第27話 裸の私を

「あ……」


 思わず俺は声をあげてしまった。

 すると九条さんも気まずそうにこっちを見て、そして話しかけてきた。


「こ、この後の約束覚えてる?」

「え?」

「か、買い物よ……ほら見て、今日靴破れたしさすがにまずいかなって」

「あ、うん覚えてるけど……」

「じゃあ、待っててすぐ着替えるから」


 九条さんは恥ずかしそうに俺に話をした後、駆け足で更衣室の方まで行ってしまった。


 まだ俺は行くとも言っていないのだが……

 しかしゆきめはどこに行った? まさかあいつが俺に何も言わずに先に帰ったとは考えにくいし、また裏でこそこそと何か企んでいるのだろうか。


 結局ゆきめの姿を見つけられないまま、着替えてきた九条さんが先に更衣室から出てきた。


「おまたせ」

「い、いや別に大丈夫だけど。それよりゆきめを見なかった?」

「え、神坂さん? 見てないけど」

「……どこにいったんだあいつ?」

「それより早くしないと店閉まるから、行きましょう」

「あ、ああ……」


 今日の九条さんは積極的というか、いつもより図々しく感じる。

 ゆにめがいないからというだけかもしれないが、それでもこんなに俺にグイグイきて大丈夫なのかと、心配にもなった。


「あ、あのさ九条さん」

「神坂さんのこと?」

「い、いやあいつには一応許可もらったけど……九条さんが後で何かされないかなって」

「心配してくれるんだ。ありがと、でも大丈夫」


 九条さんはいつもの様子で淡々と答えてから、また無言になり目的地であるスポーツ店にむけて歩き出したので俺もついて行くことにした。


 そして店内に入るとすぐにお目当てのものがあったのか、欲しそうに一つのシューズを眺めていた。


「いいなぁこれ、かっこいい。でも高いし迷うなぁ……」

「それ、先月出たばっかりのやつだよね。俺も欲しいんだよな」

「そ、そうなんだ……ね、二人で買っちゃう?」

「え? でもお揃いってのはちょっと」

「ほ、他に履いてる人もいるしお揃いとかそんなんじゃないって。どうかしら?」

「そうだな。じゃあ俺も……」


 俺もそのシューズを買おうかと思ったその時、電話が鳴った。


「ちょっとごめん」


 一度店の外に出て携帯を見ると、相手はゆきめだった。

 もちろん俺は慌てて電話に出た。


「も、もしもし?」

「お揃いの靴、いいなぁ。私もほしかったのに」

「お、お前近くにいるのか?」

「さぁ? でも買うのはいいけど、ちゃんと九条さんには言っておいてね。この後私が泊まりにくるって」

「な、なんでそんなこと言う必要が……」

「言わないなら別にいいけど」


 ゆきめは勝手に電話を切った。

 やはりこの買い物もどこかで見られている……そう思うと迂闊なことはできないし、仲良く話しているのすら危険だ。


 それに、電話の向こうから聞こえてきていた何かをハサミで切るような音、あれはなんだ?

 散髪でもしているのか?……いや、それなら俺たちの会話まで聞こえているのは不自然だ……


 少し買い物を楽しめそうな雰囲気に水をさされてというか釘をさされてしまい俺はテンションが下がった……


 店内に戻ると心配そうに九条さんが待っていた。


「大丈夫?」

「だ、大丈夫……でも俺はその靴やめとくよ。まだ今のやつも使えるし」

「そう……じゃあ私買ってくるね」


 ちょっと残念そうな九条さんを見るとこっちも申し訳ない気持ちになった。

 しかしゆきめのやつ、買い物に行かせるのならせめて自由に買い物させてくれよ……


 レジに並ぶ九条さんを見ながらため息をついているとゆきめからまた電話が鳴る。


「……もしもし? もう買い物終わるから」

「ちゃんと九条さんに話した?」

「話したって何を……あ、いやまだだけど」

「帰るまでにはちゃんとしてね。さもないと」

「わ、わかったわかった、わかったから……」

「信じてるね」


 またゆきめが用件を伝えてさっさと電話を切ってしまった。


 信じてるねって……そんなに心配ならそもそも九条さんと買い物に行かさなければいいだろ。

 ゆきめに行くなと言われたら俺はそれを振り払ってまで誰かと買い物になんか行くわけがない。

 

 こんな話を誰かにしたら、ゆきめ一筋なのかと誤解されそうだが、もちろんその理由はあいつが怖いだけである。


 靴を買って少し嬉しそうな九条さんが戻ってくると、俺たちはさっさと店を出ることにした。


「今日は買い物付き合ってくれてありがと」

「い、いや何もしてないけど……目当てのものが見つかってよかったよ」

「……また誘ってもいいかしら?」

「え、うん……」


 九条さんはそう話すと嬉しそうに笑った。

 今日の九条さんは明るい普通の女の子だった。

 中学の時から今日までに抱いていた彼女のイメージとは全然違う和やかな彼女の姿に俺は少しだけ、ほんの少しだけ九条さんのことを綺麗だなぁと思ってしまっていた。


「じゃあまた明日学校で」

「あ、待って九条さん」


 店を出て少しして、九条さんが自分の家の方向へと行こうしたのを俺は呼び止めた。

 そうだ、まだ俺はゆきめからのノルマを達成していない……

 しかし満足そうに帰ろうとする九条さんに対して、敢えてこれからゆきめと会う話をする必要というか、その意味がどこにあるのだ?

