第20話 オウンゴール

「改めまして皆様はじめまして。神坂雪愛の母の絹江きぬえです。本当にいつも愚女がご迷惑をおかけしています」


 用意された個室に入り、高山家と神坂家で分かれて向かい合うと、すぐにゆきめのお母さんが丁寧に挨拶をはじめた。


 服装もどこかのパーティーにでも出席するかのような綺麗な黒のドレスを着ていてとても品がある。


 しかし、こんなまともそうな人なのに娘の異常さについては気がついていないのだろうか?


 ゆきめが本当に愚女なのだとわかって今の言い方を選んだのだとしたら御見逸れするが……


 ここは一つ探りを入れてみるか。


「い、いえこちらこそゆきめさんには大変お世話になってます。しかし一つお伺いしたいのですが、神坂家は門限とかはなかったんですか? 中学の頃も、いつも遅くまでうちに来てて大丈夫だったのかなと……」


 まずはこの家に事情を聞いてみるとしよう。

 それにいくらゆきめでも親の前では暴走できまいし邪魔しては来ないだろう。


「高山君、うちは特にそういうのはなかったわよ。自由にさせる代わりにしっかりと目標を持って行動すること、それが家訓と言ったところかしら」


 なるほど……つまりはほったらかしだと言うことだな。

 だからゆきめが自由気ままに外でやりたい放題できたわけだ。

 そのせいでこんなことに……

 ていうかその家訓の中に目標の為でも手段は選べと追加しておいてくれ……


「高山君はうちの娘と交際してどれくらいになるのですか?」

「え?」


 しまった、逆に質問が来ることに備えてなかった。

 そうだ、向こうからすれば俺は大事な娘にちょっかい出してる男子なのだ。

 だから俺がどんな人間でゆきめとどんな付き合いをしているか聞いてくるのは普通のことである。


 しかし……なんて答えればいいんだ?

 ゆきめが既に母親やうちの家族にある程度の話をしているかもしれないし、あいつの妄想の中では俺との交際は一体いつからなんだ?


 あんまりかみ合わなくても不審がられる……いや、そうだ。不審がられていいんだ。

 俺の話とゆきめの話がかみ合わなくなればなるほどみんな俺たちの関係が変だと気づくはず。


 よし、そうとわかれば……


「ゆきめさんとは」

「高山君とは中学の時から実は交際してたんだけど彼が陸上に専念するためにってことで一度距離を置いてたんだ。でもその間もお母さんたちとは仲良くさせてもらってて高校で再会して今に至るんだよ」

「……」


 ゆきめが割って入ってきて自分の妄想を垂れ流した。


 なんだそのストーリーは?

 ……し、しかしさっきの話なら俺と中学の時に全然会っていないことも説明がつく。

 もしかして母さんたちにもそういう説明を?


 横を見ると母さんとミクが頷いている。何もおかしな話はない、ということか。

 それにだ、俺が中3になった時にミクの風当たりがさらに冷たくなった時期があったのだがそれが所謂、俺とゆきめが一度距離を置いていた時期、なのだろうきっと……


 こいつ、絶妙に嘘がうまい上にその嘘すら真実になるように既に手を回していたなんて……こんな日が来ることを想定しての根回しだとしたら、そんな先読み能力に長けたこいつに勝てる気がしない。


