第2話 抜け落ちた記憶


 見知らぬ女と男に育てられ、貧乏ながらすくすくと育った俺は、やはり自分の本当の名前は思い出せなかった。

 だが2歳になる少し前になってようやく言葉が話せるようになった俺の成長は、通常の子供と比べてとにかく速い。

 体は子供のままだが、中身は大人である自覚があったからだ。


「まぁ! どこでそんな言葉を!? パパ、この子、天才かもしれないわ!!」

「なに!? これはすごい!! もう字が書けるのか!?」


 2歳にして文字の読み書き、計算、外国語まで話せた。

 5歳になった頃には、魔法だって簡単なものは使いこなすことができる。

 明らかに、他の子供とは違う。

 語彙力も、5歳児のものではない。


 この時はまだ俺の予想でしかなかったのだが————俺は多分、前世の記憶が残っているのだと思った。

 前世での名前や、職業、年齢などは覚えていないのだが、おそらく成人はしていたと思う。

 酒の味や、種類も覚えている。

 食べ物や、この国の文化、歴史もそうだ。

 だが、俺の前世の記憶の中にある歴史は、俺がリヴァンとして生まれる約20年ほど前までで止まっている。

 そのことに気づいたのは、8回目の誕生日を迎えた日のことだった。


 次期当主として、貧乏ながら教育を受けた俺は、6歳から通っている村に唯一ある士官学校で、頭が良すぎるからと中等クラスに飛び級。

 そこで、この国の歴史について改めて一から学んで2年。

 皇暦1999年の途中から、リヴァンとして生まれた2020年より以前の知識がすっぽり抜けている。


 おそらく、前世の俺は1999年のどこかで死んだか、外部との情報が遮断される場所にいたのではないかと思う。

 忘れているのは、俺の個人の情報と、死んだ当時の記憶。

 それに、これは感覚でしかないのだが、妻と子供もいたような————そんな気がしてならない。

 他にも兄弟や家族は何人いたのだろうか?

 もし、俺が死んだのが生まれ変わる20年前であるなら、当時の家族や、親族、友人はまだ生きているはず。


 せめて、自分の名前さえ思い出せれば……

 そう思ってはいるものの、この8年の間どんなに考えても、名前は思い出せなかった。

 それでも今の父と母の髪色を混ぜたような赤茶色の髪と緑色の瞳のこの姿には、やはりまだ違和感がある。

 前世で俺の髪はきっともっと明るい色で、瞳の色は青だったような気がする。

 自分の体なのだが、自分ではないような、そんな感覚がずっと付き纏っていた。


 そんな時、俺は授業の一環でイストリアの隣にあるグリブ村を訪れることになった。

 教師の話によれば、この村には現在の皇帝陛下が皇太子だった頃によく通っていた離宮があるらしい。

 2000年の魔族との戦争が始まってから、陛下は一度もそこを訪れたことはなく、次第に手入れをする者もいなくなり、今はすっかり廃宮殿となっている。

 その廃宮殿に魔物が住み着いているという噂があり、士官学校の生徒たちでそいつを退治することになっていた。


「リヴァンくん。君がどんなに優秀であろうと、まだ8歳になったばかりなんだから、もし魔物と出くわしたら一人で戦おうなんて、危ない真似はよしてくれよ」

「……わかりました」


 前世の記憶があるとはいえ、体はまだまだ子供。

 魔物くらい倒せるという自信はあるものの、おそらく体がついていかないだろう。

 ありがたいことに、引率した教師————というか、士官学校の教師たちは皆、元警備隊の女騎士だった今の母の知り合いばかり。

 その上、貧乏ではあるが領主貴族の息子ということで、俺は大人たちからは可愛がられていた。

 身を守るために体が大人になるまでは、素直に子供という立場を利用させてもらっていた。

 ところが、やはり同級生たちからすると、俺は邪魔な存在でしかない。

 出る杭は打たれやすいため、ここは生意気なことは言わず、大人の指示に従っている方が得策。


 人間関係は良好な方がいい。

 そう思って、言われた通り他の生徒三名とグループを組んだのだが……


「お前、チビのくせに生意気なんだよ」

「そうだ! そうだ! 領主の息子だからって、調子に乗ってるんだろう?」

「先生たちはお前ばかり贔屓する。ただの親の七光りのくせに!!」


 なんともまぁ、典型的なイジメにあう羽目になった。

 抵抗するのもバカらしく、とりあえず三人に顔以外を殴られた俺は、魔物がでるかもしれない廃宮殿の中庭に一人で残される。

 こんな傷、回復魔法でいくらでも治せるのだから、好きなようにさせてやった。


「まったく、士官学校の生徒とはいえ、まだまだ子供だなぁ……あいつら」


 まぁ、俺からしたら、あの三人は一応年上というだけで、なんの役にも立ちそうになかったから、ちょうどいい。

 まだ昼間だし、魔物が出るとしたら夕方から夜にかけてだろうと、俺は中庭にあった蔓薔薇つるばらに柱を侵食されている東屋の古いベンチの上に寝転んで、空を見上げた。


 東屋の屋根は丸い形のステンドグラスでできている。

 汚れてはいるが、赤、青、緑、黄色のガラスで描かれたバラの花の模様は、とても美しいものだった。


「……あれ————?」


 俺はそのステンドグラスに見覚えがあるような気がして、首をかしげる。

 ここに来たのは、リヴァンとして生まれてからは初めてのことだ。

 だとすると、前世の記憶————


 俺はここに来たことがある。

 そして、誰かもう一人……同じようにベンチの上に寝転んで、隣でこの美しいステンドグラスを見上げた人がいたような……そんな気がした。


「……誰だ?」


 もう少し……

 あと少しで思い出せそうなのに、そのあと少しに手が届かない。

 もどかしくて、思い出そうとする度に胸が苦しくなる。


 誰だ。

 俺の隣にいたのは。

 わからない。

 どうして、思い出せないんだ。


 こんなに考えているのに思い出せないのなら、いっそのこと、前世の記憶なんてなにもないまま、ただのリヴァン・ルルベルとして生まれて来たかった。

 何か理由があって、俺に前世の記憶があるんじゃないのか?

 わからない。


「————誰?」


 考えを巡らせていると、不意に聞き覚えのない声が足元から聞こえて来た。

 驚いて上体を起こして、声がした方を見ると、赤い瞳と視線がぶつかる。

 銀髪に赤い瞳————今の俺、リヴァンと同じ年くらいの、妙に肌の色の白い娘が立っていた。


「お前こそ、誰だ? ここは、魔族が立ち入っていい場所ではないぞ?」


 銀髪は魔族の証。

 俺がそう言うと、彼女はとても不機嫌そうに顔をしかめると、叫んだ。


「私は、魔族なんかじゃない!! あんなものと、一緒にするな!!」





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