第1章 偽りの皇族

第1話 皇帝殺しの勇者様


 血溜まりの中見上げた、あの日の空は、恐ろしいほどに青く美しかった。

 なんて、清々しいほどの青だろう。

 遮るものなどひとつもない、真っ青な世界。

 こんなにも、空の青さに感動した日はない。


 俺はあいつを殺した。

 俺を殺したあいつを、この手で殺した。

 それだけのために、ここまで来た。

 その先の物語なんて、必要ない。

 すべて壊してしまいたかった。

 ただ、それだけだった。


「教えてください。勇者リヴァン。なぜ、あなたは勇者でありながら、父を————皇帝を殺したのですか?」

「……知ってどうする? 皇女殿下」

「私には、知る権利があります。あなたに父を殺された娘なのです。そして、私はあなたの婚約者です。あなたが、なぜ、あのような酷いことをしたのか、なぜ、父は殺されなければならなかったのか、納得のいく答えをください。でなければ、私は————」

「————ここで俺を殺すか? その左手に隠し持ってる短剣で」

「…………はい」


 檻の前に座っている第四皇女イグ。

 俺が殺した皇帝の末娘は、まっすぐに俺の目を見て、はっきりと返事をした。

 本当に、この娘の青い瞳は、腹が立つほどあいつと、俺に似ている。

 どうしてだろうな。

 性別も、髪の色も、肌の色も違う。

 瞳の色以外は全て母親譲りなのに、瞳の色だけは同じだった。

 虫唾が走るほどに。


「放っておいても、俺は死刑だろう? お前の手を汚す必要はない」

「そうです。あなたの死刑は決まっています。皇帝を殺したのです。死刑は免れません。それも、あなたは誰にも、その理由を話していない。刑を軽くするつもりすらないことはわかりました。ですが、死ぬ前に知りたいのです。あなたと父の間に、何があったのか……」


 両手、両足を鎖で繋がれているとはいえ、俺は魔王を倒した勇者だ。

 魔法でも唱えればこんな地下牢なんていつでも抜け出せるが、抜け出す理由がいないからここにいる。

 望みなんて何もない。

 だが、誰にも話すつもりのなかった、俺が皇帝を殺した理由————それをどうしても知りたいとここまで一人で来た小娘のその目が、気に入らない。

 常に自分が正しいと、何ひとつ知らずにそう思っている自信に満ちたその顔を、歪めてやろうと思った。


「そうだなぁ……どうせ、俺は死ぬのだから、全てお前に話しておこう。いいか? 信じるか信じないかはお前の自由だ。だが、これだけは覚えておけ————お前の父親は、皇帝ではない」



 これから俺が話すのは、偽物と本物だった俺の物語————



「全部、偽物だ————」




 ◇◆◇



 俺が生まれたのは、皇暦2020年の夏の終わりのことだった。

 帝都テントリアから遠く離れた、東の果て————イストリア。


 父親は魔族との国境くにざかいにあるこの地域の領主ルルベル家の息子で、母親は国境警備隊の一人だった。

 俺が生まれる20年前、2000年に起きた魔族との戦争のせいで町は壊滅。

 停戦後、当時領主だった祖父が私財をなげうって、現在はどうにか生活できるほどに町は復興はしたが、その息子の代では没落したも同然の貧乏貴族の子供として生まれた。


 当時のことは、今でも鮮明に覚えている。


「リヴァン……ああ、なんて可愛いのかしら」

「リヴァン、パパだぞぉ? わかるか?」


 瞳に涙を浮かべ、俺を見下ろす見知らぬ赤髪の女。

 その隣にいる、レンズにヒビが入った眼鏡をかけた見知らぬ黒髪の男。


 どちらも、俺をリヴァンと呼んでいた。


「うー……ぁ」


 俺はリヴァンではないと、否定したかったのに口から出た声は、言葉になっていなかった。

 単語にすらなっていない。

 どうやって話したらいいのか、全くわからなくなっていた。



「リヴァン? どうしたの?」

「なんだ、リヴァン? ん?」


 違うと思った。

 俺の名前は、リヴァンではない。

 こんな母親も、父親も見たことがない。

 しかし、では自分は何者かと問われれば、おかしなことに思い出せなかった。


 本当の名前は、違う。

 俺の両親は、こんな顔ではない。

 そういう感覚だけが、ただ、確かにあった。


「ああーう」


 見知らぬ女に抱かれ、何か訴えようにも言葉にならない声しか出ない。


「きっとお腹が空いているのね……」

「うーぅ」


 ————ちがう。何を言っているんだこの女……!! 今すぐ乳房をしまえ! 恥じらいがないのか!?


「ちょっと、パパ。あまりジロジロ見ないでよ。恥ずかしいわ」

「何を今更……ああ、いいなぁ、リヴァンは……ママのおっぱいおいちぃでちゅか〜?」


 ————やめろ! 俺はこんな下品な女の乳など……!


「パパも吸いた————」

「ちょっと、あなた、それはさすがに気持ち悪いわよ」

「はは、冗談だよ。冗談」


 ————なんだこれ、一体どうなっているんだ!?


 俺は最初は拒んだが、空腹には抗えなかった。

 それにひたすらに眠いし、気がつけばおしめが濡れていて気持ちが悪い。

 漏らすだなんて、大の男が情けないと思うのだが、かわやへ行く脚力も体力も持ち合わせていない。


「リヴァン……たくさん飲んで、たくさん寝て、大きくなるのよ」

「そうだぞ、リヴァン。あまり贅沢はさせられないかもしれないけど、お前はこのルルベル家の大事な跡取り息子なんだからな」


 とにかく、どうやら俺はまだ生まれたばかりで、心に体が追いついていないのだと悟った。

 これが一体どういうことなのか知る前に、まず、成長しなければいけないのだと————


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