第11話 優海の1人暮らし 2




 朝7時に目を覚まし、優海は巡から連絡がきていることに気づいた。ときめきを覚えつつ確認すると何時頃かと尋ねる内容だった。


《11時頃ね》


《それまでには着替え終えておきます》


 自分に着替えを手伝って貰ったことが屈辱だったのだろうか、と優海は強引だったことを少々反省した。


 雨戸を開け、洗濯物がよく乾くよう、洗濯ハンガーを縁側に出す。


 朝ご飯は炊きたてご飯にお新香。新玉ねぎとわかめの味噌汁。


 洗い物を終えて、今日は気合いを入れて着るものを選ぼうと考えたところで、お昼に料理することを思い出し、ぐっとシンプルにしようと方向転換。また、家に招く特別感を感じさせないよう、いつものパンツルックにしようと思う。それでいて、シャツはバストが大きい人専用ブランドのかわいいシャツにして、パンツも身体の線が出やすいものに。ジャケットは軽く羽織れるBIGシルエットでカジュアル感を出して、かつ清潔感があるように髪はポニーテールにまとめる。


「――とは言っても巡くん、ジャージだから」


 優海はがんばって考えている自分が少し悲しくなる。


 まだ時間が合ったので、エプロンを装着。お出かけの前に手早く調理できるよう、材料はあらかじめ切っておく。タケノコは短冊切りに。筋はないと直売所の人が言っていたので、インゲンはへたをとるだけ。庭の菜の花のつぼみだけを摘むが、少し黄色い花弁が見えているものを選ぶ。色合いは大切だ。独り言を言いながら、作業は進む。


 ベーコンを取り出し、これもサイズを合わせて短冊切りにしてしまう。デザートに用意した冷凍のおからマフィンは常温に戻す。


 料理の下ごしらえが済んでもまだ時間があるので、参考になる海洋工学の本に手を出す。海洋工学の本だが、海の上に住居を作って暮らす東南アジアの少数民族の研究で、半分、文化人類学っぽかった。


「海の研究は深い」


 まだ研究内容を決め切れていない優海は悩むしかなかった。


 本を読んでいるともう10時30分を回っていた。ちょうどいい頃合いだ。


 優海は家を出て、フィアット500に乗り込む。


 今日の空はフィアット500の蒼に負けないくらいよく晴れ渡っていた。


 安全運転で病院に行くと、玄関フロアで大貫先生とでくわした。


「お姉さん、今日、またお出かけなんですって?」


「はい。一緒にご飯食べようと思って」


「どこで食べるの?」


「家ですよ。おいしい季節のものを弟に食べさせたくて」


「いーなー 俺も優海さんの手料理食いたいなー」


 そう言いながら大貫先生は白衣をなびかせて外に出て行き、優海は笑いを禁じ得なかった。本当に面白い先生だ。


 エレベーターで4階へ。心が躍っているのがわかる。巡に会いたい自分が確かにいることに、優海は少しも驚かない。それは彼女にとって、もうすごく自然なことになっている。


 エレベーターのドアが開き、巡がいる病室へ行くと、その前にもう四点杖をついた巡が立っていた。もちろんジャージ姿だが、優海は巡の端正ながらもかわいい笑顔にまた心を躍らせる。子供でも大人でもないこの年齢の彼に出会えたことを感謝する。


「優海姉さん!」


「はい。優海お姉さんが来ましたよ」


 優海は小さく手を振る。ほうぼうの病室から入院患者が優海の姿を一目見ようと顔を出すが、それもいつものことだ。


 優海は巡に寄り添い、彼が杖を持たない方の腕をとって彼を支える。


「では、いきましょうか」


「当たります、当たります」


 巡が動揺を隠せず、可能な範囲で少し距離をとる。


「気をつけるわ」


 優海は苦笑し、巡を支えつつ、歩き出す。当てようとしなくても当たるのだ。自分の胸が大きいのが悪いのだが、こればかりは仕方がない。エレベーターで下まで降り、フィアット500に巡を乗せ、走り出す。


「今日はどこに食べに行くんですか?」


 助手席の巡が不思議そうに聞く。いつもはスマホのカーナビを出しているのに今日は出してないからだろうかと思い当たる。


「私の家よ。前に私の手料理を食べたいって言っていたじゃない?」


「え、えええええ!」


「驚きすぎ」


「だって、優海さん、1人暮らしでしょう?」


「そうね」


「他に誰もいないんでしょう?」


「いないわ」


「俺、男ですよ」


「ええ、男の子ですね」


「襲われたらどうするんですか」


「その足で?」


「無理ですね」


「大丈夫よ。私から襲ったりしないから」


 優海は自然に笑みが浮かぶのがわかる。反応がいちいちかわいい。巡はだんまりを決めてしまった。少々、からかいすぎただろうか。少しして、巡が口を開いた。


「俺だから安全だけど、他の男の人を簡単に家に上げちゃダメですからね」


 真顔で言う巡は格好良かった。優海も『きゅーん』とくるという表現をマンガで見たことがあったが、きゅーんという擬音って正しいんだ、と妙に冷静に納得する。確かに心臓がおかしい。胸が、締め付けられる。アクセルを踏む足に力がこもる。


「安全運転、安全運転」


 優海は少しだけ深呼吸して安全運転に戻り、病院から10分ほど走っただけで、フィアット500は家に戻ってきた。

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