第29話 クマちゃん

「アリアちゃんとはあれからお話した?」


 帰り道、突然ゆきめが俺に聞いてきた。


「遠坂さん? い、いや何も」

「そっか。でも九条さんは高山君のこと好きだったの当たってたでしょ?」

「……だからなんなんだよ」

「なんで好きなのに今まで何もしてこなかったか、わかる?」

「は? それは単に勇気が出ないとかそういう」

「そういう問題じゃないよ」


 ゆきめは何か知っているような口ぶりで楽しそうに話してくる。

 しかし俺はゆきめが何を言いたいのかさっぱりわからない。

 九条さんが俺に冷たくあたってたのは性格の問題で、最近グイグイきだしたのはゆきめがけしかけたから、じゃないのか?


「ふふ、女の子って本当にその人のこと好きだと、見てるだけで幸せになれるんだー。でもそれって、好きな人に特定の相手がいない前提の話なんだけどね」

「何が言いたいんだ? お前の言ってることが俺には」

「だからー、今までずーっと見てるだけでよかったのに相手がいると知ってから急に焦るなんてことはよくあるって話だよ」

「それが九条さんってことなのか?」


 俺はゆきめの言いたいことを探るように質問をすると、ゆきめはふふっと笑いながら得意げに話しだした。


「九条さんはずっと高山君のことばかり見てた。練習の時も試合の時も。これってもうストーカーだよね? あの子、高山君の事ストーカーしてたんだよ?」

「え、嘘だろ? じゃあ九条さんも勝手に家に来たり俺の部屋覗いたりしてたのか?」

「え、そんなこと他人がしたら犯罪じゃん? ずっと見てただけだよ?」

「はぁ?」


 ゆきめは一体何を言っているんだ?

 それならお前の方が断然ストーカーじゃないか。

 まるで自分が極度のストーカーで犯罪者ですと自白しているようにしか聞こえないんだけど……


「だからー、九条さんはずっと彼女がいる高山君のことを練習でも試合でもジロジロ見てたの。それで私、ストーカーには身分をわからせてやろうと思ってー、敢えてその気にさせてから一気に堕としてやったの」

「……九条さんのことはわかった。でも、お前のやってることはストーカーじゃないと?」

「え? 彼女だからおうちに行くのも部屋に行くのも当然でしょ?」

「……」


 ゆきめとの短い付き合いでもこいつが何を考えてこんな事を言っているかなんとなくわかった。


 こいつ、妄想と現実がゴッチャゴチャになってる……

 つまり自分は彼女だから何してもOKで、九条さんは他人だから俺をずっと見てるだけでストーカーだと、そう言いたいのだ。


 ……こいつ、思考回路が焼き切れてやがる。

 自分の事を棚に上げるどころか、神棚に祭り上げて下々を見下してやがる。


 しかし、こいつのこの考え方なら九条さんに異常なまで執拗に攻撃していたのもなんとなくはわかる。


 仮に自分の彼氏にストーカーがいれば、その相手に敵意を持つのは当然だ。

 だがそれはゆきめの妄想、完全な被害妄想である。


「あ、あのさゆきめ……別に好きな人を見てしまうのは普通なことで」

「あの目は網膜に焼き付けて帰ってオカズにしてるようないやらしい目だったよ? 九条さん、私の高山君で何回したんだろ? そう思うといじめたくなるよね」

「……」


 ゆきめの基準では、俺に淡い恋心を持つのでさえ自分以外は許さないという事だろうか。


 ……やっぱりこいつとんでもないやつだ。

 今朝うっかりと「俺もお前が好きだ」みたいな返事をしなくてよかったと心から思うし、我慢した自分を今は褒めてやりたい。


「ね、ランチは何にする?」


 俺のそんな心労など知らぬ存ぜぬな顔でゆきめは楽しそうにしている。


 この機嫌の良さは、九条さんにやりたいことをやれたからなのか、それとも今朝俺がこいつを受け入れたからなのか、はたまたその両方か……


 あまり調子の良いことは言わないように気をつけようと心に誓いながら、ゆきめと二人でうどん屋に入った。


「なんでうどんなんだ?」

「明日試合だから消化のいいものにしないと。わ、私だってマネージャーとして選手の体調とか考えてるんだからね!」


 ゆきめはたしかに俺のことをよく考えてくれている。

 しかし他の人間のことはあまりに卑屈に捉えすぎている気がする。


 マネージャーを名乗るなら、九条さんの精神衛生面も少しは考慮してやれよと言うツッコミはやはり藪蛇なのだろうか。


「ねぇ高山君、この後ちょっと遊びに行かない?」

「え、まぁいいけどあんまり疲れることは」

「そんな高山君に迷惑かけるようなこと私がするとでも?」

「え、いや……」


 よく言えるよなぁ。

 自分が今までしてきたことは迷惑でもなんでもない、当然のことというよりむしろ俺の為だくらいに思ってるんだろうなぁ。


 どういう育ち方をすればこんな狂った考え方が平然と出来る人間になるんだろうか?

