第7話 復帰

「さ、ゼリーどうぞ」


 ゆきめは俺に嬉しそうにゼリーを渡してくる。

 ああ、俺の好きなやつだ。

 全くこいつのやることなすことハズレがない。

 これが彼女ならなんて利他的で献身的な素晴らしい女性だと敬服したに違いない。


 もっといえば嫁に欲しいとすら思っただろう。

 しかしこいつにそんな気持ちは抱かない。


 だってこいつ、ストーカーなんだから。

 知ってて当然、というより調べ尽くされていることに不気味さすら感じる。


 しかしまぁ毒が入っているわけでもないだろうし、食べ物に罪はない。

 ゼリーはいただくとしよう。


「今日から復帰、楽しみだね」

「俺は不安しかないって」

「そ、そう……べ、別に楽しみっていうのは間近で速い人の走りが見られるからであって決してあなたの走りが見れて嬉しいとかそういうのじゃないのよ?」


 どっちも一緒の意味な気がするのは俺だけだろうか。

 しかしこのツンデレ風、結構イライラするな……


……意味不明なツンデレを演じるこいつに少し意地悪な質問でもしてやろう。


「なぁ、お前俺のこと好きなのか?」

「え、えと……」


 ゆきめが黙った。


 俺の狙いは「あ、あんたのことなんて別に好きじゃないんだからね!」と言わせることだ。


「どうなんだ?」

「べ、別にあんたのことなんて……」


 きた。言え、言ってみろ。

 俺のことを好きじゃないと、嘘でもいいから言ってくれ……


「あんたのことなんて……す、好き……」

「……」


 なぜここでデレる……

 もうそれ言ってしまったらお前のやってるツンデレキャラは崩壊だぞ? いいのかそれで……


「す、好き……好きだもん、これは無理、否定できないもん! いじわる、高山君の意地悪!」


 今度は目に涙を浮かべながら俺に顔を近づけてきた。


 あ、なんかいい匂いする……

 じゃなくて……か、かわいい?


 あー、違う違う!

 し、しかしこんな美人が近くにいるとさすがに冷静になれない……


 ていうか膝当たってるし。それに手をおれの太ももに置くな……


「なんで、なんで私に変なこと言わせようとするの? 私が高山君のこと嫌いになったら嬉しいの?」


 ち、近い……

 もうキスでもしてくる勢いで迫ってくるが、これは体勢的にもまずい。


 上から見ても横から見てもカップルがキスしようとしているように見えるだろう。

 このまま押し倒されでもしたら……


「ねぇ、なんでなの?」

「わ、わかった俺が悪かったって……ちょっと意地悪してみただけだよ」


 俺は一度落ち着けといわんばかりにゆきめの肩を押さえて迫る体を制止した。


「ほんと?」

「ほ、ほんとだって……だからちょっと落ち着けよ」

「うん……ふ、ふん! 別にわかってたし、そんな悪戯くらいお見通しだもん。ただスルーしたら可哀想だから付き合ってあげただけなのに高山君ったら本気にしちゃって」


 いやマジで落ち着けよ……

 ほら、大声出すから人が集まってきたじゃないか。


「あ、あのさゆきめ……人が増えたからそろそろ教室帰ろうよ」

「ダメ、私を弄んだ罰としてここにいなさい!」


 お前と二人でこうしてることが俺にとって罰なんだという自覚はあるのか……

 尚更よくわからんなこいつ。


 こうして好奇の目に晒される俺たちだったが、中には快く思っていない連中もいたようで、教室に戻る途中消しゴムが飛んできた。


 誰だよと振り返ったが、俺が見ると全員目を逸らしてしまう。

 しかしそれに気づいたゆきめは誰かもわからない犯人にキレていた。


「ちょっと、高山君に消しゴム投げるなんて信じられない! 誰よ、卑怯なことしないで出てきなさいよね」

「い、いいからもう。それに俺みたいなのが目立ったことするから悪いんだし」

「いいえ、私の高山君に……じゃなくて私たち陸上ファン期待の高山君の体に何かあったらどうするつもりよ!」


 あんだけ好きだとか言っておいてまだその設定は継続するんだな……


「い、いやでもお前も自分がどう見られてるか自覚しろよ。半分はお前のせいでもあるんだぞ?」

「私のせい?」


 こいつ、本当に自覚がないのか?