 ていうかそんなに九条さんに嫌がらせしたいなら自分ですればいいじゃないか……


 そう思いながらも今朝締め殺されかけたこともあって俺はなんとかゆきめに言われた通り九条さんに話をすることにした。


「なに?」

「え、いや、あの……こ、この後あいつが家に来るんだけど……」

「……なんの話?」

「え、いや」


 そりゃそうだよな、何の話だよこれ……

 九条さんからすれば彼女が俺の家に来たところで、だからなんなんだって話だ。

 

 それにもし俺のことを本当に好きなのだとすれば、こんな話を聞かされても九条さんにはなんの得もないどころか辛いだけだ。


 もちろんそんなことをわかっててあいつは俺にこうさせているのだろうが、彼女を傷つけているとわかっていると尚更胸が痛む……

 この際はっきりと「俺にはゆきめがいるから二人ではもう会えない」と言ってしまった方が楽な気がする。

 誤解も何も、そもそもみんなからは俺とゆきめは毎日キスしまくっているバカップルだと思われてるようだし、かく恥も今更ないだろう。


「ごめん九条さん、俺」

「私、神坂さんに負けないから」

「……へ?」

 

 俺が話し終わる前に九条さんが口を開いた。

 そして九条さんは睨むように俺を見ながらも、頬を真っ赤にしてはっきり俺に宣言してきた。


「神坂さんは高山君に相応しくない。私、絶対あの子には負けないから」

「な、何を言ってるんだ九条さん……」

「私……高山君のことが好きだから。じゃ、また明日」


 九条さんはそう言い残して振り返ると、さっさと行ってしまった。

 そしてその背中をジッと見ていたが、彼女が再びこちらを見ることはなかった。


 ……告白、されたのか?

 え、今俺、好きだって言われたよな、九条さんに……


 あまりに突然の告白に俺の頭は真っ白になった。

 しばらくその場を動けず、道端に立ち尽くしていた。


 そして我に帰ったのは三度目のゆきめからの電話によってだった。


「あ、もしもし……」

「何してるの?」

「え、いや……」


 機嫌が悪いわけではなさそうだ。

 しかし、九条さんから告白されたなんて聞いたらゆきめのやつどうなるか……


「九条さん、やっぱり高山君のこと好きだったでしょ?」

「え?」


 ゆきめが突然嬉しそうにそう言った。

 俺はゆきめの言葉のあと、あたりを見渡した。

 しかしもちろん誰もいない……


「お、お前今どこにいるんだ……」

「ここだよ」


 俺は電話から聞こえる声と重なるように背後から声がしたのを感じてもう一度振り返った。


 すると目の前にゆきめがいた……


「うわっ!お、お前どこに隠れてた……」

「秘密♪ ね、この後買い物行かない?」

「……なんのだよ?」

「晩ご飯のおかずよ。別に九条さんと買い物して私とはしないの?とかそんな重い女みたいなこと言うつもりないから!」


 いやもう言っちゃってるよそれ……


 急に姿をあらわしたゆきめはニコニコと笑っていた。

 しかし眉間に少しシワが寄っているところを見ると、かなりイライラしていたのだろうか……


 ゆきめはゆきめで独占欲がかなり強い。

 しかしそれならなんで九条さんと朝練させたり買い物に行かせたりするのかはほんと謎だ。

 よからぬことを考えてなければいいけど……


「ねぇ、九条さんのことちょっといいなとか思った?」

「は?思うわけないだろ……」

「ほんと?可愛くないなぁって思った?」

「い、いやそこまでは……」

「じゃあ可愛いって思ってるんだ」

「お、思ってないって……」

「ふぅん」


 何か信用していない様子のゆきめだったが、そもそも俺を九条さんと買い物に行かさなければこんなことにならずに済んだんだ。


 勝手に仕向けて勝手に機嫌を損ねるなんて、いい加減にして欲しいものだ……


「でも、告白なんて九条さんも大胆ね。高山君には私がいるのに」

「お前はどう言うつもりで俺と九条さんを二人きりにしたがるんだ?」

「私は行ってもいいとは言ったけど、行けとは一言も言ってないよ?」

「い、いやだけど……」

「むしろ行きたがるのは高山君だよね?そんなに私といるのが息苦しい?私だって我慢してそうさせてあげてるのわかんないかな、かなぁ?」


 ゆきめのスイッチが入ってしまった。

 少し大人しかったのでつい調子に乗ってしまったが、これはまずい方のゆきめだと、顔を見てすぐにわかった。


「い、いやお前が行くなと言えばそれで済むじゃないかって……」

「結局全部私のせい?なんで高山君はいつも他人任せなのかな?私が言わなくてもはっきり九条さんに言ってやればいいじゃん。それとも、告白されてちょっと気持ち揺らいでる?ユラユラしてる?」

