第11話 彼女なんだから

 もう深夜2時過ぎ、そろそろ寝たい。


 しかし、しかしだ。ゆきめは本当に寝たのだろうか?

 ただジッと息を潜めて、俺が寝るのを待っている可能性だってある。

 しかし振り向けない。振り向いて目が合ったりしたらそれこそ襲われるかもしれない。


 こうなることがわかっていたら、俺はどんな手段を使ってでもゆきめを部屋に帰していただろう。


 今日は少し気を許しすぎた。

 練習に付き合ってもらいご飯も洗濯もしてもらい更には背中まで流してもらったものだから無意識にこいつへの警戒が解けてしまっていたに違いない。


 ああ、しかしもう限界だ。

 眠気が襲ってきた……


 片手に持った携帯を見ながらぼんやりしているその時に、背後からベッドの軋む音がした。


 起きた?


「水…喉乾いた」


 ゆきめはそう呟いてフラフラとキッチンへ向かって行った。


 なんだ喉乾いただけかと安心していると、すぐにゆきめが戻ってきた。


「あ、高山君の匂いがする……」


 今度は眠そうにそう呟くと俺の布団に入ってきた。


「なっ……」


 や、ヤバい…やっぱりこいつ俺を襲うつもりだ。

 それになんなんだ俺の匂いって?

 こいつは犬か何かか……


 しかしいざとなったらどうする? 

 逃げるか、それとも寝たふりを貫いた方がいいのか……


 しかし布団の中で迷っているとゆきめは俺の背中にピタッとくっついて嬉しそうに呟いた。


「高山君……よかったね、陸上部に戻れて……」


 そう話す彼女の声を背中越しに聞いて、俺はその時初めて、こいつのことを見る目が少しだけ変わった。

 ゆきめはたしかに変態でストーカーで異常なヤンデレ女だ。

 しかし、常に俺のことを考えてくれてはいる。


 少し、いやかなり愛情が歪んでいるが、きっかけはどうあれ俺たちは知り合ったわけだし頑なにこいつを拒絶するのは少し可哀想なのかもしれない……。


「……ゆきめ?」


 俺は自然と振り返ってゆきめを見た。

 彼女は安らかに、とても幸せそうな顔で眠っていた。


 こうやってみると、暗いのを抜きにしてもやっぱり美人だなぁ。

 いつもこうやって寝ている時くらい大人しくしてくれていたら……


 ……なにを考えてるんだ俺は。

 いかん、なんで急にドキドキするんだ。

 いくら女の子と同じ布団で寝ているこの状況でも、こいつにだけはそんな気持ちは持ったらダメだ。


 俺は湧き上がる煩悩を必死で抑えながらまた反対を向いて、今度こそ眠ることにした。


 しばらくはゆきめの寝息が気になって寝付けなかったが、やがて眠気に誘われてまどろみに落ちた。



 翌朝。


「う、うん……眠いな、今何時だ?」

「もう朝の6時だよ」

「うわっ」


 布団の中からひょっこりと顔を覗かしてきてゆきめが俺の目の前に顔を近づけた。


「おはよう高山君」

「お、おはよう……」


 しかしゆきめは落ち着いている。

 むしろこんな状況で朝から変な気が起こりそうなのは俺の方だ。


 なんだこれは?

 朝目覚めたら同じ布団から美女が現れるなんて、夢や創作にしたってチープだぞ。


 それにこいつの落ち着き用も不思議だ。

 もっと恥じらうべきなんじゃないのか普通は?

 いや、こんな変態のことだからきっと男に慣れているだけに違いない。

 うん、きっとそうだ。


「あ、あのさ」

「ふふ、なんかピロートークみたいだね。でも高山君ったら一度寝たらほんと起きないよねー」

「な、何もしてない、よな?」


 俺は不安になりとっさに自分の下半身を触った。

 下は……履いてある。

 それに乱暴されたような形跡はないし体に事後(とは言っても俺は童貞なのであくまで自家発電後)のような気だるさはない。


「し、失礼だよ? 寝込みを襲ったりなんか今までだって一度もないでしょ?」

「あ、ああすまんそうだった……ん? 今まで? 一度も?」


 なぜそんな言葉が出てくる?

 俺は今日初めてお前と一緒の部屋で寝たはずだ。

いや、俺が試合会場で寝ていた時をカウントしているだけか?

 いや、そうに違いない。 

 だよね? ですよね?


