この場合は無視して帰ったりした方が正解なのか?
いや、そんなことしたら寝ている間に俺は寝首をかかれて死ぬかもしれない。
だからそれはできない。
「ふふ、手を繋ぎたいなんて大胆なんだ。でも、そこまで言うから仕方ないから繋いであげてるだけなんだからね」
人に散々言っておいてお前が仕方なしに繋いでどうする……
前後のやりとりなんて全く無視だこいつは。
結局手を繋いで帰る羽目になった。
夜ではあるが誰か知り合いに会わないことだけを祈りながら歩いていると、ゆきめの携帯が鳴った。
「もしもし、ミクちゃん? うん、え、明日一緒に来るの? わかった、楽しみにしてるね」
どうやら俺の妹のミクと電話をしているようだ。
本当に仲いいんだなこいつら……
「明日お母さんと一緒にミクちゃんも来るんだって。」
「なんか気まずいな……」
「大丈夫、私がいるから。仲直りしてくれるって」
「そ、そう、だな」
なぜこんなにも頼りがいがあるんだこいつは。
私がいるから大丈夫なんて、もはやアニメの主人公のようなセリフだ。
俺からすればお前がいるせいで毎日不安なのに。
そんな俺の不安を見透かしているかのように、繋がれた手は強く俺の手を縛った。
結局そのままアパートまで戻り、部屋に入ろうとするとゆきめも自然に俺の部屋に来ようとしてきた。
「い、いや今日はもういいだろ?」
「晩御飯は?」
「て、適当に作って食べるよ」
「じゃあ私がさっと作ってあげるからお風呂入ってきて。その方が効率良いし」
「……」
うっかりこのままサヨナラできないかと思ったけど無理だった。
これ以上の拒否は難しいことは、ゆきめの段々濁りながら渦巻いていく大きな瞳を見て理解した。
部屋に入るとすぐにゆきめが何か作りだしたので俺は逃げるように風呂に入った。
やれやれ、結局毎日ストーカーが家に入り浸っている。
拒絶したら怒ったり泣いたり暴れたりだし、家族まで取り込まれているから逃げようにも方法がない。
学校の席は隣、映画館では一緒に行ってなくても隣、なんなら部屋も隣で最近は寝る時も隣だ。
もうここまで俺の隣を陣取られたら誰も入る隙はない。
最もというか当然それこそがあいつの狙いだろうが……
風呂の中でじっと考えていると、ゆきめがキッチンから俺に声をかけてきた。
「高山君、今日は高山君の好きなビビンバにしたよ。いっぱい食べてね」
「はーい、ありがとう」
もうどうせ拒絶したってそれ以上の勢いで俺にしがみついてきて離してはくれないんだ。
だから深く考えるのはやめよう。
その方がいいのかもしれない。
もう俺は隅々までストーキングされつくしているのだと割り切ったほうが賢明かもしれない。
そうだ、その方が賢明なんだ。
だから俺はあいつと普通に接するフリをする、だけだ。
それ以上のことは何もない。
絶対に。
俺は湯舟に顔まで潜らせて邪念を振り払うかのように自分に言い聞かせた。
お風呂から出たらゆきめが食事を作って待っている。
それだけのことだ。
別に今は見知らぬ他人ではなくクラスメイトなんだし、ありがたいことと思えばそう苦痛ではない。
よし、そうと決まればさっさと飯を食べて寝よう。
どうせ今日も泊まるとか言い出すんだろうけど、別にそれも構わない。
寝るだけだし、寝込みを襲うようなことはしない様子だから大丈夫だ。
俺は決意新たに勢いよく風呂を出て体を拭いてからキッチンを通り部屋に行こうとすると、ちょうどエプロンをかけたゆきめが忙しそうに料理を運んでいた、のだが……
「あ、高山君ちょうどよかった。ご飯できたよ」
「ま、待て後ろを向くな!お前……服は?」
「え、着てないよ? 裸エプロンしちゃった♪」
「こ、こっち来るな! あと服を着ろ!」
俺は大慌てでトイレに逃げ込んだ。
やばい、なんか見えた……谷間? いやそれよりもやばいものが一瞬だけど視界に入った気がする……
俺は興奮と焦りで早くなる心臓の鼓動にクラクラしながらトイレにしがみついた。
すると後ろからゆきめがドアをノックする。
「大丈夫? 気分でも悪くなった?」
「い、いや頼むから服を着てくれ……」
「なんで?」
「なんでって……言わなくてもわかるだろ」
「わかんない。なんで? ねぇなんでなんで?」
言えない……ゆきめの裸を見ると興奮して襲っちゃいそうだからなんて口が裂けても言えない。
それを言ってしまえば、俺はこいつのことを女性として見ていると認めてしまうからだ。
ダメだ、俺の理性なんてあてにはならない。
頼むから諦めて服を着てくれ……
「ねぇなんで?」
「……」
「あ、だんまりするの? じゃあ私も入っちゃうよ?」
「だ、ダメだって!」
俺は慌ててトイレの鍵を閉めた。
そして一度落ち着こうと思い便座に座った。
するとゆきめが静かになった。
……諦めて着替えてるのか?