 親の顔が……いやそれはこの前見たな。 

 しかもまともだった。

 やはりこの感性は生まれつきのものなのだろうか。

 俺はうどんを美味しそうにすするゆきめを見ながら心の中でため息をついた。


「どうしたの?そんなに遊びに行くのが嫌?」

「え、そ、そんなことは、ないけど」

「じゃあこのあとゲームセンターに行こ」

「ゲームセンター?い、いいけど」

「ふふ、楽しみ」


 ゆきめってそういえば自分の趣味とか好きなものの話を一切してこないよな。

 こいつは普段何を生き甲斐に過ごしているんだ?


「なぁ、お前って好きなこととかあるのか?」

「あるよ、高山君」

「い、いやそういうことじゃなくて……趣味というかさ」

「高山君を見てるのが趣味」

「……だからそれこそゲームとか」

「んーん、高山君が私の生き甲斐」

「……」


 聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなことを平気で言ってくるものだから、俺も言葉を失った。


 なんだよ俺が生き甲斐って……お前は俺の親か何かか?


「私ね、高山君を見ていると幸せなの。でも他の人が高山君を見ているとすごく嫌な気持ちになるの。これって嫉妬なのかなぁ」

「そ、そうなんじゃないか、な……」

「重い?」

「い、いやそれはだな」

「ふふ、でも私より九条さんの方が絶対重いと思うよ。だから彼女が私でよかったね」


 ゆきめは最後まで九条さんがストーカーだというていを崩すことはなかった。


 そしてうどんを食べ終えてから近くのゲームセンターに行くと、ゆきめはクレーンゲームの方へ向かった。


「これかわいい、高山君これとろうよ」

「ああ、今流行ってるよなこのネコの人形。ゆきめはぬいぐるみが好きなのか?」

「なんで?」

「いやだってメアリーとか」

「あの子、人形じゃないよ」

「え……」


 一瞬真面目な顔に戻ったゆきめにとんでもない事を言われて俺は固まった。

 あれが人形じゃない? じゃあなんだ、なんなんだ?

 そういえば散髪とかしてたけど……え、ほんとにメアリーって……


「ふふっ、冗談だよ。でもメアリーちゃんは大事なお友達だから大事にしてあげてね」

「あ、ああ……」

「でもあの子の髪の毛は、本物だから」

「!?」


 またとんでもないことを言われた……

 本物だと? 呪いの人形か何かなのかあれは?

 しかしこれ以上聞いて良いものかどうか、俺は迷いに迷った。

 そして聞くタイミングを失ってしまい、先にゆきめがクレーンゲームを始めてしまった。


「これ、先に取った方の勝ちね。負けたら罰ゲーム」

「罰ゲームって……なんでもいいのか?」

「んー、私が決める」

「……」


 意味ねぇなおい……

 じゃあ俺が勝っても負けても結局損なのは俺じゃないか。いや別に罰ゲームで俺と別れろとか言うつもりまではなかったけど。


 だがそんな俺の考えは杞憂に終わる。

 なんとゆきめは一発で人形を取ってしまったのだ。


「きゃー、とれたとれた!見て見て、かわいー」


 無邪気にはしゃぐゆきめはそれはそれで可愛いものではある。

 周りで遊んでいる他の学校の男子達も、あの可愛い子は誰だと言わんばかりにゆきめをジロジロ見ている。

 

 ほら、気になったら誰だってその人のことを見てしまうものなんだ。ゆきめ理論でいけばこいつらは全員ゆきめのストーカーだと言うことになるぞ? その辺わかってんのかな……


「ふふっ、みんな見てるね」

「あ、ああ……でもそれって」

「まじきっしょ、ジロジロみんな死ねよカス」

「……」


 ゆきめは自分の提唱した理論を崩すことはなかった。

 とにかくジロジロ見るのはダメ、ということだとわかったので、俺も誰か可愛い子がいても絶対にジロジロ見ないでおこうと肝に銘じた。


「じゃあ罰ゲームだね」

「ちょっと待て、俺にも一回プレイさせろよ」

「ダメ、先に取った方の勝ちって言ったもん」

「……ちなみになんだよ?」

「名前で呼ばせて」

「名前?」


 なんのお願いだ?

