第26話 お揃わない
結論から言えば俺は九条さんに何も言えなかった。
恥ずかしさや気まずさなんてものはとっくに捨てたはずだったが、それでも九条さんが照れくさそうに俺を見つめてくると、傷つけるようなことは何ひとつ言えず淡々と朝の練習を終えてしまった。
これから朝練に毎日参加するかどうかなんて話ももちろん返事を濁していたが、九条さんは勝手に「明日はメディシンボールでも使う?」とか聞いてくるので、すっかり俺が朝練に来るものだと想定している様子だった。
なんか練習中に携帯が何度も鳴っていたような気がしたのはもちろん気のせいではなかった。
更衣室に戻った時、恐る恐る携帯を見ると、そこにはゆきめからのびっくりするほどの着信履歴が残されていた。
さらにメールでも「何で言わないの?」とか「もう練習終わっちゃうよ?」とか、明らかにどこかで見ているかのような内容がこまめに送られてきていた。
もうこのままここでじっとしていたい気分になったが、もちろんそんなわけにもいかず着替えて外に出ると、そこには当たり前のようにゆきめが立っていた。
「お疲れ様、高山君」
「あ、ああ……」
思ったより普通だ。
もうこの時点で包丁を構えて待ち伏せしていてもおかしくはないとすら思っていたが、ゆきめは自然に俺にタオルを渡してきた。
「いい汗かいた?」
「え、まぁそこそこ」
「ふーん、どの辺りに汗かいた?」
「どの辺り? いや、首とか」
「じゃあ拭いてあげるね」
ずっと見ていただろうにしらじらしい奴だなと思いながらもゆにめにタオルを渡した。
するとそのタオルが俺の首にふわりとかかった後。
俺の首を絞めつけてきた。
「がっ! な、なに、を……」
「約束破ったね、だから殺すの」
「か、かはっ……」
俺は必死でタオルを握り首から引き離そうとあがいた。
しかし全体重をかけて俺を絞め殺しに来るゆきめの力は想像以上に強く、徐々に自分の首が絞まっていく……
助けを求めようと辺りを見渡したが、更衣室は元々校舎の端っこにある上に今はまだ登校時間前で人の姿が見当たらない……
「や、やめ、ろ……た、頼む」
「じゃあなんで約束破ったのか、教えて?」
「そ、それは……」
「言えないの? じゃあこのまま死んじゃえ」
ゆきめはさらに力を込めてきた。
いよいよこの手を離したら最後、俺は死ぬ……。
必死に抵抗しながら、酸欠になっていく頭で言い訳を考えた。
「い、言うタイミングが、なかった、だけだ……」
「じゃあ今から九条さん追いかけていって話してくる?」
「は、話す……話すから、殺さない、で……」
「うん、じゃあわかった」
その瞬間パッとゆにめが手を離したので俺は間一髪あの世に行かずに済んだ……
「はぁ……はぁ……げほっ……」
「さ、今なら九条さんはまだ更衣室の方にいるから行ってきて」
ゆきめは冷たい目を俺に向けてそう言った。
俺は殺されたくない一心で、無我夢中で女子更衣室の前まで走った。
少し息を整えながら、九条さんに改めてキスの話をすることに緊張を覚えながらも、死ぬ思いに比べればと割り切るように自分の気持ちを整理した。
そして九条さんが出てきた時に、俺は意を決して叫んだ。
「九条さん、俺、朝もゆきめとキスしてきたんだよ!」
なんの脈絡もないこの発言に、一体何の意味があるのかは俺は知らない。
ゆにめがどういうつもりでここまでして九条さんにこの話を聞かせたかったのかはあいつ以外誰も知ることはない。
しかしそんなことはどうでもいい。
俺は言った、言ったんだ。だからこれで殺されずに済む。
今はただその安心感だけが俺の心を占拠していた。
「何よそれ……わ、私と何の関係があるのその話?」
九条さんは当然戸惑った。
当たり前のことである。急に同級生から待ち伏せされて、一言目に「彼女とキスしたんだぜ俺」と聞かされてすんなり受け入れろという方が無理がある。
社会人であればこんなのセクハラ案件である。
そんな恥ずかしいことを全力でやらされている俺もまたゆきめの被害者だと声を大にして言いたかったが、それでも九条さんの困惑した顔を見ると俺も段々と恥ずかしさが込み上げてきた。
「ご、ごめん急に変なことを……」
「……変態」
少し涙目になりながら九条さんは俺にそう言い残して去って行った。
もう完全に嫌われただろうな……
それに朝練にも明日から顔を出すわけにもいかないだろう。
いや、これでよかったのかもしれない。
九条さんも俺と疎遠な方がゆきめから嫌がらせを受けずに済むんだし、俺も九条さんのことでゆきめからあれこれ言われずに済む。
九条さんの性格上、誰かに言いふらしたりすることもなさそうだし、俺はこれが最善だったのだと割り切って教室に向かうことにした。
しかし今日も学校が騒がしい。
何かあったのだろうか?
「おい高山、お前神坂さんと毎朝キスしてるんだって?お前になりたいよー俺も」
「!?」
教室の前で加藤に急に声をかけられた。
そしてついさっき悩まされた案件についていじられて俺は焦りに焦った。
「だ、誰がそんなことを!?」
「え、今朝から学校中の噂だぜ?」
「い、いやそれはだな……」
一体誰が?……もしかして九条さんが?