「うん、一回もないでしょ同じ布団で寝てて私が襲ったこと」


 彼女は俺の隣で当たり前のようにそう言った。


「い、いや同じ布団で寝たのは今日が初めて……じゃないのか?」

「うん、実家にお弁当作りに行った時に部屋に入って布団で高山君の寝顔見てたらつい一緒に寝ちゃったことあるよ? で、でも何もしてないんだからね!」


なぜか急に飛び起きて必死に取り繕ってはいるが、俺がツッコみたいのはそこじゃない。


 こいつ、俺と面識もない頃から勝手に部屋に侵入して布団に潜り込んで俺の寝顔を覗き見していただと?


 や、やっぱりただのイカれ女だ……

 どんな神経ならそんなことが平気でできるんだ?

 それに俺が一度寝たら朝まで目覚めないってことを知っている辺り、一度や二度とではないはずだ。


「お、お前勝手に俺の部屋に入ったのか?」

「もう、さっきから失礼だよ? ちゃんとお母さんにお断りを入れてから入ってたんだから。人を不法侵入者扱いしないでくれる?」


 なんか可愛くプンプンしているが、全く可愛くないぞおい……


 お前のやってることは勢いに身を任せた空き巣なんかよりよっぽどタチ悪いからな?

 なんでちょっとお茶目な悪戯じゃん、みたいな顔ができる?


 狂ってる、というか俺とこいつでは常識というものがまるで違う。

 昨日寝る時に少しでも気を許しかけた自分を説教してやりたい気分だ……。


「さて、私は朝ごはん作るからまだ寝てていいよ」

「い、いやもう目が覚めたよ……」

「あれー、もしかして私が寝起きに横にいたからドキドキしたとか? とかとか?」


 ああそうだよ。

 お前が寝起きに横でとんでもないこと言うから心臓が弾けそうになってるんだよ……


 考えてもみろ、ストーカーが自分の寝ている時に部屋に侵入して横にいたなんて事実を後になってその犯人自身から告げられたんだぞ?

 眠気どころか血の気が引いたわ……


 しかし起きたものの寝不足のせいかまたすぐに眠気が襲ってきた。

 そして気がつくとベッドにもたれたままうたた寝していたようで、次に目が覚めたのはゆきめが朝食を運んできた時だった。


「ふふ、やっと起きた。眠そうだったからコーヒー入れておいたよ」

「あ、ありがとう……でもコーヒーって苦いからちょっと」

「大丈夫、これは高山君が地元のショッピングモールで試飲した時に唯一飲めるって言ってたやつを買ってきたから」

「あ、そういえばあったなそんなの……いやそれ結構前の話だよな!?」


 たしかにそんなこともあった。

 中学生にとってはブラックコーヒーなどビールと同じレベルで何がうまいのかわからない謎の飲み物だ。

 しかしそれを大人ぶって飲むのもまた中学生。

 俺もあの頃地元のモールでブラブラしている時についカッコつけて配られていたコーヒーを飲んだのだが、一つだけ上手いと思ったやつがあったのを、ゆきめの話をきいて初めて思い出した。


「な、なんでお前がそれを知ってる? 俺ですら何のコーヒーかとか知らないのに」

「えへへ、だって高山君の好みは知ってて当然でしょ? だって、その……か、彼女なんだもん」


 もじもじと照れながら俺に甘い視線を送ってくるゆきめだったが、しゃべってる内容は全く答えになってはいなかった。


 それに彼女じゃねーよ。

 母さんが認めたから? うちはそんな大層な家柄じゃないし今の時代にそんなものが通用するわけないだろ。


 もう朝からツッコミが大渋滞を起こしていたが、それでもこいつの朝飯がうまいという事実だけはブレない。


 なぜかこいつの作った飯を食べると落ち着くし、なんならもうちょっと食べたいとまで思わせてくるのですっかり文句を言う気も失せてしまう。


 胃袋を掴まれるというのは少し意味が違うのだろうが、俺の胃袋だけはたしかにゆきめに捉えられてしまっている。


 そんな朝を過ごした後、一度ゆきめは着替えの為に部屋に帰っていった。


 

 ようやくだ、ようやく一人の時間ができた。

あいつが着替えてくるまでのたった10分程度のことがとても幸せで解放的だったのは言うまでもなく。


 そしてゆきめが戻ってきてからはさらに地獄であることも言うまでもなかった。


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