第22話 朝の日課
朝、というかまだ夜中だったが俺はゆきめが来る前に目が覚めた。
変な夢を見たのだ。
ゆきめと付き合っていて、夢の中の俺はとても楽しそうに彼女と話していた。
そして家に帰った瞬間なぜか包丁で刺されたというところで現実に帰ってきたというわけだ。
やっぱり、ゆきめと付き合ったりしたらそんなことも正夢になりそうだ。
昨日うっかりというかしっかりキスをしてしまった。
そこまでした以上は男としてはっきりするべきだと思う人がいるのもわかる。
いや別に誰に相談したわけでもないが、よくそんな話をネットなんかでも見る。
でも昨日のは事故だ。そして俺は事故の被害者だ。
真の男女平等を謳うのなら男だってこういう時に被害者だと名乗ってもいいだろうと、寝起きの変なテンションであてもなく訴えた。
しかしそんなことをしていると、ゆきめとキスをした場面を思い出してしまう。
……ダメダメダメ、もう一回くらいとか絶対に思ったらダメだ!
手を繋ぐのはもう仕方ない、そんなことくらいでとチャラい男みたいなことは言うつもりもないけどこれは避けられない。
しかしキスはダメだ。
一度雰囲気にというかゆきめの気迫に負けてしてしまったが、これをいつもとなればさすがに言い逃れは出来ない。
だから次はしない、絶対にしないという強い決意を持っておかないと……
俺は一度気持ちを落ち着かせようと冷蔵庫を開けた。
するとそこには、この前ゆきめが作っていたプリンが二つ並んであった。
そしてメモ書き? のようなものが貼られている。
『二人で食べようね ゆきめより』
なんか健気だと思ってしまった。
い、いやこういう女の子らしいというか、可愛げがあるんだよこいつには。
それでも裏でおかしなことはしているに違いないし、強引を通り超えて強欲だしあまりにそのやり方も怖すぎるわけだし……
だからだまされたらダメだ。
俺は一回キスしたくらいで人生を棒に振りたくない。
「おはよう高山君、開けて開けて」
今日はいつもより早くゆきめが俺の部屋にやってきた。
まだ4時だぞ? 一体何考えてるんだよ……
ドンドンと朝からうるさいので嫌々玄関を開けるとゆきめは何も持たずに玄関の前に立っていた。
「おはよう高山君。朝早くにごめんね」
「い、いやいつものことだけど……今日は早すぎないか?」
「だって、早く顔が見たかったんだもん」
「……」
い、いかんうっかり可愛いとか思ってしまった。
いや可愛いのは可愛いでいい、こいつは実際超が付く美人なんだから。
しかしそれにドキッとしたのがまずい。
やはりキスをしたせいだろうか、ゆきめを見ると変に意識してしまう……
「どうしたの?顔赤いよ?」
「い、いやなんでも……」
「じゃあ今からホットケーキ焼くからもう少し寝てていいよ」
「え、いいの?……寝てる間に何かするなよ?」
「し、しないわよ!私を誰だと思ってんのよ!」
誰だと思って、か……いや誰なんだお前?
ほんと、ここまで親密そうにふるまわれてもそれでもまだゆきめの正体がわからない。
どこの出身でどこまで俺のことを知っていてどうして俺に執着するのか。
謎しかない彼女をキッチンに置いて、俺はそれでも眠気が勝ってしまい再び布団にもぐりこんだ。
そして気持ちよくうたた寝をしていると、甘い匂いがしてきてぼんやり目が覚めた。
「高山君、朝ご飯できたよ」
ゆきめの顔が目の前にあって俺は飛び起きた。
「うわっ! お、おはよう……お前今キスしようとした?」
「してないよー。あれ、もしかしてしてほしかった?」
「そ、そんなわけあるか!」
ダメだ、こいつの顔を直視できない。
どうしちまったんだ俺……たかがキス一回でこんなストーカーに惚れたか?
バカ言うな、そんなことがあってたまるか。
俺は被害者、こいつは加害者、いや異常者だ。
ただそれだけ、それだけなんだ。
「早く食べないと冷めるよ?」
「……いただきます」
俺はゆっくり布団から出て寝起きそのままに机に並べられたホットケーキを口にした。
……うまい。
いやホットケーキって正直喉渇くしモサモサしてて苦手だったんだけどこれは死ぬほどうまい。
もうホットケーキが好物ですと言ってもいいくらいに俺はこの味が好きだった。
「ふふ、いっぱいあるから遠慮せずに食べてね」
「……なぁゆきめ、お前なんで俺のことが好きなの?」
率直な疑問だった。
こいつはこんなに料理がうまくて誰もが振り返るほど美人でコミュ力もあって、それなのにどうして俺なんだ?
どうして俺をストーキングしなければならない程に好きなんだ?
