第6話 青春の影

 俺の朝はそんなに早くない。

 中学までは朝練とかもしていて朝の5時には毎日起きていたが、そんな生活の反動もあってか高校に入ってからは登校時間に間に合うギリギリまで寝ていた、のだが……


「おはよう高山くん、起きてるー? 起きてるでしょー、起きてるんだからあけてよー」


 隣のストーカー女の朝は早い……

 まだ朝の4時半だぞ?

 どんな生活を送っているんだ。


 それに扉の向こうから俺を呼んでくるが、なぜ俺が起きている前提なんだ……


 無視だ無視だ、こんなのに毎日付き合ってたら身が持たない。


 近所の人には申し訳ないが、幸いゆきめの部屋は角だし、反対隣は空き部屋だからお隣さんに迷惑、というのはないわけだし。


「ねえあけてー、開けないなら勝手に入るよー」


 ああうるさい、勝手に入ってみろよ。


 ……ん、勝手に入る?


 いや、考えすぎだ。

 いくらセキュリティの高くないアパートだからといって、カギはディンプルキーだし合鍵は母さんが持っているだけのはずだ。


 ……母さんが持っていたんだよな確か。


「ガチャッ」


 鍵が開く音がした。

 足音がする。


 ほ、ほんとに入ってきやがった。

 と、とりあえず布団に隠れて寝たふりを……


「おはよう高山くん、ほんとに寝てるのー? じゃあ私も一緒に添い寝しよっかなぁ」

「ま、待て! おきた、今起きた!」


 俺はゆきめが近づいてくる気配に耐えられず飛び起きた。

 するとゆきめは残念そうな顔をして俺を見ていた。


「おはよう高山君。よかった起きてくれて」

「な、なんでお前が俺の部屋の鍵を持ってるんだよ……」

「もちろんお母さんに預かったのよ。でもむやみやたらに使ったらいけないかなって思ってたんだけど」

「い、今はそのむやみやたらじゃないのか?」

「だって、もし高山君がお寝坊したら大変でしょ? ち、違うのよ高山君が清き学校生活を送れるために仕方なくやってることだからね」


 雑なツンデレを朝から展開してくるがどこか嬉しそうなゆきめは早々にキッチンに向かった。


「さ、朝ごはん作るから待っててね」

「そ、それはわかったけどなんでこんなに早起きなんだ? 別にもっとゆっくりでも」

「だって早く顔見たかった……な、なんて言ってあげた方がよかったかしら? あ、朝から掃除するって言ったでしょ? それに今日からは部活に復帰するから忙しくなるんだし」


 そそくさとエプロンをつけてコンロの火をつける彼女の姿はもう何年も連れ添ったパートナーのようだ。


 しかし現実は何年も俺を付き纏うただのストーカーだ。


 こんな美人に付け回されるなんて羨ましいと思う奴もいるかもしれない。

 しかし実際は違う、ただただ怖いの一言だ。


 昨日のあいつの目はヤバかった。

 本気で俺を殺すつもりの目をしていた。

 あれは本気と書いてマジと読むやつだ……


「どうしたの、そんなに私を見て」

「へ、いやいやなんでも」

「もしかして見惚れてた? 料理する私の姿を見て夢中になってた?」


  なんでそんなに嬉しそうなんだ。

ただボーッとお前を見てヤベー奴がいると思ってただけだよ……


 でもそれを言ったらまた昨日みたいになるからちょっとお世辞でも言っておくか……


「ま、まぁやっぱり料理する女子って悪くないなって。それだけだよ」


 こんなところか。

どうせまた「褒められた、嬉しい」とか言ってキャッキャするんだろ。


「なんかそれ、他にも料理する女の子を見たことあるって言い方だね?誰?ねぇ、誰と比べてたの?ねぇ」

「え……」


 どうやら俺は回答を間違えたらしい。

 虚ろになった光沢の消えた目はまさにヤンデレのそれだ。


「ねぇ、このお家に私以外の誰がきたの? もしかして彼女? もしかしなくても彼女?」

「だ、だから彼女なんかいないって……」

「じゃあ誰も来てない? 誰か来てない? 誰にも来させない? 誰よりも私しか選ばない?」

「な、なんかだんだん選択肢が狭まってるぞ……」

「どうなの?」


 その時一瞬ゆきめは台所の包丁の位置を確認した、気がした……

 し、しかしここで脅しに屈してこいつを選んだら今以上にエスカレートするだけだ。

 なんとかうまくかわさないと……


「べ、別に他の女の子なんて家にこない。それでいいか?」

「……うん、他の子が来ないのならまぁ許してあげる。でもわかってる? それはあなたのこれからはじまるサクセスストーリーを変な女のせいで台無しにさせないためのお節介だから」


