第36話 寝言
翌朝、目を覚ますと俺以外の誰もまだ起きていなかった。
窓の方を見れば、昨夜の雨が嘘のように晴れているが、まだまだ太陽の位置は低い。
男は一階、ミクスは二階の部屋と……レモントがいるから一応別れていたのだが、俺はドラゴンの様子が気になって階段を上っていると、ミクスの寝言が聞こえてきた。
「やめて……いやだ…………行かないで……」
————また、あの夢を見ているのか……
ミクスは昔から、悪夢にうなされることがある。
どんな夢かと尋ねても、覚えているのは「小さい女の子の後ろ姿」「誰かに川に流された」「多分、双子か兄弟の男の人」など、断片的なものばかり。
俺たちが初めて出会ったあの離宮の中庭が、その夢に出てくる風景に似ているそうで、フローズはよく「前世の記憶ではないか」と言っていた。
はじめは俺と同じように、前世の記憶を持って生まれたのだろうかと思ったが、ミクスの場合は夢で見るだけだ。
ノストリアでシルバーナ公爵家に世話になっていた当初より、頻度は減ったが、今でもたまにこうしてうなされている。
「クゥゥゥン……クゥゥゥン」
心配そうにドラゴンがミクスの手を舐めているが、気づく様子はない。
フローザが不在の際、ルルベル家に預けられることが多かった当時、悪夢にうなされたミクスを起こすのは、俺の役目だった。
「ミクス……起きろ。大丈夫か」
「ん……うん、あれ……? リヴァン? なんで……ここに……? ああ、そっか……私————」
「また、あの夢を見たのか? 涙まで流して……」
「そうみたいね……まったく、この歳になってまで夢で泣くなんて……情けないわ」
ミクスは上体を起こすと、ドラゴンのよだれでベトベトになっていた手にギョッとする。
「げっ! いつの間に……!」
危うく、そのベトベトの手で目をこするところだった。
「
「おい、そんなことで魔力を使うなよ。普通に一階で洗ってこい」
「だって、ベトベトなんだもの……!」
————まったく、こういうところはまだまだ子供だな……
「ところで、リヴァン、あんたなんでここにいるのよ?」
「何でって……忘れたのか? 昨日再会したこと……」
「違う、そうじゃないわ。なんで私が寝ている部屋にいるのって聞いてるの。昨日、私は別に一緒でいいって言ったのに、あの変態僧侶が危険だからって、男女で分けたじゃない」
「それはドラゴンの様子を見にきたら、お前の寝言が聞こえたからだ。それに、俺は別に危険じゃないだろう?」
「……そうね。他の男とはリヴァンは違うもんね」
「なんだよ、他の男に何かされたことでもあるのか?」
「な、ないけど……?」
「声が上ずってるぞ」
「……べ、べつに、ちょっと……その口説かれただけよ。タイプじゃないから断ったけど」
「どこのどいつだ?」
「……パトリック」
パトリックは、ノストリアの魔法使い学校でミクスと同じクラスの男だ。
いつもミクスにまとわりついていたから、一度シメたことがある。
「いつ?」
「あんたが、ノストリアを出た後よ」
————なるほど。目の敵にしていた俺がいなくなって、行動に出たか。
「呪いをかけよう、今すぐに。確実に効くやつを」
「いやいや、だから、断ったってば! それに……————あんた、あの第四皇女と婚約したんだから、私のことは関係ないでしょう?」
「……それは……ミクス、お前こそ、その理由を知ってるだろう?」
確か昨日、レモントがそんな話をしていたような気もする。
「皇女殿下の婚約者なんだから、幼馴染に手を出したらダメだぞ……」とか何とか、ウォリーにも言われたな。
ミクスに何かしょうだとか、そんな気は全くないというのに……
「それは、そうだけど……ものすごい美人だって聞いたわ。本気になったのかと……」
「まったく、なるわけないだろう。あの皇帝の娘だぞ?」
「そう、だよね。よかった……」
「世界一の美女だろうが、あいつの娘ってだけで無理だ。魔王討伐前にこんな関係になったのは予想外だったが……俺の目的は知っているだろう?」
「うん、わかってる」
「それじゃぁ、そんな顔してないで、まだもう少し寝てろ。下の二人が起きたら、起こしにくるから……」
「うん……」
どうせ、あの二人はまだまだ寝る。
ドラゴンの件で寝るのが遅くなったし……
すぐにミクスの寝息が聞こえてきて、俺もあくびが出る。
下に戻って、もう少し俺も横になっていようと、ミクスを起こさないように、ドラゴンを抱きかかえて俺は部屋を出ようとした。
「————……ないで、ジェーン…………っ……お願い……連れて行かないで」
————ジェーン……?
……俺の耳にはそう聞こえた気がした。
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