第35話 無双

 俺がゆきめとの交際を遠坂さんに認めた日からしばらくは平和だった。

 ゆきめは機嫌がいいし、キスこそ迫ってくるが突然裸になったり無理やり何かをしようということはない。


 あれから遠坂さんも大人しい、というか俺に絡んでこなくなった。

 チラチラ見てくるが、俺が気づくとすぐに目を逸らしてしまう。


 九条さんも、俺に絡むとろくなことがないと思ったのか一切口をきいてくれなくなった。

 そしてゆきめは俺を独占できている毎日にニヤニヤしている。


「蒼君、明日は週末だよ?午後から何する?」

「そうだな。暑くなってきたし部屋の模様替えとか」

「じゃあ家電見に行かない?お買い物したいな私」


 部活が終わり家に帰った後、当たり前のようにキッチンで晩飯を作りながらゆきめは俺に買い物を提案した。


「いいけど、そんなお金ないぞ?」

「大丈夫、最近は安くていいのたくさんあるし。それにママからポイントもらったから結構買い物できるよ」


 楽しそうに話すゆきめは本当にただの女の子だ。

 雨降って地固まったわけではないが、あの日の選択は間違ってはいなかったのだろうか。

 ゆきめが機嫌よくいてくれると本当に俺も気分がいい。

 それに基本的には尽くしてくれるから居心地もいい。


 ようやく俺の生活が、色んな犠牲の上に成り立って好循環で回るようになってきたと思う。


 その日はさっさと寝た。

 ゆきめも珍しく自分の部屋に帰った。


 うん、いい感じだな。こんな生活が続けばいいのにと淡い期待を胸に俺はぐっすり眠りについた。


 翌朝、朝食も外で食べようと言ってゆきめが早くから部屋にいた。


 そして二人で電車に乗って向かったのは街にある大きな家電量販店だ。


 こっちに来た時に一度だけ買い物に訪れた以来だったが、ここでゆきめのストーキング力が炸裂する。


「蒼君、千百ポイント余ってるよね?それも使っちゃお?」

「え、よく覚えてるなお前……」

「それに店員さんにしつこくされて渋々買ったDVDプレーヤー、全然使ってないよね」

「う、うんそうだけど」

「でもでもー、ここの下のクレープを一人で買ってた時はちょっと可愛かったなぁ」

「……」


 もう慣れっこだが、本当にこいつはなんでも知っている。

 俺の過去の思い出話なんてする必要もないどころか、俺が覚えていないことまでこいつは正確に記憶している。


「そうだ、蒼君が前に欲しがってたゲーム機ポイントで買っちゃう?」

「え、いいの?でもあれ高いよ……」

「ふふ、なんとママが貯めたポイントは四万円分あるのよ」


 自慢げに親から預かったポイントカードを見せてきながら、ゆきめは急にスイッチを入れる。


「で、でもこれは自己ベストのお祝いであって別に蒼君に尽くしてるとかそんなんじゃないからね!私、貢ぐ女とかじゃないもん」


 俺に人生そのものを貢ぎきっているやつの言うセリフか? 

 ていうか自己ベスト出るたびにこんな大きな買い物してくれるなら、高校を卒業する頃には俺の家はゲームショップにでもなってるんじゃないか……


 しかし素直に好意を受け取らないとまたあれこれ言われそうなので俺は甘えることにした。


 なんか彼女に、いや正確には俺の場合は彼女ではないけどそういう立場の人に高価なものを買ってもらう男性ってどうなんだろうって思ってたけど、今の俺がまさにそれだ。


 なんか自己嫌悪だなぁ。

 勝手に尽くされているとはいえ、してもらってばっかなのはやっぱりいい気がしない。


「……それなら昼飯、おごるよ」

「え、なんで?」

「なんでって……そんな高いもの買ってもらったらさすがに何かしないと」

「別に二人のものだからいいじゃん!」


 ゆきめはあっさりとそう言ってのけた。


 私のものは二人のもので、俺のものも二人のものだと言うゆきめイズムはなんともまぁピュアな考え方だと思う。


 普通夫婦でも各々の持ち物とかあるだろうに、こいつにはそういうプライベートという概念が、少なくとも俺に対してだけ存在しない。


「というわけで、早速買いに行こっ」

「あ、ああ……」


 俺たちは店に入ると、早速店員さんに捕まった。


「今日はカップルでのご来店ありがとうございます!失礼ですがお二人は今大学生ですか?」


 二十代の若い女の店員さんが、俺たちに何の悪気もなくそう言った。


 俺もゆきめも確かに歳上に見られる見た目ではある。

 しかし男子はまだいいとしても女子はどうだ?