 別に散々俺の名前なんて呼んでるじゃないか。


「下の名前、ダメかな?」

「あ、そういうことか……いやいいけど」

「じゃあ蒼君!きゃっ、恥ずかしいな」


 なんかひとりでキャッキャしているゆきめを見ても、やっぱり俺はときめかない。

 見てきただけの男子たちをあんなひどい言葉で平気で吐き捨てるゆきめに淑女の嗜みなんてものは皆無である。


 その後もゆきめは楽しそうに次々と人形をとっていった。

 いやクレーンゲーム上手いなとツッコむと「狙った獲物は逃がさないの」と言って笑っていた。


 そして荷物がいっぱいになったので二人で店を出ると、ゆきめが最初に取った猫のぬいぐるみを大事そうに抱えたまま俺に話しかけてきた。


「そういえば、九条さんに告白の返事はしたの?」


 ゆきめは別に怒った様子ではなかった。

 しかしこの手の質問に対しては俺も全身全霊を込めて対応しなければ痛い目を見ることになるとわかっているので慎重に言葉を選んだ。


「え、いや別になにも聞かれてないからまだだけど……聞かれたら断るよ」

「聞かれなくても断ってほしいなぁ」

「……蒸し返す必要もないんじゃないか?」

「九条さんの募る思いが大きくなっちゃう前にバッサリ介錯してあげた方が優しさだと思うけどなー」

「介錯って……」


 ゆきめからすれば俺が直接九条さんを傷つけてくれるのが気持ちいいのだろう。

 しかし俺からすれば好意的に自分の事を見てくれているだけの良い子なので、もちろん傷つける理由もなければ敵対視する理由もない。


「なあ、もう九条さんとは極力関わらないからそれでいいだろ?」

「向こうが蒼君に絡んでくるんだもん。それに私、宣戦布告されちゃったし」

「じゃあ告白の返事は断っておく、それでいいか?」

「うん、じゃあ早速メールして」

「メール?」

「会って話す理由なんかないじゃん。好きじゃないって送っといて」

「い、いや……」


 そんなの送れるわけないだろと戸惑っていると、ゆきめは急に携帯を触りだした。

 そしてよく見るとそれは俺の携帯だった。


「お、おいいつの間に」

「ちょっと待って一通送るだけだから」

「や、やめろ返せって」

「見られたらまずいものでもあるの?」

「そ、そういう問題じゃないだろ……」

「もう送ったから。ハイ、返すね」


 ゆきめは用事を終えるとあっさりと携帯を返してくれた。

 慌てて送信歴を見ると、九条さんに「ごめん無理です」とだけ書かれた文章が送られていた。


「ふふふ、明日学校来るかな九条さん」

「……お前、そこまでしなくてもいいだろ」

「だめ、ストーカーだよ相手は?彼女いるのに告白までしてくる変人だよ?徹底的にやっておかないとまた何するかわかんないでしょ?」

「……」


 だとすればだが、まずお前に対して徹底的に対応しなかった俺が悪かったということなのか。彼女でもないのに勝手に家に来て家族と仲良くして家にまで乗り込んでくる変態だろお前は、というツッコミをあと何回すればいいんだか……


「で、でもこれは九条さんの為を思ってやってあげてるのよ。いつまでもモヤモヤしてたらあの子の精神衛生上もよくないでしょ?そ、それだけだからね」


 無理やりツンデレを盛り込んででたらめなことを言うゆきめの話はもう聞き流すことにした。


 変な疲れを残したまま家に着くと、ゆきめは珍しく自分の部屋に帰るという。


「あとで行くけど、ちょっとゆっくりしてていいよ。一人の時間って大事でしょ?」


 急に物分かりの良いことを言うもんだから俺も戸惑ったが、人の好意には素直に甘えようと、俺も何も言わずに部屋に戻った。



「さてと、明日は私の部屋にお客さんが来るから、このポスターはお片付けしないとだね。ふふ、もう本物の蒼君がいるから必要ないかもだけど」


 私は部屋の壁中に貼られた蒼君の写真やポスターを一枚ずつ剥がしていき、丁寧に段ボールにしまっていった。

 そして明日の来客とやらに電話をかける。


「あ、もしもしゆきめです。はい、明日よろしくお願いしますね。蒼君は先に試合会場に行ってるから10時に駅で待ち合わせで。はーい」


 私はその電話を切った後、今度は蒼君の部屋の様子を見ながら今日ゲーセンで取った猫のぬいぐるみの目をほじくりだして、何かを埋め込んでいた。


「これ、蒼君の部屋の脱衣所に飾っておこうかな。ふふふ、名前は……クマちゃん」


 この名前の由来、決してクマのぬいぐるみだからではない。だって猫だし。

 私の中では「隈なく見渡す」からクマちゃん。


 そしてクマちゃんの改造が終わると、それを持ってまた彼の部屋に戻っていった。


 

 

 

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