しかしもちろんそんなわけもなく、なぜかトイレの鍵がガチャッと音を立てて外れるとドアノブが下に下がった。
そしてトイレの扉の隙間からゆきめが顔を覗かせた。
「ねぇ、なんで?」
「く、来るなって! 入ってきたらダメだ!」
俺は必死で扉をしめようとするのだが、動かない。
な、なんて力だ……
「じゃあ理由を言って」
「だ、だからそれは……」
「私を見て興奮するの? してくれるの?」
「……する! するから勘弁してくれ」
「ほんと?」
「ほ、ほんとだって……」
「じゃあ私でドキドキしてるってこと?」
「あ、ああしてるよ……今も動悸が激しくなってるよ……」
「うん、じゃあいいや。ふふ、ウブなんだね高山君は」
ゆきめがようやくトイレの扉から手を離した。
「じゃあ早く済ませてね」
そう言って、彼女は扉を閉めた。
俺はそのあと少しトイレに座って鼓動をおちつかせた。
そして恐る恐る廊下に出ると、ゆきめがいつもの部屋着に戻っていた。
その姿は、もはや愛おしいと言っても過言ではないくらいに俺に安心感を与えた。
「さ、ビビンバ冷めちゃうよ♪」
「ち、近いから離れろ」
ゆきめはコタツ机の上に並べた遅めの夕食を寄せてきて、俺の隣にすり寄ってくる。
「今日はここで食べるの。いいでしょ?」
「ダメって言ったら?」
「脱ぐ」
「……食べよう、このままで」
裸エプロンの意味はなんだったのだろう?
単純に俺を誘っていたのか、ドキドキさせたかっただけなのか。
それとも何かの影響でも受けたとか、はたまた……
「私の裸エプロン、目に焼き付いた?」
「え、いやそれは……」
言われると思い出してしまいまた体が熱くなる。
下半身に流れようとする血流を必死に塞き止めるように飯を食べていると、ゆきめが耳元で俺に囁いてきた。
「さっきの私の写真、高山君の携帯に送っておいたからね」
俺はその瞬間ベッドに置かれた自分の携帯を見た。
確かに何かメールが届いているようだ。
あの中にこいつの裸が……
俺はゴクリと唾を飲んだ。
そしてゆきめはご丁寧に携帯をとって俺に渡してくれた。
「今日は私、ご飯食べたら帰るね。ふふ、いっぱい私の写真を堪能して。あ、でも他人には見せないでよ?」
そう言って先に食べた自分の食器を片付けて今日はあっさりと部屋を出て行った。
俺はそれを見届けた後、つい自分の携帯に目がいった。
このメールを開けば、あのゆきめのあられもない姿が……
い、いやこれは罠だ。見たら最後、俺はあいつに飲み込まれてしまう。
いやしかし、気になるというか、見たい……いやいやダメだ見ちゃだめだ。
俺は葛藤の渦に突き落とされた。
まさか自分の携帯がパンドラの箱になろうとは。
そしてあれだけ望んだゆきめの帰宅がこれほどまでに苦しい現状を生むことになろうとは夢にも思わなかった。
俺は一度携帯を置いて飯を食べた。
そして洗い物をしてからトイレに行った。
その後時計を見たら、時刻は夜の11時過ぎ。
再び携帯に目をやり、俺は唾を飲みこんだ。
するとゆきめから電話が来た。
「も、もしもし」
「高山君、画像見てくれた?」
「い、いやまだ……」
「ふふ、ちなみにちゃんと下から撮ってるからね。それだけ」
電話を切られた。
そして耳に当てていた携帯を顔の前に戻して、待ち受け画面を再び見た。
これを開けば……ダメだ、いや、みたい……ダメだ!
俺の眠れない夜はまだまだ続く。
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