 この歳なら、大人っぽく見られてよかったなんて解釈もできないことはないが。


「すみません、私たちまだ高校生なんです」


 ゆきめは笑顔で対応している。

 店員さんもすぐに謝っているし、ゆきめだって大人の対応が取れるんだなぁと安心していたのも束の間だった。


「ま、同棲してるんですけどね私たち。それで、お姉さんは独身?」

「え、高校生なのに……は、はい私は独身ですけど」

「そうよねぇ、だってそんなにデリカシーない人って結婚とか難しそうだから。じゃあ、買うものあるから失礼します」

「……」


 店員さんはひどく落ち込んでいた。

 「どーせ私なんて」とか呟きながら裏へ消えて行ったのを見る辺り、今日は仕事になりそうもないな……


 スッキリした表情でゆきめが次に向かったのはゲームコーナーだ。

 さっき言っていたゲーム機を買ってくれるようでついでにソフトも見ることになった。


「あ、これ二人でやらない?」

「野球ゲームかぁ。俺やったことないんだよな」

「じゃあ負けたら罰ゲームね。これもくださーい」


 ゆきめは即決即断、迷わずに買い物を進めていく。

 俺は一人で買い物に行くと、ケチケチしてしまったりどれを買うか迷ったり、結局買わなかったりなんてこともしばしばあるので、ゆきめと買い物をしていると気持ちがいい。


 さっさとレジで買い物を済ますと、ゆきめがまた別の店員に絡まれた。


「よろしければ、このテレビモニターとかをセットでいかがですか?」

 

 若くて美人な店員さんは、今なら一割引にすると交渉してきた。


「へー、どーする蒼君?」

「ありがたいけど……でも今あるやつで十分だろ」

「そだね、じゃあ」

「彼氏さんですか?カッコいいですね」


 おっと店員が食い下がってきた。

 俺を褒めてゆきめの機嫌を良くして買い物をさせる作戦なのだろうが、それは逆効果な気が……


「私の蒼君に色目使わないでくれる年増のおばさん」

「お、おばさん!?」

「ええ、蒼君は私にしか興味ないから。じゃあ失礼します。失礼なのはそっちだけどー」


 散々毒を吐いたんきめは俺の手を引いて出口に向かっていった。

 さっきの店員は年増といわれたことに傷ついている様子で「三十路っておばさんなのかな……」と呟きながら消えて行った。


 ……十分綺麗ですよー、と心の中で励ましたがもちろん届くわけもなく、なんの気休めにもならなかった。


 ゆきめを外に出すとところ構わず人を切りつけていく。

 この後に寄ったクレープ屋の店員になんて「私の彼氏ジロジロ見ないで変態」と大声で言うものだから、並んでいた他の客からも失笑が漏れた。


「ゆきめ、別に店の人は悪い人ばかりじゃないんだからさ……」

「ダメ、蒼君をたぶらかす奴はみんな悪い奴。ひどいようなら私が殺す」


 ここまで出てきた登場人物で一番ひどいのは間違いなくお前だよ……


 頭が痛くなってきた。

 買い物デートくらいなら平和かも、とか考えていた昨日までの浅はかな自分を殴りたい……


 ゆきめの性格を考えると、街は危険で溢れている。

 若い女性があちこちにいるこの空間はまさに地獄。

 張り巡らされたトラップを掻い潜るように俺は街を歩いた。


「そろそろお昼かなぁ。朝ごはん食べてないし早めに食べる?」

「そうだな、お腹空いた。ハンバーガーとか久々に食べたいな」

「いいよ、そうしよー」


 ゆきめはすぐに「オススメの店があるの」と言ってチェーン店ではない個人経営のハンバーガーショップに俺を案内した。


「ここ、美味しいのよ」

「へぇ、初めてだな」

「ここ、ミナミ先輩の実家だよ」

「え、そうなの?」


 知らなかった。ていうか普通先輩の親が何してるかなんてよほど親しくないと知らないよ……


 なんか嫌な予感がする中、俺たちは店に入った。

 するとお店にはレジを手伝うミナミ先輩がいた。

 

「いらっしゃいませ……あ、高山君と神坂さん!今日はデート?」

「はい、先輩はお手伝いとか偉いですね」

「人手が足りないのよ。ゆっくりしていってね」

「蒼君を見たいからですか?」

「そ、そんなつもりはないよ……」


 ゆきめの警戒心は極限まで高まっていた。

 ミナミ先輩に対しても敵意剥き出しだ。


 頼んだハンバーガーを受け取ると、レジから一番遠い死角にわざわざ座る。

 そんなことするならこの店選ばなかったらいいのに……


「蒼君、あーんしてあげる」

「い、いいよ自分のペースで食べるから」

「ほら、ポテトも美味しいよ」

「……」


 次々と食べ物を口に放り込まれて俺はそれを飲み込むのに必死だった。

 更に、ミナミ先輩が俺たちのそばを通るとゆきめが「山田のどこがよかったんですか?」なんてことを言うからミナミ先輩はテンパってしまっていた。


「食べたらもう出ようよ……早く帰りたい」

「早くゲームがしたい?」

「ま、まぁそんなところだよ……」


 ゆきめと早く二人きりになりたい。

 そんなことを思ったのはゆきめと知り合ってから初めてだ。


 なぜ一人はダメかというと、ゆきめがいないとそれはそれで不安なのだ。 

 寂しさとかではなく、今何を企んでいるのかという恐怖が、本人が見えない分余計に増幅するのだ。

 とりあえず二人でいればゆきめの様子もわかるし安心だ。

 だから早く二人きりになりたい。


「私と二人きりになりたいんでしょ?べ、別に私はいいけどね!」


 ああ、仰る通りだよ。

 だから早く二人きりにならせてくれ。


 そんな願いも虚しく、店を出るとゆきめが、今度は俺の服を買いに行くと言い出した。

 

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