第5話 親友
名前も戸籍もなかったクロを孤児院から連れ帰り、メイドたちが体を綺麗に洗うと、まるで別人に変わる。
輝きを失っていた金髪は、サラサラと風に
背中と腹がくっつきそうなほどに痩せていた体も、栄養のある食事を与えると数日で肋骨が目立たないくらい普通に戻る。
こけていた頬にも張りが出て、上質な服を着せ、無造作に伸びていただけの髪を綺麗に切りそろえると、クロの顔は、俺によく似ているように思えた。
「鏡でも見ているみたいだ……そっくりだね」
「ええ、まさかとは思いましたが……ここまでとは」
ガイルも驚いている。
俺とクロの違いといえば、黒子くらいだった。
クロには右目の横に黒子がある。
近づかなければ見えないほど小さなものだけれど、本当にそれくらいした見た目には大して差がなかった。
「世界には、自分に似た人間が三人いると聞いたことがありますが……ここまで似ているのは、奇跡と言ってもいいくらいですね」
ガイルは俺たちのこの出会いを、奇跡と呼んだ。
俺もそう思った。
姉と数ヶ月前に生まれた弟とは、血を分けた兄弟だというのに、ここまで似ていない。
生き別れた双子の兄弟と再会したような、そんな感覚だった。
「もう一緒に遊んでも大丈夫か?」
「ええ、問題ないでしょう」
すっかり健康になったクロと、俺は本当によく遊んだ。
クロとは不思議なことに、食べ物の好みや服の好みも似ている。
ガイルは、クロを俺の影武者として育てるつもりでいたらしいが、俺にとってクロは親友だった。
同じものを見て、食べて、学んで……
離宮の中庭の東屋の天井……————あの美しいステンドグラスを俺の隣で一緒に見上げていたのは、クロだった。
反対側からベンチの上に寝転んで、互いの頭をぶつけて……
二人とも痛いと涙目になって……
俺たちはずっと一緒で、なんでも話し合う仲になっていた。
そして俺は成長するにつれて、体が丈夫になっていき皇太子としての公務を少しずつ始めるようになった。
十七歳の時、姉の結婚式で思わず号泣してしまった話や、そこで出会った女の子に恋をした話。
十八歳の時、その女の子にこっぴどくフラれた情けない話。
十九歳の時、甥っ子が生まれたが、全く姉さんに似ていなくてがっかりした話。
大人になり、一緒にいない日が増えても、俺は離宮に戻る度クロにそれまであったことを全て話して、クロは楽しそうに俺の話を聞いていた。
クロも俺の体調が悪い時は代わりに公務で地方に出向き、そこで起きた珍しい話をよく俺に聞かせてくれたものだ。
それが、どこで、どう間違えたのか、どこからおかしくなっていたのか、今考えても、俺にはわからない。
ミザリと結婚して、娘のジェーンが生まれた後も、度々この離宮に来ていた。
姉の嫁ぎ先が近かったせいもあるが、ジェーンもクロによく懐いていたし、ミザリとクロの関係も悪いものではなかったはずだ。
俺たちは、何もかも上手くいっている。
そのはずだったのに……
「————父上が、危篤!?」
「ええ、急ぎテントリアにお戻りください」
皇歴1999年の秋。
第二子の出産を控えたミザリと、空気の綺麗なこの離宮に来ていた頃、父上が危篤であると知らせを受けた俺は、帝都テントリアに戻ろうと馬に乗ろうとした瞬間だった。
「……っ……!?」
後ろから、刺された。
その衝撃に驚いて、振り向くと、そこにいたのは俺と全く同じ顔をしたクロで————
「クロ……!? お前……何して……」
「違う。俺はミラルクだよ」
「……は?」
背中に刺さったナイフを、クロは捻りながら引き抜き、肉がえぐられる。
吹き出した血。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
「俺は皇太子ミラルク・デュ=エイデン」
「何を……いっ……て……————」
「もう十分だろう? 妻も子供も、なんの不自由もなく皇帝の息子として享受した幸福。祝福。賛辞。俺に、全部くれよ。なぁ、親友」
今度は腹を刺されて、俺は後ろ向きに倒れた。
わけがわからなかった。
背中の痛み、確実に減っていく血液。
薄れていく意識。
俺を見下ろす、クロ。
その後ろに、ガイルの姿があった。
ガイル、見ていただろう?
すぐにこいつを捕らえろ。
俺を殺した。
皇太子である俺を……将来、皇帝になる俺を殺した重罪人だ。
俺は……————
一瞬の走馬灯。
俺が死んだら、ミザリは、ジェーンは、もうすぐ生まれる子供は……?
こんなに簡単に死んでたまるかと、悔しくて、悲しくて涙が出る。
痛い。
痛い。
痛い。
その後のことは、わからない。
俺の世界は真っ黒に染まって、次に目を開けた時、目の前にあったのは、今の母親と父親の顔だった。
◇◆◇
「バカじゃないの? あんた何言ってるの?」
重い棺の蓋をこじ開けると、骨とわずかに残った皮だろうか、肉だろうか————
純金より美しいと謳われた髪も、瞳の中に空が広がっているような青い瞳も、世紀の美男子と呼ばれていた顔も、彫刻のような肉体美も、何もない。
かつて、人だったものの亡骸がそこにいある。
左手の薬指だった骨にかろうじてはまっている黒くなった、銀細工職人の娘だったミザリが作ったシルバーリング。
間違いない。
これは俺の体だった。
リヴァンとして、生まれ変わる前の……俺の成れの果てだ。
「————ミラルクって、皇帝陛下の名前でしょう?」
「……は?」
————今、なんて言った?
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