 転校してきて間もないゆきめだが、既に陰ではファンクラブまで出来ている(今朝他の男子が話してるのが聞こえた)くらいで、学校中の注目の的だと言うことは興味のない人間ですら皆知っている。


 だと言うのにこいつは……


「私が何かしたの? 私が悪いの? 私のせいなの?」

「い、いやだからさ」

「私、高山君に迷惑かけるくらいなら死ぬ。お母さんには私から伝えておくね」

「い、いやいやなんでそうなる? しかもなんで母さんに言う必要あるんだよ」

「だって仲良しだから。お葬式にはきてね」

「だ、だからすぐ死のうするなって……」

「私に生きててほしいの?」

「え、いやそれは……」


 くそっ、なんでそういう究極の二択なんだ。

 いなくなって欲しいとは思うけど、流石に死ねなんて言えるわけがない。

 それに俺がそんなこと言って本当に死なれたら一生こいつの呪縛に囚われたままの人生に……

 そ、そんなのだけは嫌だ。


「し、死んでほしいなんて思うわけないだろ? 自分のことをもっと大事にしろよ」

「……うん、高山君がそうしろって言うなら、私頑張る。生きる、どんなことがあっても生きて高山君の側にいるね!」


 急にテンションを取り戻したゆきめが俺に迫ってくる。

 いや、なんでそう話が飛躍するんだ?

 生きてそのまま俺の側から消えてくれたらいいのに……


「ふふ、私高山君に助けられちゃった。命の恩人だね高山君は」

「な、なんか大袈裟だぞ……」

「私にとっては大袈裟じゃないの、だから私は高山君に恩返しできるまで離れないからね」


 ニンマリと笑うゆきめを見て俺はまた後悔した。

 こんなことなら突き放しておけばよかったと。


 しかし後悔先に立たずという言葉の通り、ゆきめは何か決心がついた様子だった。


 離れろといってもまた消しゴムが飛んできたら行けないからと言われて離れてくれず、そのまま教室に戻る羽目になった。


 もちろんクラスの連中は俺たちをジッと見ていた。

 そしてクラスの女子数名から声をかけられたが、あまりにキャーキャー言うものだから内容はあまり頭に入ってこなかった。

 