「ゆ、揺らいだりなんかして、ない……」


 俺は迫り来るゆきめに圧倒されて、逆らうことができなかった。

 なんとなくわかるのだが、ここで逆らったら俺は家でとんでもない目に遭わされる、そんな気がした……


「じゃあ明日九条さんの告白、きちんと断る?」

「あ、ああ……で、でも九条さん、お前に対抗心を燃やしてたと言うか……」

「負けないんだってね。ふふ、心の芯からへし折ってあげるわ」


 ゆきめは嬉しそうに笑っていた。

 そして俺に手を絡ませてきて、隣に寄り添うように歩きながら言った。


「高山君、悪い女の臭いがついてる。私が洗い流してあげるね」


 ニンマリと笑うゆきめはこの後、スーパーで食材を選ぶ時もレジの時も、その後の帰り道もずっと俺のそばを離れなかった。


 そして当然のように俺の部屋に一緒に入ってきたゆきめは、部屋でも俺から離れようとしない。


「な、なあ、いつまで」

「一緒にお風呂、入ろ?」

「!?」


 ゆきめがペロッと上唇を舐めた。

 俺は唾を飲み込んだあと、首を横に振ったがゆきめは納得しない。


 一緒に入るまでそばを離れないと言って距離をさらに詰めてきた。


 それでもしばらく抵抗したが、最後はゆきめから「まだ続ける?」と言われて俺は諦めた。


 しかし本当にまずいことになった。

 一緒に風呂に入って何もないわけがない……

 しかし何かあってからでは遅い。キスなんか比にならない既成事実ができてしまい、俺は一生ゆきめから離れられなくなってしまう……


 風呂の湯が沸くまでの間に何か回避する方法はないかと部屋を見渡していると、ある異変に気がついた。


「メアリー……髪あんなに短かったっけ?」

「ふふ、よく気付いたね。今日散髪してあげたんだよ」

「さ、散髪?」

「前髪がかかって邪魔そうだったから。さっぱりしたでしょ?」

「……まさかまた伸びたりしないよな?」

「ふふ」


 ゆきめはなぜか笑った。

 その笑いの意味は何なのか、俺にはさっぱりわからない。しかしよく見るとゴミ箱にカットされたメアリーの髪の毛がごっそり捨てられていた。

 それを見て俺は鳥肌がおさまらなくなった。

 

「そろそろお風呂沸くね。ちゃんと身体洗ってあげるからね」

「な、なぁこれって、今日九条さんと買い物に行った罰、なのか……?」

「罰?なぁに罰って?」

「い、いや……」

「あ、お風呂沸いたよ。さ、汚れを落とさないとだね」


 俺は今からゆきめと風呂に入る。

 それは免れることのできない現実である。


 さすがに脱ぐ時くらいは別にしろと拝み倒して、俺は先に服を脱ぎ捨てて風呂に入った。


 そしてドアの向こうでモゾモゾと服を脱ぐゆきめの影が、磨りガラスのドア越しに見える。


 その扉の向こうでゆきめが言う。


「今日九条さんに告白された時の高山君の顔、すっごくいい顔してたよー」


 なんの感情もこもっていないような、淡々とした物言いに俺は温まっていたはずの体が身震いした。


 そしてタオルを巻いたゆきめが「お邪魔しまーす」と言って入ってきた。


 俺はとっさに目を瞑った。

 これ以上はまずいと、タオルを目隠しにして上を向いた。


 するとゆきめの声がした。


「今、何もつけてないよ?」


 耳元で囁かれた事実に俺の下半身は熱くなった。

 同時にその目を塞ぐタオルに手が伸びそうになったのを必死に堪えた。


 今目を開けたら俺の人生は終わる。

 いや、自ら終わらせるに足るだけのものが目の前にある。


 一度俺は呼吸を整えた。

 シャワーの音が聞こえだした。

 どうやらゆきめが髪を洗っているようだ。


 俺は目を開けたらどうなる?

 目を開けたらそこには何がある?

 

 様々な葛藤が頭の中を駆け巡る。

 このまま流れに身を委ねるのも一つだと思いながらも、どうしても自分の人生を諦めきれずに俺は目を塞ぎ続けた。

 

 まるでいつぞやのゆきめの部屋で目隠しをされた時のような気分だ。

 しかしまだあの時の方が楽だ。

 今は自分の意思一つでこの目隠しは取り外しできる。

 そして外したら最後、お終いである……


 やはり自分に主導権を委ねられるより、他人に振り回される人生の方が案外楽なのかもしれない。


 選択というものは時に過酷で残酷な結果をもたらす。

 だから俺は選べない、このタオルを外すかどうかを……


 ずっとこのままというわけにはいかないとわかりながらも、このままゆきめが出て行ってくれないかと淡い期待を持っていた。


 そして少しして、シャワーの音が止まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る