い、いや九条さんはさっき部室を出たところだ。
となると……
「高山君、なんか私たちのこと噂されてるね♪」
ゆきめが何食わぬ顔でやってきた。
そうだ、絶対犯人はこいつだ……
「おいどういうことだ?」
「なにがー?」
「噂流したのお前だろ?」
「噂?事実じゃん」
ゆきめは当たり前のように答えた。
むしろ何が悪いのかと言わんばかりだった。
「いや、事実だけどさ……」
「じゃあいいじゃん。そんなにコソコソする理由が何かある?」
「……ない、です」
「で、でも別に嬉しくてあちこちに言い回ってたわけとかじゃないからね!」
一応最後にツンツンするのはお約束、なのだろうか?
しかしそう言ったと思えば今度は急にデレる。
「見て、みんな私たちをみてるよ。美男美女カップルにみんな羨んでるのかなぁ。えへへ」
「……」
俺は知っている。
男子から向けられる俺への視線は殺意でしかないと……
「あのさ、ゆきめはみんなの注目の的だから嫉妬されるんだよ……」
「そんなの関係ないじゃん、私は高山君が好きなんだから」
「まぁそうだけどさ……」
「それより早く教室入ろ!」
ゆきめに手を引かれて教室に入ったが、その中の空気はもはやカオスだった。
女子はキャーキャー言ってうるさいし、男子は結託したように俺を睨みつける。
別に欲しいと思ったことはないが、これでは俺に高校時代の友人など多くは望めないな……
そのまま授業が始まったが、その間もどこからともなく送られる鋭い視線に怯える時間が続いた。
昼休みになり、俺は逃げるように屋上に向かった。
あの雰囲気の教室にはとてもじゃないがいられない。
うっかりゆきめを置いてきてしまったが、どうせあいつのことなら俺を見つけるだろうと考えていたそれすら甘い考えだった。
いつ、どのようにして先回りしたのかは全く不明だが屋上に着くと先にゆきめが立っていた。
「え、なんでいるの……」
「お弁当、忘れてったでしょ?」
「い、いやなんで俺がここに来るってわかった……?」
「中学の時から悩んだら屋上に行く癖、そのまんまだね」
「……」
そうだ、俺は嫌なことがあったり悩みが晴れない時はいつも屋上で黄昏ていた。
今も何気なしに屋上へ向かったのだったが、それすらゆきめには知られているし読まれていた、ということだ。
「でもなんで屋上に来たの?嫌なことあった?」
「お前のせいだよ……」
「え、もしかして二人きりになりたかったの?」
「なんでそうなる……」
プラス思考もいい加減にしろと言いたくなる程に楽観的で短絡的で、それでいて間違った答えだった……
「こんなこと続けてたら、俺はまた山田みたいなやつにいじめられるかもしれないぞ?お前はそれでもいいのか?」
「そんなことしてくるやついたら殺すからいいよ?」
「……」
殺すって……でもゆきめならそれが冗談や過剰な表現に聞こえないのだから不思議だ。
「と、とにかくだな」
「それより私に言うことあるんじゃないの?」
「え?」
「ほら、放課後のこと」
「放課後……あっ!」
そういえば放課後、九条さんに買い物に誘われてたんだっけ……
なんであいつが知ってるんだとは今更思わないが、しかしあんなことがあった後だし当然買い物の誘いも自動的になくなったと思っていたが……
「い、いやさすがにもう誘ってこないだろ?」
「隠してたの?」
「ち、違う忘れてただけだ……」
「じゃあ今思い出したから教えて。行くの?」
「い、行かない……」
「なんで?」
「え?」
なんでってどういうことだ?
九条さんと買い物には行かない、以上お終いというわけにはいかないのか?
「なんでって……」
「高山君もシューズ傷んでるし買ってきたら?私、靴には詳しくないから九条さんに聞いたらいいよ」
俺はゆきめの意図が未だによくわからない。
九条さんと俺を二人にさせて何かこいつにメリットがあるのか?
考えられる可能性としたら、俺と九条さんの浮気現場(浮気じゃないけど)をおさえて俺を脅すつもりとかだろうか。
しかし俺が九条さんに恋愛感情を持っていないのだし、今朝うっかり絞殺されかけた俺がそんなリスキーなことをすると本気で思っているのか?
「まぁ今朝の感じだと九条さんから誘ってくることはないと思うけど、もし声かけられたら考えるよ」
「楽しんできてね」
ゆきめは笑顔でただそう言った。
あまりに不気味で意味深なゆきめの一言に俺はその後も気が気ではなかった。
そして放課後、俺は九条さんと気まずさを残しながらメニューをこなした。
そして終始無言のまま部活を終えるとさっさとゆぎのところに行こうと思った。
逃げても仕方ないし、とりあえずあいつといれば九条さん含め女子から話しかけてくることもないしそれが一番得策だと学んだからだ。
しかしゆきめがいない。
先に着替えに行ったのだろうか?
仕方がないから部室の近くで待っていると、九条さんがこっちに近づいてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます