第28話 ストーカー

「高山君、シャワー空いたよ?」

「あ、ああ……それじゃゆきめ、か、代わろうか」

「タオル、外さないの?」

「……ダメだ」


 俺は顔ともちろん股間にもタオルを巻いて湯船を出た。

 手探りでシャワーの椅子までたどり着く時も細心の注意を払った。


 こんな時にラッキースケベでゆきめに触れたりしたらゆきめの術中にハマる。


 なんとか壁伝いで椅子に座ると、ゆきめが湯船に浸かる音がした。


「お湯に入ってるから、もう目をあけても大丈夫だよ?」

「……本当だな?」

「私が高山君に嘘ついたことなんかある?」

「……」


 目を閉じたまま、シャワーを頭に浴びながら今までのゆきめとのやりとりを振り返った。

 ……確かにこいつが俺に不必要に嘘をついたことはない。

 むしろ隠しておいてほしかったような事実まで赤裸々に告白してくるくらいだ。


 つまりこいつの言うことが本当なら俺は目を開けても問題はない、ということか……

 しかし嘘がないのだとすれば、やはり今のゆきめは何も纏ってはいないということだ。


「……やっぱりこのままでいい。あと、洗ったら先にでるから」

「ねぇ高山君、本当に目を開けなくてもいいの?」

「しつこいな、俺は」

「目瞑ってる間、私が何もしてないと思う?」

「ど、どういうことだ……」


 ゆきめはそう言い残して静かになった。

 急に黙るものだから、その静寂で俺は一気に不安に包まれた。


 よくよく考えてみれば、ゆきめの前で目隠しをして裸でいるなんて自殺行為である。

 もしかしたら防水カメラとかで盗撮されているかもしれない。

 はたまた俺の前でいやらしいことを……いや、それはないと思いたいが、いかんせん目隠しをしているとよからぬ妄想が暴走する。


 俺は暗闇に耐えきれず、そっと目に巻いていたタオルを外した。


 そして恐る恐る目を開けると、たしかにゆきめは湯船に浸かって顔だけを覗かせていた。


「あ、やっと目開けてくれた」

「……なにもしてないじゃないか」

「何かしてた方がよかった?」

「いや……でも嘘ついてるじゃないか」

「何かしてるとは言ってないよ?」

「……」


 ゆきめはクスクスと笑っている。

 しかしその下には何も着ることもなく、裸なのだと思うと途端に変な気分になってきてしまった。


「……もう出てもいいか?」

「背中、流すよ?」

「い、いいって……さすがに裸をみるのはまずい」

「どうまずいの? 恋人なのに」

「い、いやそれは……」


 そもそもお前とは恋人ではないから、という大前提を話してしまうとゆきめの逆鱗に触れてしまう。

 この密室でなら俺は溺死させられてもおかしくない。

 しかし恋人だという設定を守りながら話を進めるのはもう限界だ。どうすれば……


「ねぇ高山君、私のこと好きになってよ……」

「え?」

「こんなに頑張ってるのに……どうして振り向いてくれないの? どうしてまだ他の女の子と付き合う可能性を残そうとするの? 他に好きな人がいるなら言ってよ、私もっと頑張るから。ねぇ、私じゃダメなの?」


 ゆきめは水面を見つめながら小さな声で俺に話しかけてくる。


 シャワーの音で掻き消されそうな程の声だが、それでもはっきりとゆきめの言うことは俺に届いた。


 俺は考えた。

 ゆきめと付き合って何がまずいのかと。


 ストーカーのままの彼女だったら拒絶してもよかったと思う。

 しかし、もう知り合ってしまった今となればこいつを否定する材料は少ない。


 むしろここまでよくしてくれて、キスまで済ませておいて知らん顔なんてできるのか?

 

「ねぇ、どうなの?」

「い、いや……」


 俺は答えを見つけられないまま黙り込んでいたが、痺れを切らしたゆきめが湯船から出ようとしたところで慌てて外に飛び出した。


 裸のまま追いかけられるかと思っていたが、ゆきめはそのあともう一度風呂に入り直したようだったので俺は着替えて先に部屋に戻った。


 そしてゆきめが出てくるまでの間、さっき言われたことをずっと考えていた。


 俺は別に好きな人もいない。

 俺の家族もゆきめのことが好きなようだ。

 学校のみんなも俺たちは付き合っていると信じて疑わない。


 それに肝心の俺はどうなんだ?