 俺はゆきめにメイキングされた俺たちの馴れ初めについてとっさに反論ができなかった。

 するとまた絹江さんから質問が飛んできた。


「お二人の出会いはどういったかんじだったの?」


 ナ、ナイスアシストだ絹江さん。

 実際の出会いは実は高校に入ってからだし、そうなるとさっきの話が嘘だと……


「高山君の試合見に行ってた時にね、ファンになったから写真撮ってもらったの。それでね、すぐに話が合って付き合うことになったんだー」


 またゆきめが先に喋りだした。

しらじらしいやつだ、そんな写真なんて一枚もとった覚えはない。

 いや、見せたとしてもどうせこいつの盗撮だろう。

 ここはひとつ……


「え、そんな写真撮ったっけ?」

「高山君忘れたの? ひどーい。でもでも、これ見たら思い出すよ」


 ゆきめがワクワクしながら写真を探し出した。

 しかし俺は、俺だけはお前の妄言に話を合わせるつもりはない。

 俺のはるか後ろでピースしてるような写真なら、一蹴してやる。


「はいこの写真だよ、覚えてない?」

「そんなの覚えてるわけ……あ……」


 そこには確かに俺とゆきめが写っていた。

 しかも俺はゆきめと並んでカメラに収まっているではないか。


 ……思い出した、撮ったよこれ。

 この日は県大会で俺が自己ベストを出して優勝した後、やたらと女の子に写真を撮ってほしいと頼まれた日だ。


 気分もよかったし、断る理由もなく先生に頼んでシャッターを切ってもらっていたのを思い出した。


 その中にこいつがいた、というわけか。


「ね、思い出した?」

「あ、ああ……」

「ふふ、よかった」


 ゆきめが嬉しそうに笑うと、皆も和んだ。

 妹なんて「お姉ちゃんみたいな人から言い寄られるなんてお兄ちゃんの身にあまる贅沢なのに忘れるなんて最低ね」なんて言う始末だ。


 しかしこれはただ写真を撮ったというだけで、こいつとこの時知り合ったというわけではない。


 ……なんてことを言ってもこの空気では信用してもらえないだろうな。


 結局ゆきめにペースを握られたまま会話が進んでいくうちに今日のメインであるお寿司が次々と目の前に並んでいった。


「わぁ、美味しそう! お母さんありがとうございます」

「ささ、ゆきめちゃんも絹江さんもいっぱい食べてね。」

「ふふ、なんかこうしているとお見合いのようですね。うちの娘は果報者です」

「お姉ちゃんとお兄ちゃんが結婚したら嬉しいな私も!」


 俺以外の四人はそれぞれ歓迎ムードでこの場が作られたことを喜んでいる。


 そして高そうなお寿司に舌鼓を打ちながら幸せそうな顔で話に花を咲かせている。


 しかしもちろん俺は食欲などなくなっていく一方で、途中席を外してトイレに向かった。



 はぁ……これはいよいよ引き返せないところまで来てしまった、のかな……


 せめて誰か一人くらい俺とゆきめの本当の関係を知ってくれたらそれだけで気が楽になるんだけど。


 俺はトイレの前の共同の洗面所の鏡の前で一人悩んでいた。


「高山君、大丈夫?」

「ゆ、ゆきめ?」


 俺の後ろからゆきめが声をかけてきた。

 その顔は晴れ晴れとしている。


「私がちゃんと話してあげたからお母さんたちに変な心配されずに済んだんだし、感謝してよね」

「い、いや嘘じゃないかあんなの……」

「嘘? じゃあそれが嘘だって言う証拠あるの?」

「そ、それは……」

「ふふ、大丈夫。今ちゃんと付き合ってるんだし多少の誤魔化しくらい気にしなくてもいいって」


 顔を赤らめてニヤけるゆきめは真っ赤な嘘を多少の誤魔化しと言い切った。


 いや今もお前と付き合った覚えないんだけど……

 しかしよくもまぁあんな嘘に信憑性を持たせられるだけの材料が揃うというか……


「高山君、あの時っていっぱい女の子が写真撮りに来たけどなんでかわかる?」

「え、いや県大会で優勝したからじゃないのか?」

「さて、どうかな。私、先に席にもどるね」


 ゆきめは含みのある言い方をして先に行ってしまった。


 もしかして、あれもゆきめの仕業なのか?

 確かに変だった。他の大会で新記録を出した時だってあんなに女の子に集られたことはなかったのに、あの日は次々と女子が俺に声をかけてきた。


 まさか、自分の隠れ蓑にするために彼女たちを……

 木を隠すなら森の中、ということか?