 そんなこんなのせいで忘れていたが、今日は部活に復帰する日だった。

 放課後になりうっかり帰ろうとするとゆきめに呼び止められた。


「ちょっと、今日から部活でしょ? 早く着替えてグラウンド行かないと」

「あ、そういえば今日練習着忘れたなぁ……」

「ふふ、そう思ってちゃんと持ってきてるよ。」

「お、気が利く……ってなんで?お前俺のタンス開けたのか?」

「んーん、中学の時使ってたやつ。持ってたから」

「持ってた……?」


 そう言って俺に渡してきた練習着はたしかに俺が中学の時に使ってたやつだった。

 そういえばだが、何着かなくなってたんだけどコイツの仕業だったとは……


「おい、お前それは泥棒だぞ」

「失礼ね、私ちゃんと顧問の先生に言って預かってきてたもん。ほら、こことか破けてるから直してあげたのよ」

「ああ、そういうこと……いやまてまてなんで顧問の先生と面識あるんだ?」

「だって試合いつも見に行ってたら仲良くなったんだもん。先生からも、あいつは練習以外ズボラだから良くしてやってくれって言われたし」


 何も悪びれず、当たり前というよりむしろ良いことをしたような顔で俺にそう話すゆきめはどこか幸せそうな表情をしていた。


 散々こいつとやり取りして、これ以上咎めても無駄なことは理解している。

 だからこいつに何を問い正しても無駄だ。


 ただ、俺の周りの人間にどこまで関わっているのか、それは一度洗いざらい聞いてみる必要がありそうだ……


「とにかく早く着替えないと遅刻だよ!初日から遅れてたらそれこそ気まずいじゃん」

「あ、ああそうだな。」


 俺は山ほど疑問を抱えたまま着替えを受け取って更衣室に走った。


 ゆきめも着替えてグラウンドに来るというので、今回ばかりはあいつが来るのを先に着替えて待っていた。


 なぜかと言えば一人で陸上部に合流するのが気まずかったからだ。


 もちろん陸上部の更衣室は使わず、一般生徒の更衣室を借りて着替えた後、グラウンドの脇でゆきめを待っているとミナミ先輩がこっちにやってきた。


「やほー、今日から復帰だね! よかったよほんと、期待の新人が辞めるってなった時はどうしようかと責任感じちゃったから」

「い、いえ、先輩には良くしてもらってたのに俺のわがままですみません。でもまだちょっと半信半疑で」

「そっか。でも実力で見返してやればいいのよ!それに」


ミナミ先輩は悪そうな顔でニンマリ笑った。


「それに、あんな可愛い彼女いるんだから堂々としてないと」

「彼女?」

「何言ってるのよー、神坂さんだよ。上級生の間でも評判だよー。男連中なんてみんな一日中君の僻みばっかり言ってたし」


 聞けばやはり昼休みの件は全校生徒に見られていたようで、俺は学校のアイドルを寝取った敵のようになっていたという。


「あ、あのそれはですね……」

「じゃ、また後でね!がんばろうねー」


 ミナミ先輩は俺の話を聞かず先に練習に向かってしまった。


 まずい、これはまずい……

 母さんのみならず、学校中からも公認されつつある俺たちの仲は、俺の意思など無視するかのように確かな事実と化しつつある。


 果たしてどうするべきか。

 もうそれについて考えていると陸上部への復帰などどうでもいいことのように思えてきた。


「お待たせー」


 やがて俺の苦悩など知ったこっちゃないといわんばかりの笑顔でゆきめがジャージに着替えて俺のところにきた。


「じゃあ行こっか」

「そ、そうだな。もう腹を括るよ……」

「それよりさ、さっきミナミ先輩と何話してたの?」

「い、いや別に。励まされてただけだよ」

「ふぅん、仲良いんだねやっぱり」


 ゆきめの顔が曇った。

 こいつはどうやら俺と先輩の仲を疑っているようだ。

 しかしそれはあり得ない。

 なぜなら、ミナミ先輩には彼氏がいる。


「おい高山、こっちこい」


 野太い声が俺を呼んだ。

 その声の主は、陸上部主将にしてミナミ先輩の彼氏でもある東幸一あずまこういちさんだ。


「は、はい」

「小林先生に聞いたぞ。今日から頑張れよ」

「よ、よろしくお願いします」


 この人は熱血漢という言葉が良く似合う人だ。

 見た目はゴリラ、種目は砲丸投げ、そして今年のインターハイでは上位を狙える実力者でもある。


 東さんは俺に声をかけて先に走って行ったので俺たちもすぐに追いかけることにした。