「ふふ、知りたい?」
「い、いやまぁ……」
「でも秘密♪」
「な、なんだよそれ。気になるだろ?」
「あー気になるんだ、嬉しい♪ でも秘密だよ」
なぜかはぐらかされてしまった。
こいつは自分のストーカー歴なんかは惜しげもなく赤裸々に語るくせに、肝心の部分だけはいつも何も言わない。
だから余計にこいつの事がわからなくなるのだが。
「食べ終わったら一緒にプリン食べちゃお」
「あ、ああそういえば冷蔵庫にあったな。」
俺は結局ホットケーキを三枚も食べてしまった後、ゆきめ、の出してくれたプリンを食べることにした。
そしてこれがまたびっくりするほど美味い。
まじでコンビニで売ってるやつがカスみたいに思えてくるな……
「どう、美味しい?」
「う、うん美味いけど……ゆきめは何でも作れるのか?」
「うーん、大体はできるよ?」
「家で家事を手伝ってたから、とか?」
「んーん、高山君の為に勉強したの」
もうツンデレキャラなんて設定はどこかに忘れてきましたと言った様子で惜しげもなくゆきめはそう言った。
そしてうっかりキャラを忘れていたことに気づいたゆきめは慌てて取り繕う。
「で、でもそれは陸上選手としての高山君の為に栄養学を学ぼうと思って始めただけだからね! 別に喜んでもらいたいとかそういうんじゃないから!」
栄養学にプリンやホットケーキって出てくるのか?
それに結局それって俺の為じゃんかとツッコみたくはなったが、藪蛇になりそうなので黙ってプリンを食べた。
そして一緒に家を出て手を繋いで登校し、皆に羨望と嫉妬の目で見られながら教室に入り席についてからようやく自分の時間ができるまでがもう通常運転。
授業中が一番落ち着くなんて生活は、少し前には考えられなかったが不思議なもので、人の感覚というのもちょっとしたきっかけで変わるのだ。
だとしても俺がゆきめに対する考え方まで変えるつもりはない。
今日は穏やかな一日を過ごせますようにと祈りながらなんとか放課後になると、今日は部活の方が騒がしかった。
少し早めにグラウンドに出ると、そこには二人の人影があった。
山田が復帰させてくれとミナミ先輩に頼みに来ていたのだ。
「頼むよミナミ、俺心を入れ替えて頑張るからさ」
「山田君それ何回目? 私だってもう庇いきれないよ」
「そこをなんとか、なぁ頼むって」
何度も必死に頭を下げる山田を見ていると、俺もなんだか不憫な気持ちになってきた。
あんな奴でも一応陸上を愛しているんだろうか。
いや、たとえ見栄の為だとしても走るのが好きな気持ちはどこかにあるのかもしれない。
そう思うと、もういいんじゃないかと思い山田の方へ行こうと足が動いた。
しかし俺より先に山田の元に、どこからともなくゆきめがやってきた。
またやばいことになるのではと思い止めようとしたが、ぎろりと睨まれて足が止まる。
また機嫌を損ねても嫌なので、俺は近くでその様子を見守ることにした。
「山田せんぱい、お久しぶりです。今日は陸上部に何の用事ですか?」
「あ、神坂さん……い、いやもう一度部活に戻りたいなって……」
「なんでですか?」
「そ、それは、走るのが好きだし……ゆ、許してくれないかな」
山田がすごい汗をかいている。
よっぽどゆきめの事が怖いのだろうが、それでも食い下がるということはよほど部活に未練があるという証拠でもあるのだろう。
「ミナミ先輩はどう思いますか?」
「え、私は……正直迷ってるかも。それに神坂さんは被害者だし私たちよりあなたが決めてくれた方がすっきりするかなって」
「わかりました。じゃあ山田先輩はいらないので帰ってください」
「え?」
まぁあっさりしていた。
一切の同情などありませんといった感じでスパッと山田を切り捨てていた。
「ま、待ってくれよ神坂さん! ここまでお願いしてるんだから……」
山田が食い下がったその時、ゆきめがキレたのがわかった。
鬼の形相で山田を見下してから、こう吐き捨てた。
「うっさい死ね。次は殺すぞ」
その一言で山田はまたあの日のように膝から崩れ落ちた。
そしてしばらく地面に手をついたまま震えていたが、やがて立ち上がるとゆっくり姿を消した。
その様子を横で見ていたミナミ先輩も少し怯えていたが、様子のおかしいゆきめに恐る恐る話しかける。
「か、神坂さん? あ、あの……気持ちはわかるけどちょっと言い方が……」
「何がですか? ていうかなんで先輩もあんなクズをグラウンドに入れるんですか? 部長なんですからちゃんとしてください。次あいつがここに来たら燃やしますから」
「ひっ……ご、ごめんなさい私も次からちゃんとします……」
「はい、お願いしますね」
最後ににっこり笑ったゆきめだったが、もうミナミ先輩は腰が抜けてしまっていた。
そして立ち上がろうとする先輩にゆきめが追い打ちをかける。
「ミナミ先輩、あのクズが元カレだからって甘すぎますよ」
「え! な、なんでそれ神坂さんが知ってるの? 誰にも言ってないのに……」
「さぁ? それより、キャプテンにそのことを言われたくなかったら……わかりますよね?」
「え、えと……」
「わかりますよね!?」
「は、はひ!」
もう半泣き状態のミナミ先輩がゆきめに強く脅されて、なぜか敬礼していた。
まさか山田がミナミ先輩の元カレだったとは驚きだ。
誰もそんな話はしていなかったし、本当に秘密にしていたことなんだろう。
でもなんでそんな事実をついこの間まで部外者だった転校生のゆきめが知ってるのかは、もはや意味不明だ……。
ちょうど山田の一件が片付いたころ、ゾロゾロと他の部員が集まってきたので一旦ゆきめは俺のところにやってきた。
「高山君、見てた?」
「え、いやちょっとだけ……」
「ふふ、ミナミ先輩も元カレに甘いなんてだらしないですね。」
「い、いやそうだけど……」
「なんで知ってるか、聞かないの?」
「へ?」
意外な質問に俺は変な声が出た。
い、いやなんでこいつは自分のそういうところだけ言いたがるんだ?