 俺は何をすればそんなことができるのかすら整理できずにモヤモヤしたまま、とりあえず席に戻った。


 相変わらず四人は楽しそうに話をしている。

 絹江さんと母さんもすっかり打ち解けているし、ミクはゆきめにベッタリだ。


 俺はみんなの会話を聞きながら、慣れない寿司を口に運び堪能することもなく片付けた。


 食べ終えると皆が美味しかったと口を揃え、また幸せそうな表情を浮かべた。


 ゆきめと俺の縁で、周りがこんなに幸福に包まれているのを目の当たりにし、俺はもう自分がどうするべきなのかを見失いそうだった。


「さて、それじゃあとは若い人に任せて私たちはお先に失礼しようかしらね」


 そう言って母さんと絹江さんが席を立った。


「え、もう帰るの? 私お姉ちゃんともう少しお話したいよー」


 ミクはよほど楽しかったのか、この場が解散になるのを惜しんでいた。

 ちなみにこの寿司屋に来てからの数時間俺はでミクと一度も目があっていない。


「ミクちゃん、駅までお見送りするからその間にもう少し話そ」

「うん、ありがとうお姉ちゃん!」


 ゆきめは寂しそうにするミクにそう声をかけると、お手洗いに行くと言って席を外した。


 母さんと絹江さんはレジの方に向かいながら、私が出すとお互いが言い合うという大人ならではの定番の茶番を繰り広げていた。


 そして一時的に俺はミクと二人になった。


 ……気まずい。

 ミクも俺だけになり不満そうな顔でだんまりだ。


 しかしこいつだって俺とは血を分けた兄妹、もしかしたらわかってくれるかもしれない。

 ダメ元でいいから話をしてみようか。


「ミク、実はさ」

「言わなくていい、わかってるから」

「え?」


 目を細くして、俺の方など見向きもせずにミクがそう言った。

 わかってるだと?

 もしかしてこいつ、俺とゆきめのこと実はわかっていたのか?


「お姉ちゃんのことでしょ?」

「え、いやまぁ……わかるのか?」

「わかるわよ、一応兄妹なんだし。」

「ミク……」


 なんだよ、なんだよなんだよおいおい。


 可愛くない妹だと思っていたが、やっぱりそれでもちゃんと妹なんだな。

 なんかこの無愛想な感じも急に可愛く見えてきたぞ。


「お姉ちゃんにちゃんとより戻そうって言えてないんでしょ?」

「ああ、実はそう……はい?」

「だからさ、距離置いた後に高校で再会してナーナーで復縁した感じを気にしてるんでしょ? 気まずそうにしてるお兄ちゃん見ててピンときたわよ」

「え、いや……」


 全然わかってないんかーい!

 なんだそれ?

 すんごいお兄ちゃんワクワクしちゃったよ?

 お前のこと可愛い妹だなんて思っちゃったよ?

 離さなくても通じ合えてるとかも思っちゃいましたよ?


 俺の期待を返せこのクソ妹!


「ミク、違うんだよ実は」

「言い訳とかいらないから。私、お姉ちゃんにちゃんとアシストしとくから、そっちもちゃんとしなさいよ。男でしょ」

「……」


 ダメだ、こいつ自分がいい妹を演じられてると思ってちょっと悦に入ってる……


 それにアシスト? いらないよそんなの。

 そんなことされたらお兄ちゃんオウンゴールしちゃうからさあ。


「二人で何話してるの?」


 しまった、ゆきめが戻ってきてしまった……

 い、いやしかしミクの誤解だけでも解いておかないと。


「ま、まぁ俺とゆきめのことをだな」

「お姉ちゃん、お兄ちゃんが今度二人でデートしたいんだって。部活ばっかりでゆっくり話もできてないから休みの日に付き合ってあげてよ」

「!?」


 ミクは見事に自軍のゴールネットを揺らしてくれた。

 更には俺に目で合図を送ってくる。

 多分、お膳立てしてやったからあとはちゃんとしろよと言うことだろうが、お前がちゃんとしろと俺は言いたい。


「ふふ、もちろんだよ。でも話って何かな? いい話? それとも……」


 ゆきめはミクに笑顔を浮かべた後、ミクに見えないように俺を睨んだ。


 俺はもう蛇に睨まれたカエルになり何も言えなかった。

 なにせ味方だと思っていたカエルが実は蛇に寝返っていたのだ。

 もうこの場での勝ち目などないことを悟った。


「ミク、行くわよー」


 呆然とする俺をよそに、母さんがミクを呼びにきた。


 そして俺たちも一緒に店を出て、三人を駅まで見送ることにした。


「今日は本当にありがとうございました。今後ともゆきめのことをよろしくお願いします」


 相変わらず丁寧に頭をさげる絹江さんをまず見送ってから、続いて母さんとミクを反対側の改札まで連れていった。


「蒼、ゆきめちゃんに迷惑かけないのよ。ゆきめちゃん、なんでも困ったことがあったら言ってね」

「はい、お母さん。夏休みには一緒にかえりますね」


 もうすっかり母娘のように会話する二人を見ながら唖然とする俺に、小さな声でミクが一言「頑張れ」と言って母さんのところに行った。


 そして名残惜しそうな二人の姿が見えなくなった時に、ようやく長い一日が終わったのだと少し息を吐く俺の横でゆきめがつぶやいた。


「さてと、何の話か楽しみね」


 その時のゆきめの顔は先程までとは違い、魔性そのものだった。

 そしてなぜか舌なめずりをした彼女は、俺の横にピタリとついて手を絡ませてきた。


 まだ今日は終わらない。

 ゆきめの手の感触が俺にそう伝えていた……

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