 サクセスストーリーとはまた聞こえのいい言葉を見つけてきたものだ。


 しかし俺のサクセスロードを懸念するお前はテリブルストーカーでしかない……


 一体いつまでこんなことが続くのか。

 高校で初めて経験した挫折なんて、ほんとどうでもよくて大したことのないものなんだと今初めてそう思える。


 だからきっと今の挫折もいつの日か笑い話に……なる気がしない。


「さて、早く朝ごはん作らないと。高山君はテレビでも観てて」


 何事もなかったかのようにまたゆきめは朝食を作り出した。

 触らぬ神に祟りなし、否、触らぬ神坂に祟りなしだ。


 俺はテレビをつけた。

 しかしこんな時間に見たい番組など何もしていない。

 つまらない朝のニュースをぼんやりと眺めていると、ストーカー被害にあった女性が暴行を受けるというニュースが報道されていた。


 やはりストーカーとは結構いるものだな。

 しかしその多くは男が加害者で女が被害者というケースだろう。


 だが俺は今まさにそのストーカーの被害者だ。

 しかもこれは重度の被害だ。


「へぇー、ストーカー被害だって。怖いよね、こういう男の人ってなにするかわかんないから」


 テレビの音を聞いてゆきめがそう呟いた。

 それを聞いて俺はやはり確信する。

 こいつに自分がストーカーだという自覚はない。


 むしろ思い込みが過ぎて俺の彼女のつもりでいるまである。

 もうこんな考察を何度もグルグルと巡らせているが、一向に解決の糸口は見当たらなかった。


「できたよ、召し上がれ」

「き、今日は目玉焼きか。いいな、俺好きなんだよ目玉焼き」

「確か高山君は醤油派だったよね。ふふ、私もなんだ」


 もう自然と俺の好みを理解している彼女にツッコむのはやめた。

 多分俺が目玉焼きをご飯の上にのせて食べる癖だって知っているのだろう。

 それがやりやすいようにわざわざ大きい茶碗を選んでいるのも偶然ではないはずだ……


「どーお? 美味しい?」

「う、うん美味しいよ。やっぱり卵は半熟に限るよな」

「ほんと? よかった喜んでもらえて……」


 時々見せる健気な仕草はとても愛らしく美しい。

 俺が彼女と全く違う知り合い方をしていたら一目惚れしていたかもしれない。


 しかし今は一目見るだけで寒気がする。


 淡々と朝食を食べ終えると、今度は彼女が洗い物までしてくれようとする。


「食器は置いといてくれよ。流石に片付けまでさせるのは悪いし」

「ダメよ、もし洗い物してて高山君が指怪我したら大変だし」

「そ、そこまで不器用じゃないよ」

「でも中学の家庭科の時だって一人だけ卵焼き焦がしてたでしょ? 誰にだって苦手なことはあるんだから心配しないで」


 彼女はそう言って何事もなかったかのように洗い物を始めた。


 俺たち、絶対同じ中学じゃなかったよな。

 なぜ、なぜそんなことまで知ってる……いや、もう考えるな、きっと母さんに聞いたんだ。

 うん、それに違いない。そう思っておこう。


「あ、ちなみにさっきの話は高山君と同じクラスの子から聞いた話だから気にしないでね」


 そう言われてまた俺の傷は深くなった。


 もう俺は考えるのをやめた。

 こいつは俺のことを調べ尽くしている。

 だから抵抗するだけ無駄なのだ。


 それよりこれからどうするかを考えなければ、俺に未来はない……


 当たり前のように一緒に部屋を出て、なぜか俺の部屋のカギを閉めるゆきめの姿は、誰から見てもよくできた彼女にしか見えない。


 アパートを降りて学校に向かう途中も、やはり多くの男子から視線を集めた。


 噂になる前に何とかしなければ、俺たちは学校中からも公認カップルにされてしまう。


 しかしそんなものは杞憂だった。

 すでになっていたからだ。


「おはよう神坂さん、今日も彼氏と一緒に登校なんて羨ましいわ」

「そんな、たまたまだよ。高山君って朝お寝坊さんなんだ。だから私が起こしてあげないとなの」

「へぇー、献身的だねー! いいなぁ、青春してるなぁ」


 クラスの女子数人がすでにゆきめとそんな話をしていた。

 それはそれは微笑ましい、どこにでもある女子高生の会話だった。


 一方でクラスの男子たちは俺にそんなテンションで話しかけてはこない。

 妬み嫉みをたっぷり含んだ痛い目線が突き刺さる。


 しかし元々目立つ方でもなく友人もいないので、特に話しかけられることもなくそのまま授業に入った。


 そして休み時間の度にゆきめと俺の話は広まっていき、昼休みになる頃にはクラス中の人間が俺たちのことをカップルだと当たり前のように認識していた。


「高山君、お弁当食べに行こ?」


 これまた当たり前のように、ゆきめが俺を誘ってきた。


「お弁当ったって……そんなのないしパンでいいよ」

「ふふ、そう思って私作ってきてるんだ。」


 ゆきめの鞄からは弁当箱が二つ出てきた。

同じ柄で赤と青の布に包まれたそれは、いわゆるお揃いというやつだ。


「い、いつのまに?」

「部屋に行く前に作っておいたの。早起きして頑張ったんだよ?」

「早起きって……」


 俺の部屋に来たのは4時半過ぎだ。

 一体いつから起きてるんだこいつ?


