第37話 クラフトビールで観光気分
会津田島までは下り基調で順調だったが、平坦になると途端に疲れを感じる。もうすっかり日が暮れ、暗闇の時間になっている。
会津田島のコインランドリーで、温泉で着替えた分を洗濯しつつ、優海と巡は今夜の宿を探す。実際にはキャンセルがあるのかもしれないが、データには反映されていないのだろう。近くに空きはなかった。1軒1軒電話するくらいなら、野宿でいいかと優海は思う。ネットカフェもない。
「無人駅かなあ。トイレがあって人家が周りにないところ」
巡が現実的な話をする。優海も同意する。
「近所にお住まいの方に迷惑かけられないし、通報されても困る」
「通報はイヤだなあ。俺、未成年だし」
「となると私は未成年を夜中に連れ歩くダメな大人になってしまうのか」
2人で顔を見合わせて笑った。
洗濯物が乾燥するまでの間に何駅か駅舎泊できそうな無人駅の当てをつけて進むことにした。正直、優海はもう限界が近い。今回も1日で100キロ以上走っているのだ。素人なのだから当たり前で仕方がないのだが、巡の足を引っ張っているかと思うとつらい。
近くのスーパーで少々補給食の補給を済ませ、今晩食べる店を探そうとうろつく。その途中でクラフトビールを提供している店を見つけ、T20号を停め、優海はじーっと眺めてしまい、その表情を巡に悟られてしまった。
「飲んでいく?」
優海は後部サドルに腰掛ける巡の顔を、半身をひねって振り返る。
「でも、自転車でも飲酒運転になっちゃうよ」
「時間に余裕があるからいいと思う。優海さんも楽しんでくれないと」
「? ずっと楽しいよ。巡くんが一緒にいるんだから」
巡は目に手を当て、天を仰いだ。
「いやもう、優海さん、飲んでいってください。決定。そんな顔して、さあ行きましょう、なんて俺、言えない」
「どんな顔していたの? 顔に飲みたいって書いてあった?」
「あー、もう、そういうのいいですから!」
巡はT20号から降り、優海も降りる。持ち込みOKというのでスーパーに戻ってお弁当やつまみを仕入れ、クラフトビールバーの扉を開ける。
カウンターとテーブル2席だけだったが、幸い、カウンターに席が空いていた。
優海はテンションが上がって喜び勇んでカウンター席に腰かけ、このバーのオリジナルクラフトビールを頼む。未成年の巡はソフトドリンクだ。乾杯して、2人は笑顔になる。ビールのグラスに口をつけたあと、巡は笑いをこぼす。
「口の周り、泡だらけ」
優海は赤くなって口元の泡をナプキンで拭う。
「巡くんも大人になったら一緒に飲もうね」
「あー飲みたいですねえ」
「コーヒー味のビールなんて面白いよ。他じゃ飲めないし、実に味わい深い」
「またここまで来ないと飲めそうにないですね」
その辺りまで会話が進んだところで店内のざわめきに気がついた。2人ともサイクルウェア姿だし、優海は身体のラインがラインだ。ビールバーには刺激的すぎる。普段は地元の人しか来ないのだろう、すぐにどこから来たの、と会話が始まる。館山を出発して東京に泊まって、今朝、宇都宮を出て、途中、温泉で仮眠して、今、ここだと説明すると驚かれた。
「あの道を自転車で登ってきたの? 車でも大変だよ」
テーブル席の中年のご夫婦が驚きの声を上げた。
「2人乗りの自転車ですし、何より彼の馬力がすごいので」
優海はアルコールが身体に染み渡るのがわかる。疲れているので余計だが、おいしいのでグラスを空けてしまう。旦那さんが言う。
「とはいっても、千葉でも館山は南の端だろう?」
「できてしまうんですね。不思議と」
優海は次のクラフトビールを注文する。
「優海さん、ペース考えてね。疲れているんだから」
「釘刺された」
優海は苦笑し、ご夫婦も笑ってくれる。
「彼氏さんは下戸? まさか未成年?」
「未成年です」
巡が即答し、優海は吹き出しそうになる。彼氏と言われても躊躇なく答えられてびっくりしたのだ。
「そりゃ残念だね。次に来たときには必ず立ち寄ってね」
カウンターの中のお姉さんに微笑みかけられる。
スーパーのお弁当を夕食兼つまみにビールバーでの夜は更ける。
ご夫婦に隣のテーブルの若い派手目のカップルも会話に加わって、別々に来た客のはずなのに酒宴のようになってしまい、優海は驚く。そもそも外で飲むこと自体が、結香や夏帆としかない。他のお客さんと話をするなんて経験、初めてだ。
「へー そんな大学あるんだ」
「海のことを知ると今の地球環境がいかに危機的かわかります」
「優海さんから大学の話聞くの滅多にないから新鮮だなあ」
巡が感心したように言う。彼は2つめの弁当を空にしていた。
「君はどんな大学に行っているの?」
奥さんの方に聞かれ、かくかくしかじか巡は説明する。
「競輪学校にいって、プロの競輪選手になります! 桜井巡の名前を見たら、是非投票お願いします!」
拍手喝采が沸き起こる。
「儲けさせてね!」
「必ず!」
そう応える巡には自信が満ちている。今の彼なら、PTSDなど消えているに違いなかった。その確信があるからこの顔で応えられるのだと優海は思い、頷いた。
「結婚したら姉さん女房か~ウチもだが、覚悟しておいた方が良いよ」
旦那さんに言われ、奥さんに小突かれる。
羨ましい、と優海は思う。巡とこんな関係になれるだろうか。そう考えてしまう。
「はは、そのためにはS級にならないとならないんで」
巡は苦笑して優海を見る。彼が自分の言葉を覚えていたことに少し感動する。
「上泉さん家の婿養子になってなければね」
ご夫婦を見ていた巡は露骨に優海に向き直って言った。
「がんばります! だから、他の男なんて絶対に見ないでください!」
「――はい」
巡の意気に押され、思わず優海はそう答えていた。
「でも倦怠期が必ず来るからねー 乗り越えようね~」
若いカップルの女の子が言い、優海が応える。
「今のところ想像がつきませんね」
「あー、そういう時期かあ。一番楽しいよね」
「いや、俺、ずっと、今でも楽しいけど」
男の方が不満げに女の子を見て、彼女は苦笑した。
「知らぬは相方ばかりなり、か。ごめんごめん」
こちらもいいカップルだった。
閉店時間近くなり、旦那さんが全員に1杯ずつおごってくれた。
これからどうするのか訊かれ、実は泊まる当てがないのに飲酒してしまった。自転車でも飲酒運転になるのに、と言うと、奥さんが知り合いの宿屋に電話してくれた。
すると素泊まりならOKと返事があり、優海と巡は狂喜乱舞した。
「こんなことってあるんだ!」
「すごーい!」
「旅の醍醐味だよね」
奥さんは満面の笑みを浮かべた。
2人はビールバーを出てT20号を押していく。
宿屋は駅前すぐのところにあった。
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