第5話 既成事実

「ちょっといいか、電話だから」

「いいよ。ていうかここで出たら?」

「ま、まぁそうだけど……」

「ちなみに、誰?」


 電話を口実に席を外そうとした俺をゆきめは大きく見開いた目で覗き込む。

 これはヤバい時の目だ。

 あまり言い訳せず正直に話そう……


「か、母さんからだ」

「なぁんだ、それなら早く出てあげて。ていうか私が出ようか?」

「い、いいよ俺が出るから」


 少し俺のポケットに手を伸ばそうとしたゆきめを制止して俺はそのまま電話に出た。


「も、もしもし母さん? なんだよ急に」

「今はおうち?」

「そうだけど」

「蒼、今ゆきめちゃんと一緒?」

「え? それは……」


 ……しまった。

 母さんがゆきめのことを聞いてくるなんて想定していなかった。

 部屋で一緒にいることがわかったらそれこそ母さんの中で俺たちの仲が疑いようのないものになってしまう。

 いや、すでにそうなのかもしれないがそれを覆せる可能性が完全に消滅する……

 なんとかそれだけは避けないと。


 しかし、なぜ母さんから電話が?

 普段はあんまりかけるなって言ってあるし、実際かかってくることもないのだが……


「まぁいいわ、じゃあ会ったらお礼伝えといてくれる? ゆきめちゃん電話しても出なかったから」

「お礼? なんのだよ」

「なんのってあなたが部活に復帰することになった件よ。先生から連絡があったわ。ゆきめちゃんのおかげだって」

「え、待て待てそもそも俺が休部してたこと、母さんは知ってたのか?」

「ええ、知ってたわよ」


 い、一体どういうことだ?

 もうわからないことだらけだ。


 なぜ母さんが知っている?

 先生には言わないでくれと言ってあったし、そもそも母さんはそれを聞いてなぜ俺に連絡してこない?


 ゆきめがバラした?

 いや、あいつだって昨日俺から聞いて初めて知ったような感じだったし……じゃあどうして……


「な、なんで知ってるんだ?」

「あなたが休部したって日にゆきめちゃんが連絡くれたのよ。でも私がなんとかするから知らないフリしてやっててくれって。それでわざわざ編入してあなたの世話をしてくれるとまで言ってくれたのよ? ほんと、あんないい子他にいないわ」


 母さんは嬉しそうに俺にそう話した。


 もう俺には何が嘘で何が本当かわからなくなっていた。


 それじゃ初日にゆきめが見せた悲しそうな顔も全部嘘、ということだし俺が休部した後に母さんに誤魔化しながら話をしていた時もすでに母さんは俺の現状を知っていて俺の話に合わせてくれていたということになる……


 どういうことだとゆきめを見たが、彼女は表情一つ変えずにただ俺を見ていた。

 なぜだ、なぜそこまで平然としていられる……


「ていうかあんたに託けてもちゃんと伝えてくれるか不安だからゆきめちゃん呼んできて。お隣でしょ?」

「な、なんでそれを……?」

「そんなのゆきめちゃんの為に私が用意したんだから知ってて当然でしょ?」

「なん、だと……」


 俺の隣にこいつが越してきたことは偶然とは思わなかった。

 しかしまさか母さんが世話をしていたなんて夢にも思わなかった……。


 もうなにがなんだか。


 しかし今はなによりも、一緒にいるのがバレる前になんとか電話を切るのが先決だ……


「ちょ、ちょっとゆきめは忙しそうでさ」

「お母さんー、私ならいますよー」


 はぐらかそうとした時、横で電話の向こうに聞こえるようにゆきめが割り込んできた。


 急いで電話を切ったがもう遅かった。


 そのあとすぐに電話がきた。

 一度は無視したが、すぐメールも来てまた電話が鳴った。

 俺はその鳴り止まないコール音とゆきめの視線に板挟みにあい、折れる格好で再び電話に出た。


 母からは、なんだいるじゃないか早く代われと催促され、俺は渋々携帯を手放してゆきめに渡すこととなった。


 俺の電話を取ったゆきめは嬉しそうに俺の母と話している。


「お母さん、もう先生から聞いたんですか? 早いですねー。うん、そうなんですよー今日は部屋にお邪魔しちゃってます! え、何もしませんってーお母さんのエッチー」

 

 なんだ、何を話しているんだあの二人は……

 どうしてそこまで他人の親と仲良くなれる?

 他人は他人でも、赤の他人のだぞ?

 いや、ていうかどういう状況だこれ?


 俺のストーカーが楽しそうに俺の母親と俺の携帯を使って談笑しているなんて、最早ホラーだ……


 一人で唖然とその様子を見ていると、一瞬だったがゆきめが俺の方を見てニヤッと笑った、気がした。


 俺は絶望感に震えていたが、やがて電話を切ったゆきめが俺に携帯を渡しながらこう言った。


「もうお母さんは大丈夫だね」


 とても綺麗な笑顔だ。

 一点の曇りもなく晴れ晴れとした表情だった。


 しかし俺だって黙ってはいられない。

 言いたいこと聞きたいことがあまりに山積みだ……


「おい、俺が休部してたこと知ってたのか?」

「もちろん知ってたけど? なんで?」

「い、いやだって俺が陸上辞めた話した時悲しんでたじゃないか……」

「うん、だって悲しかったし」

「い、いやだから」

「私初めて知ったなんてその時一言も言ってないと思うけどなー」

「そ、それは……」


 つまり全部俺の思い込み、ということなのか……

 それに俺の知らないところこいつ美がいつも暗躍している。

 一体こいつはどこまで俺の周りに侵食しているのだ?