「で、でもこれは栄養を考えてのことだから別に喜んで欲しいとかそういうつもりで作ったわけじゃないのよ。その辺ちゃんと理解しておいてほしいものね」

「あ、ああ……それじゃいただくけど、どこで食べるつもりだ?」

「ふふ、いい場所があるの。ついてきて」


 ゆきめは俺の手を取るとそのまま俺をどこかに連れていこうとした。


 その時のクラスの微笑ましい雰囲気と殺伐とした空気のコントラストは見事なものだった。


 そして階段を降りて一階に行き、さらに進んだところで彼女の足が止まる。


「ここで食べよ?」

「こ、ここは……」


 そこは中庭にあるベンチだった。

 通称、というかまんまだがここは「カップルシート」と呼ばれる学校の中でも知らない人はいない名所だ。


 しかしその名の通りにここでイチャイチャするやつなんているわけもない。

 こんな目立つ場所でいちゃつくなんて頭のネジが外れたやつくらいだろう。

 ただこのベンチの前で告白すればうまくいくという験担ぎからそう言った呼び名がついただけだ。


「で、でもここってほら、どの校舎からも丸見えだし」

「だからだよ? え、見られて困ることがあるの?あ、そっかミナミ先輩だ」

「だ、だからあの人はただの部活の先輩だって……」

「じゃあ他にもいるの? 誰、誰、誰なの?」


 い、いかんこれはまずい。

 この中庭は他の教室からも丸見えだし一年生の他の教室もすぐそばだ。

 

「だ、誰もいないって」

「怪しい。私、ここからみんなに聞いてみるから。高山君と浮気してるやつ、でてこーいって」


 いや、それもまずい。

 変なことを言われたらますます被害が増える……。


「わ、わかったここで食べよう。で、でも食べたらさっさと教室帰るぞ」

「うん、いいよ。今日のお弁当はね、高山君の好きな肉じゃがにしてみたの」


 せっせと俺に弁当を見せてくると、そこにはうまそうなおかずが並んでいた。


「あ、ああそれじゃいただくよ。お箸は?」

「あーんしてあげるから、高山くんには必要ないでしょ?」

「い、いやいやそれは……」

「あーん、したらダメな理由は? 恥ずかしい以外で答えて」

「え、いやあの……」


 なんだその先に選択肢潰してくる質問は……

 単純に嫌だから、では怒りを買うだけだし別にうちの学校は男女交際に厳しくもない。


 くそっ、言い訳が思いつかない。


「じゃあいいんだね。はい、あーん」

「ええと…」

「あーん」

「あ、あーん」


 俺は諦めた。

 もう彼女の目が濁りきっていて怖かった。


 そして肉じゃがのじゃがいもを口に放り込まれた時に「おおー」という声が校舎から聞こえてきたが、もう俺の羞恥心はバグっていたのかその声の方を見ることはなかった。


 そしてこの味、やっぱり食べた覚えがある……


「も、もしかして肉じゃがも前からうちに持ってきてた?」

「うん、ていうか中三の時のお弁当はほとんど私が作ってたんだよ? ふふ、知らなかったでしょ」


 知るかー!

 嘘だろ? ハンバーグだけじゃないの?

 いつだよ、いつ俺の弁当作ってたんだ?

 もう聞きたくない、聞くだけ傷口が広がっていく……


「はい、あーん」

「……あーん」

「えへへ、ちゃんと食べてくれてよかった」


 ああ、機嫌がよさそうでなによりだよ……


 いつもは退屈ながらも早く終わってしまう昼休みだったが、今日はなんとも時間の流れが遅い。


 時計を見るとまだ30分もある。

 横で微笑むゆきめは、落ち着かない様子の俺に一言こう告げた。


「デザートは高山君の好きなゼリーだよ」


 そのセリフで色々と繋がった。

たしかに中三の時からよくゼリーが弁当に入っていた。

 てっきり俺がたまに買って帰っていたのを母さんが見て気を利かせてくれたとばかり思っていたが、どうやら違ったようだ。


 ただそれがわかったからといって、何かが変わるわけではない。

 俺の中学の思い出が少しだけくすんでいくだけだ。


 そして時計を再び見たがまだ5分しか経過していない。

 まだ俺とゆきめの昼休みはこれからのようだ……


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