 ゆきめのことをはっきり好きだとは言えないにしても、一緒にいてドキドキもするし可愛いとも思うし尽くしてくれていることへも感謝している。


 ストーカー体質だって、俺とちゃんと付き合ってしまえばなくなるかもしれないし、むしろ最高に美人な彼女ができて俺も幸せなのかもしれない。


 唯一引っかかるとすれば、俺がこんな気持ちになるのもゆきめの兵糧攻めに屈した結果なのかもしれないと思ってしまうことだけだ。


 それを除けば……


「お風呂出たよー」


 風呂場の方からゆきめの声がした。

 その瞬間俺はハッとなり身構えた。


 ゆきめがうっかり裸でそのまま部屋に来るのではなんて考えたからだ。

 しかしゆきめはちゃんとパジャマに着替えて、濡れた髪をタオルで拭きながら部屋に戻ってきた。


「あれ、私が裸で出てくるの期待してた?」

「し、してないって……それに、やっぱり高校生でそういうことはよくないというか」

「そういうことってどういうことー?」

「……」


 ゆきめが悪そうな笑顔でこっちを見てくる。


 そうだ、別にゆきめはエッチをしようとかそんな話をしてきたわけではない。

 ただ俺の方がゆきめの裸を想像していやらしいことを考えていただけだ。

 だけど、そんなことを考えてたなんて知られたらまたこいつに……


「と、とにかくもう風呂も入ったし気が済んだだろ? もう寝よう」

「今日は出て行けって言わないの?」

「……知らん」


 俺はゆきめの顔をあまり見れなかった。

 見るとうっかりこいつのことを可愛いなんて思ってしまいそうな自分が怖かった。


 ゆきめもゆきめで何も言わずにベッドに入っていった。

 今日はこの辺で満足してくれたということだろうか。


 しかし疲れた。九条さんと買い物に行って気を遣ったのもあるかもしれない。

 ……そういえば九条さんから今日告白されたんだっけ?

 

 そんなことをふと思い出したが、さっきの風呂の一件もあってか告白のことになど特に考えが及ぶ間もなく俺は眠りについた。


 翌朝、ゆきめは比較的遅めの時間に俺を起こした。

 

「おはよう高山君、朝だよ」

「ん……あ、もうこんな時間か」

「でも今日は学校お休みだよ? 記録会だから部活もないし」

「そ、そうだったっけ……ていうか明日は俺も試合か。軽くだけ走りに行こうかな」

「じゃあ私も行くー。そのあとランチしよ」


 ゆきめはすぐに朝食を出してくれた。

 そして俺の隣に座るゆきめは、昨日の風呂での話の続きを俺にしてきた。


「ねぇ、私って魅力ない?」

「……そんなことはないって。でもちょっとやり方がだな」

「そうでもしないと高山君がこっち向いてくれないんだもん」

「だとしてもだな……」

「彼女って言われて、迷惑?」

「……」


 ああ迷惑だ、なんて言葉は出てこなかった。

 少し前なら大声でそう言って突き放したかもしれない。


 しかし今は……


「もう今更だって……みんな俺たちのこと付き合ってるって思ってるんだから」

「嫌じゃない?」

「……別に」

「ほんと?」

「なんだよ、嫌だって言った方がいいのか?」

「んーん、嬉しい♪」


 ゆきめは幸せそうに俺にしがみついてきた。

 もう俺はそれを引き剥がそうともせず、受け入れた。


 まだ好きだとか認めるわけにはいかない、それだけこいつは危険だし不気味ではある。


 しかしここまで俺のことを愛してくれる人もそうはいない。

 その好意に、重さに耐えられるだけのものが俺にないだけなのかもしれない。


 そう思って自分の中で一度納得することにして、この話は終わった。


 そして二人で家を出てグラウンドに行くと、何人かが自主練をしていた。

 その中に九条さんの姿が見えた時、急に昨日の告白を思い出して気恥ずかしくなった。


 向こうも俺に気づいたが、ゆきめといるせいかすぐに目を逸らした。

 今はそれが正解だと俺も思ったので、気づかないフリをしたままゆきめと軽いジョギングをしてからストレッチを終わらせた。


 その後俺がトイレに行こうとすると、ゆきめは何を思ったか九条さんの方へ歩いていった。


 そして二人で何か話をしている……

嫌な予感しかしないが、そこに飛び込む勇気もなく俺はトイレに逃げてしまった。



「お疲れ様、九条さん」

「神坂さん、今日も仲良さそうね」

「ふふ、一緒にお風呂入っちゃった♪」

「そ、そんな話私にされても……」

「告白、残念だったね。ストーカーさん」

「な、何言って」

「私知ってるよ、九条さんがずっと高山君を追いかけてたの。だから温情で貸してあげたけど、でも残念だったね。もう私の高山君に近づかないでね」

「……」

「あ、高山君戻ってきたから行くね」



 トイレから戻るとゆきめが嬉しそうにこっちに走ってきた。


「さ、ランチ行こ」

「お前九条さんと何話してたんだ?」

「ふふ、秘密♪」


 意味深な笑顔を浮かべるゆきめとは対照的に、遠くに見える九条さんの顔はどこか暗かった。


 そしてゆきめは何気なしにあっさりと俺に言ってのけた。


「ストーカーって怖いよね」


 全くその通りだとしか言えない、そんな一言に俺は思わず頷いてしまった。

 しかしゆきめは気分を害するわけでもなくただ嬉しそうに俺にくっついてきていた。


 今の俺はただゆきめが自分のことを棚にあげた発言をしているくらいにしか思わなかった。

 

 だがもう少しして、その言葉の本当の意味を知ることになる。

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