第4話 思い出の味とは

 放課後になり、昼飯を抜いたツケがきた。

 少し気分が悪くなった。


 ぐったりしながらゆっくり席を立つと、合わせるようにゆきめが席を立った。


 敢えて無視するように先に行こうとすると、まだ半分くらい生徒の残る教室で彼女が大声を出した。


「高山君、今日の夕飯は何にするー?」


 彼女は大声で俺の名前を呼んでそう言った。


 その瞬間クラスがどよめいた。

 そして視線は俺に集中した。


 俺はやばいと思ってクラスを飛び出そうとしたが、もう一度大きく息を吸い込むゆきめを見て俺は急いで引き返した。


「ちょっとこい!」


 俺はおもいきりゆきめの手を掴んで一緒に教室の外まで連れて行った。


「な、何よちょっと痛いから離して…ううんやっぱりそのまま私をさらって」

「何わけわからんこと言ってるんだよ。何のつもりだあれは!」


 クラスの連中から見えないところまで来てからようやく足を止めてゆきめに問い詰める。


「もう一度聞く、あれはどういうつもりだ?」

「だ、だって勝手に帰ろうとするから」

「別に俺はお前の彼氏でもないんだし一緒に帰ろうとも言われてない」

「じゃあ言ったらいいの?」

「そ、それは……」

「言ったら一緒に帰ってくれる?」


 目を潤ませながら俺を見てくるゆきめに俺は言葉を失った。

 か、可愛い……


 し、しかし騙されるものか。

 こいつはストーカーだ。

 それに人を部屋で縛ってくるような変人だ。


 少々、いやかなり顔がいいからって……


「ねぇ、一緒に帰ろ?」

「だ、ダメだダメだ。俺はお前と帰らない」

「……わかった。ミナミ先輩ね」

「……は?」


 さっきまでのキラキラした瞳は一瞬で消え去った。

 代わりに何か汚いものを見るような目で俺を睨みつけてくる。


「あの人に会いにいくんでしょ?」

「な、何わけのわからないことを……あの人は練習だろ? それに俺が誰と会おうとお前には」

「関係あるわよ、大アリよ」

「な、なんのだよ」

「お、お母さんに頼まれてるからよ。悪い虫がつかないようにって言ったでしょ?」

「だからそれだってお前が勝手に」

「……わかった、私お母さんに会いにいく」

「……はぁ!?」


 またしても訳の分からないことを言ってきた。

 母さんに会いに? 一体何のために?


「いやだから母さんを巻き込むのは」

「いいえ、こうなったら全部無茶苦茶にしてやる。もうあることないこと全部お母さんに話してやるから」

「ま、まてまて! わかったって……い、一緒に帰るだけだぞ」

「うん……ま、まるで私が一緒に帰りたがってるみたいな言い方しないでよね。べ、別に嬉しくなんかないんだから」

「……知らん」


 もう知らん。

 好きにしてくれ……

 やっぱりこいつは地雷だ。

 しかしどうにもこうにも母さんを人質に取られているのがタチが悪い。


 しかしよく考えたら別に一緒に帰るくらいは無害だとも言える。


 ていうかこいつがストーカーということを除けば誰もが羨むスーパー美人なわけで、しかも過剰過ぎるとはいえ俺に好意がある様子だし……敵対するのは賢い選択ではないのかもしれない。


「か、帰るぞ」

「う、うん……何よ偉そうね」


 ほら、強がってはいるものの棒読みだ。

 このまま逆らわず、普通に話すフリをして色々気になるところを聞くとしようか……。


 人目を避けながら学校を出て、二人でアパートに向かう途中で俺は彼女に質問を投げる。


「あ、あのさ。俺の母さんとはいつそんなに仲良くなったんだ?」

「だからそれは試合観戦の時だって」

「いやでもさ、俺と一回も一緒にいるところ見たことない自称彼女をそう易々と信じるか?」

「だから一緒に撮った写真とかたくさん見せて信じてもらったよ」

「……!?」


一緒に撮った、写真?

なんだそれ、いやなんだそれは?

当たり前のように答えるゆきめの顔は、むしろ「今更何言ってるの?」といわんばかりのキョトンとした表情だった。


「ご、合成写真か何かか?」

「んーん、試合の後に寝てる時とか。ほら、これ」

「こ、これは……」


 見せてくれた携帯の画面には、たしかに俺が映っている。


 これは試合の後で仮眠を取っていた時の俺だ。

 

 それにまるで彼氏の寝顔をいたずら撮りしたかのようにその隣にゆきめがいる。


「い、いつの間にこんなものを……」

「もっとあるよ。ほら、これは県大会の時の」

「い、いやいやどんだけ撮ってるんだよ!? それにどうやってグラウンドとか控室に入ったんだ?」

「それは係の人に言えばすぐだよ」


 携帯をスライドして見せてくれた写真の中には俺が北海道まで遠征した時のものもあった。

 一体どこまでついてきていたんだ……


「で、でもそんな写真だけで信用するなんて母さんも母さんだよ……」

「うん、だから実家に行ってお母さんと一緒にお弁当とか作ったりしたよ」

「ああ、それはそれは……今なんて?」

「だから、試合の前日にお母さんと一緒に高山君のお弁当作ったりしたよって」

「え、え……」


 当然ご存知でしょと言わんばかりに淡々と話す彼女の目が怖い……。


「高山君、公式戦の時はいつもお弁当にハンバーグ入ってたでしょ?」

「な、なんで知ってるんだそんなこと……」

「あれ、私が作ってたんだよ?」

「———!?」


 ま、待て待て……俺は知らない内にこいつの作ったものを食べていたのか?