「ねぇ、なんでか気にならない?」
「気にはなるけど……どうせミナミ先輩をつけまわしたとかそんなオチじゃないのか?」
「ブブー、正解はね……ミナミ先輩の部屋に入って二人で撮った写真を見ちゃいました、だよ」
「なるほどそういう……なんだって?」
「だから、部屋に入ったの。高山君と怪しい関係だったらやだなーって思って。そしたらあのクズと写ってる写真があったからなるほどねって」
「入ったってお前……」
いや、もしかしたらミナミ先輩の家に遊びに行ったのかも、なんてことはないだろう……
こっちに来て陸上部に入ってミナミ先輩と知り合ったんだし、それからは俺とずっと一緒だし……
「いつだ?」
「え、こっち転校する前だよ」
「い、いやその頃からミナミ先輩知ってたの?」
「うん、高山君と話してるのいつも見てた」
「……」
ま、まぁそれはそうか。
俺を毎日監視していたのなら、当然以前から陸上部のメンツも知ってて当然というわけだろうが……
「それ、犯罪じゃないか?」
「失礼ね、ちゃんとミナミ先輩の親には遊びに来た後輩として名乗ったわよ?」
「そ、それでどうやって部屋に?」
「前に忘れた物を取りに来ましたで済むじゃない? 簡単なお仕事よ」
簡単なお仕事……いややっぱりそれ犯罪だから。
当たり前のように勝手に人の部屋に入った話をするあたり、やはりゆきめはやばい奴である。昨日は家族で団らんしてキスをしてとか色々あったせいで鈍りかけていたが、こいつはやはりとんでもない。
善悪の基準がズレている。というより俺のことの為になら人を殺してもいいとか考えていそうだ。
「さ、今日も部活がんばろ。晩御飯はお鍋にするからね」
ルンルンで全体ミーティングに向かうゆきめはいつも通りだ。
しかし今日はミナミ先輩が完全にノックアウトされており、練習前から体調がわるそうだった。
更に。
原因はわからないがずっと九条さんに睨まれている。
またゆきめの奴が何かしたのだろうか……
アップに入っても九条さんは無口だ。
まぁそれはいつものことだが、今日は俺への視線を感じる。
俺もたまらず声をかけたかったが、なんと話しかければよいかわからないまま終始無言で練習をこなした。
そして最後のストレッチの時、九条さんと目が合った。
その時周りには誰もいなかったので、話しかけるチャンスだと思ったが先に彼女が口を開いた。
「変態」
そう俺に言って九条さんはさっさと更衣室に戻っていってしまった。
変態……変態?
え、なんで? なんでそんなこと言われないといけない?
そんなにジロジロ見てたのかな……い、いやそんなこともないと思うけど。
「どうしたの高山君?」
俺が悩んでいると、ゆきめがやってきた。
純真無垢で、白く、しらじらしい笑顔で俺に寄ってくる。
「い、いや別に」
「九条さん、何か言ってた?」
「え、いやそれは……」
なんか知ってそうな顔しやがって……
こいつ、なにかしたな?
「ふふ、そろそろ九条さんから何かあるかもね」
「あるかもねって……お前、なんのつもりなんだ?」
「さぁ? 私、ちょっとミナミ先輩にお話してくるね」
ゆきめはそう言ってストレッチをするミナミ先輩のところに行ってしまった。
一体あいつは九条さんに何を?
そしてどうしたいんだ?
あたふたするミナミ先輩と楽しそうなゆきめを遠目で見ていると、着替えが終わった九条さんがこっちにやってきた。
また何か言われるのか……
俺はとっさに目を逸らしたが、九条さんはそんな俺に声をかけてきた。
「あのさ……明日朝一緒に走らない?」
「え?」
俺は何を言われたのか一瞬わからなかった。
そして九条さんを見ると、夕日のせいなのか顔が真っ赤に映えていた。
「ど、どうなのよ……」
「い、いやいいけど……」
「……じゃあ明日、6時にここで。それじゃ」
九条さんは俺が何か言う前に走って行ってしまった。
どういうことだ?
一体ゆきめは九条さんに何をしたんだ?
俺が唖然としていると、ゆきめが夕日を背にして俺のところに戻ってくるのが見えた。
その顔は逆光のせいかとても暗かったが、ゆきめの白い歯だけが眩しく光っていた。
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