「さっきの人は?」

「ああ、あれがキャプテンだ。あと、ミナミ先輩の彼氏だよ」

「へぇ、ミナミ先輩って彼氏いたんだ」


 少し驚いたような顔をしていたが、これで誤解は解けただろう。

 いやしかし、なぜ俺がこいつにこんな釈明をしなければならないのかについては今は考えるのはよそう……


 そして全員が集合する部室前に俺たちも加わった。

 何人かはこっちを見ている。

 ゆきめなのか俺なのかはわからないが、ジッと俺たちを見ている中に俺をいじめてきた山田先輩の姿もあった。


 そして先生が来るまでの間ざわつく集団の中で、ゆきめが小さく呟いた。


「山田……マジで殺す」


 もうその目は俺を包丁で刺そうとした時以上に曇っていた。

 しかし睨まれているとも知らず、山田先輩はゆきめに見られていると知り少し嬉しそうにしていた。

 しかしなんて目で人を見るんだこいつは……


「おい、あんまり物騒なこと言うなよ。聞こえるぞ」

「いいよ別に、あの山田ってやつ足遅いくせにチャラいし嫌いだし」

「お、穏便にしてくれよ……」

「べ、別にあんたのことをいじめたから敵対視してるわけじゃないからね。ただ私が個人的に無理なだけなの、勘違いしないでよ」


 急なツンデレにはもう慣れた。

 しかしやはり気まずい。


 そんな中、小林先生がやってきてミーティングが始まった。


「みんな、今日は知らせが二つある。一つは、休部してた高山が復帰する。よろしく頼むぞ」


 先生がそう言うと、俺の方をみんなが見てきた。

 ああ、そういえばいたなくらいの顔の人もいれば、山田先輩派閥の連中は目障りな感じでこっちを睨んできていた。


「もう一つ、マネージャーとして一年の神坂さんが入部してくれた。みんな、これからお世話になるんだから挨拶しておけよ」


 今度は大きな拍手が巻き起こった。

特に男子たちはこのスーパー美人が我が部のマネージャーになるなんて夢のようだと言わんばかりに顔を綻ばせていた。


「じゃあ練習に入る。高山、お前は復帰してすぐだから別メニューだ。」


 そう言われて俺は先生の元に復帰プランを伺いに行った。

 その時だった。


 アップに向かう前の山田先輩がゆきめに声をかけていた。


「なぁ神坂さん、あいつと付き合ってるの? やめとけって、あんな根暗といても楽しくないって。それより俺のストレッチ手伝ってよ」


 もうあの汚い笑顔に辟易とするので敢えて呼び捨てにするが、山田は顔はいい。

 しかし蛇みたいにネチネチしていてどこか気持ちが悪い。

 それでもその強引な性格からか、彼の子分みたいな連中は結構いる。


 同じ100メートルを走る人間としても、あんなのと一緒は嫌だと。

 そう思って俺はここを離れたわけだが……


 しかし絡まれてるゆきめのやつは大丈夫なのか?

 いや、なんで俺が心配する必要がある……

 すっかりあいつのペースに飲まれていたが、あいつは俺のストーカーだ。

 同じように他人にしつこくされて困ったらいいんだ。


「山田先輩ですよね?」

「あ、知ってるの俺のこと? いやー嬉しいなぁ。じゃあ俺とペアで早速」

「死ね」

「へ?」


 まずまず大きな声でゆきめが一言だけ言い放つと、その周りの空気が凍った。

 俺に話をしていた小林先生も驚いた様子で彼女を見ている……


「か、神坂さん?」

「死ねよブス、短足、ヘボスプリンター。まじお前の走り方きしょいんだよ。なにあの女の子みたいな腕の振り、あと足も流れすぎ。センスないからさっさとやめたら?」


 ゆきめは言いたい放題に山田に暴言を吐き捨ててからそのまま俺と先生のところにきた。

 ちなみに山田は固まっていた。


「先生、私今日は高山君のお手伝いしてもいいですかー?」


 急にぶりっ子みたいになった。

 そして唖然としていた先生も、ようやく我に返ってただ頷いていた。


「じゃあ高山君、まずはストレッチしよ」


 こうして俺の復帰初日は波乱の展開から幕を開けた。

睨みつける山田、ゆきめに怯える先生、そしてまるでお化けでも見たかのように驚く他の部員たち。


 そんな歪な空気に囲まれたまま、俺はゆきめに背中を押されて柔軟体操をスタートした……

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