「と、とにかく食べたんだから今日は帰れ。約束だろ?」

「そ、そんなに言わなくても帰るもん」


 出た、また謎のツンデレ……

 それは何なんだと聞きたいところだが、聞いて話が長くなるのも嫌だし今はそっとしておこう。


「じゃあな。晩飯ごちそうさま」

「明日の朝は何がいーい?」

「い、いいよ明日は……」

「ダメよ、その……アスリートとしてのあなたを気遣ってのことなんだから甘んじて受けなさいよ!」


 玄関先でビシッと俺に指差す彼女を見て朧げにだが何がしたいのか見えてきたことがある。


 こいつはツンデレじゃない、ツンデレになりたいのだ。

 理由? 知らないそんなこと。


 こんな変人の考えなんて聞いてもどうせ理解できないだろうし、聞くだけ無駄だろう。

 とにかく、本格的に周りから勘違いされる前にこいつをなんとかしないと……


「じゃあ朝飯は必要だからご馳走になるけど登校は別でいいか? 俺、一人が好きなんだよ」

「ダメ、それは無理」


 ゆきめは食い気味にキッパリと俺の要求を退けた。

あれ、交換条件とやらが早速通用しないぞ……


「な、なんでだよ」

「よく考えたらだけど、朝ごはんって高山君の為にしてあげてるのよね? それなのになんで高山君が作らせてやったみたいな態度になるの? ねぇ、なんで?」


せっかく帰りかけたゆきめがまた俺に迫りながら部屋の中に戻ってくる。

しかし少し首を傾けて真顔で迫るその様は狂気に満ちていた。


「ねぇ、なんで一人がいいの? 誰かに声かけられたいの?」

「い、いや別にただ……」

「ただ?私に朝飯は作らせておいて他の女子とよろしくしたいなんて、随分だよねぇ。ねぇ、そうは思わない?」

「そ、そんなこと誰も……」


 俺はあまりの彼女の迫力に尻もちをついた。

 しかしよく考えたら朝飯を作りたいなんていうのはゆきめの勝手な押し付けだ。


 やっぱり俺が感謝する理由なんてない。

 ああそうだ、ガツンと言ってやる……


「あのな」

「あ、包丁めっけ。ふふ、お母さんはいい奴買ってくれてるのね、すごく切れるよこれ」


 俺はゆきめを跳ね除けようと言葉を振り絞ろうとしたが、その瞬間ゆきめが台所の包丁を手にしたので喉がキュッと締まって言葉を失った。


「……あ、あ」

「もういいや、他の人に取られるくらいならここで一緒に死んだ方が幸せかな? ねぇ、高山君はどう思う?」


 何故か質問をされた。

 何か、何か答えないと多分俺は死ぬと俺の生存本能がそう告げていた。

 俺はとにかく必死になって言葉を吐いた。


「や、やめろゆきめ……ち、違うんだ」

「違う? 違うって何が? 言ってくれないとわかんないなぁ私」

「べ、別に嫌なわけじゃないんだ……それに朝飯も、その……た、助かってる」

「嫌じゃない? けど嬉しくもないんだ。私といても」


 その瞬間包丁の先が少し俺の方を向いた。

 まずい……今は嘘でもなんでもいいからこの状況をなんとかしないと……


「う、嬉しい……嬉しいんだよ、うん、そうなんだ。だから、その、恥ずかしくて、だな……」

「……ほんと?」


 その瞬間、ゆきめの包丁を持った右手が下に降りた。

 そして今度は憑き物が取れたような目で俺を見てくる。


「ねぇ、高山君は私といたら嬉しい?」

「へ、あ、いやそうだな、うん、嬉しいよ。」

「なんで?なんで嬉しい?」

「なんで……いやまぁゆきめって美人だし……」

「それだけ?」

「あ、あと料理も美味いし……それにスタイルもすごくいいし」

「ヤダ……高山君のエッチ」

「へ……?」


 包丁を持ったまま、ゆきめは少し体をくねくねさせて照れていた。

 さっきまでの鬼気迫る感じは消え、代わりに恥じらい全開の美少女の様相だ。


 しかし早くあの包丁を……


「ゆきめ、包丁を置いてくれないか? 危ないだろ」

「もしかして、私の心配してくれたの?」

「へ?い、いやもちろんそうだよ、ゆきめが怪我したら大変だから……」

「嬉しい……私、もう死んでもいい……」


 ゆきめそう言って包丁をキッチンの流しに雑に放った。

 そして何故か泣いている。


「あ、あの……」

「な、なによ別に泣いてないもん。これは玄関の埃が目に入ったの。だから明日は朝からお部屋の掃除もしてあげるから、覚悟しなさいよね」


 急にツンデレを出してきたが、顔がフニャフニャだった。

 潤んだ目にニヤけた口元という、どこかでひっくり返るほど笑ってきたあとのような顔の彼女は、それでも満足したのかすぐに部屋を出て行った。


 それを見届けた瞬間俺は力が抜けてもう一度床にへたり込んだ。



「いけない、今日はツンデレがちゃんとできてなかったわ、ごめんね高山く〜ん」


 私は自室に貼られた等身大の高山の写真に語りかけながら反省する。


 しかし着々と高山との仲を詰めていけている現状に顔が綻ぶ。


「えへへ、お母さんもこれで私たちの仲を疑う余地はなくなったし……あとはクラスのみんなだけだね。ふふ、明日が楽しみ。さ、何してるかチェックしよー。メアリーちゃん起動っと」

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