「で、でも俺はお前が家に来てたことなんて知らないぞ……」

「だって、試合前日でいつも早く寝るんだもん高山君。それに、サプライズにしたいからってお弁当のことはお母さんに黙ってもらってたし」

「お、俺が寝てる間にそんなことが……」


 や、やっぱりこいつはやばいぞ……

 ストーカーの中でも思い切りプライベートにまで踏み込んでくる部類の異常者だ。


 し、しかし逃げるにも家は同じアパートだし、どうすれば?

 いやこれ昨日もやってたな……

 と、とりあえずもう少し話を聞くか?


「ち、ちなみになんで俺のことをそんなに追っかけてるんだ?」

「え、それはもちろん高山君のことがだいす……好きとでも言うと思ったでしょ!ち、違うからね、普通に陸上が好きでたまたま有望選手として目をつけただけよ」


 今思いっきり大好きって言ったと思うんだけどな……

 それにこの時々出てくる謎のツンデレはなんなんだ?


 もう次から次へと俺に関する未知の情報が溢れてきて、正直俺は食傷気味だった。


 これ以上は聞くのが怖かった。

 最後には俺の隣で寝ていたくらいの事実が出てきてもおかしくないレベルでこいつの話は狂っている。

 このまま母さんがこの異常な女に騙されているのは見過ごせない。

 しかし俺の話は聞いてくれる感じでもなかったし……


「あ、あのさ。母さんに本当のこと話せよ。騙してるのって、いい気がしないだろ?」

「騙す? 誰を? なんで? どうやって?」


 俺が騙すというワードを出したことでか、ゆきめは大きく目を見開いて俺に迫ってきた。


「い、いやだから母さんにちゃんと事実をだな」

「事実しか言ってないよ? 写真も本物だし、お弁当だって私があなたに食べさせたいとしか話してないし、お母さんに嘘なんか一つもついてないよ? だから何も正すことはないわ」

「い、いやでもそれは誤解だって」

「じゃあこれから事実になればいいんだね」


 その時ゆきめは笑った。

 ただ美人が嬉しそうに笑っただけなのに、俺は鳥肌が立った。


「それで、今日は高山君の家で夕食作ろうと思うんだけどどうかな?」

「な、なんでわざわざそんなこと」

「明日から陸上部復帰でしょ? それだったらうんと栄養とっておかないと!」


 俺だって男だ。

 可愛い女子を家にあげることはやぶさかではない。

 むしろ興奮だってする。


 しかしこいつは別だ。

 不覚にも朝一度だけ部屋に入れてしまったがあの時ですら盗聴器なんかを仕掛けられた可能性もある。

 だから帰って一人で部屋を捜索して、変な機械が取り付けられてないかとか、逆に何か盗まれてないかを確認したい。


 だが断ればまた泣いたり怒ったりで周囲を巻き込もうとする。

 逃げたら今度こそベランダから侵入するかもしれない。

 それを咎めたら飛び降りるかもしれない。


 くっ……従う以外の選択肢が悉く潰されている。


「わかった、そのかわり晩飯食べたらさっさと帰ってくれよ」

「もちろん、用事が済んだら帰るわよ。だから勘違いしないでよねって言ってるでしょ?」


 なるほど、交換条件というやつは成立するのか。

 だったら、ゆきめの要求を一つ聞く代わりに俺の要求も一つのんでもらう。


 一方的に拒絶するよりはいくらか穏便な解決方法かもしれん。

 とりあえずはこれを軸にこいつをかわすしかない。


「あ、スーパー寄っていい?」

「じゃあ俺はその間に帰って着替えていいか?」

「ダメ、私に料理作らせるのに買い物までさせるつもりなの?」

「ま、まぁそれもそうだな……さっさと買ったら帰るぞ」

「もちろん」


 時々素直というか物分かりがいいのは気になるけど、根っからの非常識というわけでもないのか?


 ゆきめのことを頭の中で分析しながら、彼女がスーパーで食材を買い揃えていくのに付き合っていた。


 そしてレジに向かうと、そこには見たことのある顔があった。


「あれ、神坂さんだよね?」

「あ、波多さん。今日はアルバイトなんだ」


 クラスメイトの女子の一人である波多さんがレジでアルバイトをしていた。

 俺は彼女と話したことはないが、どちらかといえば目立つ側のグループに属している波多さんの存在くらいは俺も知っている。

 可愛い系の明るい子だ。


まぁ向こうは俺のことなんて知らないだろうし先に入り口の方に行っておこう。


「今日は彼氏さんのおうち? いいなぁ」

「うん、ハンバーグ作ってあげるの。彼の大好物」


 今二人のやり取りで彼氏というワードが聞こえたな。

 それにハンバーグ……あの味を再現してやるってことか?


 もしかして俺が見ないフリをしている間にも着々と周りから固めていってるのかこいつは?

 だとしたらまずい、既成事実というのは時に真実より重い時がある。


「高山君、波多さんだよ。同じクラスの」

「へ、あ、ど、どーも……」

「あ、波多です。話したことないよね? でも超美人な神坂さんをどうやって口説いたのか今度聞きたいなぁ」

「い、いやまぁ」


 レジを打ち手際良く商品をカゴに戻しながらそう話す波多さんは何も知らない。

 いや、むしろメイキングされた嘘の事実しか知らない。


 だから俺をそんな羨ましそうな目で見れるんだよ。

 現実なんてただストーカーに脅されて晩飯を一緒に食えと強要されているだけなんだぞ……


 とか。

 言いたいことはたくさんあったけど何も言えず。

 波多さんはその後も忙しそうに客を捌いていた。


 買い物カゴいっぱいの食材を袋に詰めている時のゆきめは、ただのしっかり者の女子にしか見えない。

 たくましくもあり、それでいて女性らしい。

 なぜこんな子がそんな奇行ばかり……それって俺のせい?

 い、いや自分を責めるな。

 俺は被害者なんだから。


「荷物、持ってくれる?」

「あ、ああ持つよ。すまん」


 なんで謝るんだよバカか俺は。

 とはいえ、いくらストーカーでも女の子に荷物を持たせるわけにもいかない。


 渋々買い物袋を下げてゆきめについていった。


「ふふっ、家がお隣だと便利だね」

「……」


 やはり家の中に入れることには抵抗があったが、今更断る理由も見当たらず二人で俺の部屋へ。


 家に着くとすぐに彼女は料理を始めた。

 俺は何もしなくていいからと言われたので、お言葉に甘えてテレビを見てくつろいでいた。

 もちろん気が休まることなどない。

 部屋に自分のストーカーがいるのだから当然のこと。

 しかしどうすることもできず、とりあえずベッドにもたれかかって体だけでも休めることに。


 その間の彼女は慌ただしく一生懸命に了解をしていた。

 それもこれも俺のため、と言われたら悪い気はしないが、それでも怖いものは怖い。


 いつキッチンから包丁を持ってやってくるか、なんて想像をしてしまうとゆっくりなんてできやしない。


 しかし心配をよそにちゃんと料理はしてくれていたようで、やがて料理が完成しゆきめの話した通りのハンバーグと、加えてシチューまで出てきた。


「はいどうぞ」

「ご、豪華だななんか」

「だって今日は高山君の復帰祝いだもの。って言ってもこれは陸上界を代表して私がしてあげるってだけの話だけどね」


 だからお前は陸上界の誰だよ。

 いちいち母さんと陸上を隠れ蓑に使うな、というかその二つくらいしか……俺にはそれくらいしかないのか……。


 なんか勝手に自虐的になってしまったが、それでも眼前の美味そうな料理には勝手に箸がのびる。


「いただきます……う、うまい。それに」


 それに、この味は知っている……

 俺が珍しく母さんに美味かったと話したハンバーグの味だ。

 あの時の母さんの嬉しそうなというか微笑ましい感じは今でもはっきり覚えている。

 今思えば、母さんの反応は自分が褒められて照れていたんじゃなくて、俺が彼女のことを褒めていたから微笑ましくニヤついてたんだ。


 ……こいつの話はどうやら本当みたいだな。


 あの時、結果的に母ではなくゆきめを褒めていたと分かるとまたゾッとした。


「大好きだもんねこれ。あ、それにシチューも食べて」

「う、うん……これは……?」


 待て、やっぱり待ってくれ。

 この味、家で時々出てきていたのと同じだ。

 まさか、いや流石にこれは母さんから教えてもらったとかいうオチだろう。


「か、母さんの作る味に似てるな」

「え、お母さんはシチュー作れないよ?」

「そ、そんなはずは」

「高山君がいつも食べてたのは、私がお母さんにお裾分けしてあげてた分だよ?」

「まじか……」


 俺がもし将来有名になって学生時代の母の思い出の料理なんかを聞かれたりしたら、まず間違いなくハンバーグとシチューはランキングしていただろう。


 それが全部こいつの手料理だったなんて……。


「私高山君のためなら毎日だって……つ、作ってあげないこともないんだからね」


 俺は一言、作っていらないと言いたかった。

 しかしこの密室でストーカーと二人。

 刺激することはできない。


 それに、どこか青春の思い出まで汚されたような気分になり、抵抗する元気も残ってはいなかった。


 そんな憂鬱な夕食の途中。

 なんの因果か、俺の携帯に母から電話がきた。





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