第12話 巡、優海の家へ


 前庭にフィアット500を停め、南向きの玄関から入る。部屋は南側に3部屋、北側にキッチンと2部屋、お風呂などの水回りがある。南側の2部屋は縁側で続いている。


 優海は室内を案内し、普段使っている居間に巡を通す。


「すごくきれいですね」


「リノベーションしたばかりだから」


「部屋もいっぱい余ってますね」


「1人暮らしには大きすぎるのが悩みね。万が一、巡くんが上泉さんの家から出ることになっても、十分住めるわ。自転車を置く場所もあるから困らないと思います」


「いや、それはさすがに甘えすぎでは」


 巡は口元を不自然に押さえた。


 優海は南側の障子を大きく開けて、明るくし、縁側を開放する。そして春の風を入れようと掃き出し窓も開ける。


 座って、と言いかけて、今度は巡が固まって俯いていることに気づいた。


 そして縁側に洗濯物ハンガーを出していたことを思い出し、頭の中が真っ白になる。洗濯物ハンガーにはもちろんアンダーウェアも干されている。


 優海はバタンと大きな音を立てて障子を閉め、縁側が見えないようにした。


「――見た?」


 巡は俯いたまま、さらに深く頷いた。


「こういうの、嘘でも見ていないって言うものでしょうけど、無理、無理です。からかっているのかと思って最初ガン見しちゃったし。そしたら気づいてなかったみたいで……」


 こんなことならかわいいものを干すのだったと優海は激しく後悔したが、もはや取り返しがつかない。干してあったのは普段使いのものだ。大きいサイズではかわいいものがない。普段使いのものは物悲しいほどシンプルなものだ。


「――弟は姉の下着くらいで動揺しないよね。そういうものだよね」


「はい。そういうものです」


「私も巡くんのお姉さんなので動揺しません」


「はい」


 忘れよう、それしかないと思いつつ優海は縁側に出て、洗濯物ハンガーを脱衣所に持って行った。これで一安心だ。気を取り直さなければならない。 居間に戻ると巡は座椅子に足を伸ばして座っていた。まだ膝をうまく曲げられないため、テーブルの方がいいかもと思い、キッチンに移る。


 キッチンには昭和から置いてある古いテーブルと椅子のセットがあり、巡も椅子でひと段落つけた。優海は冷蔵庫から用意しておいた材料を外に出し、大きな鍋にお湯を準備する。マフィンも解凍されている様子だった。


「すぐできるからね。春野菜とベーコンのパスタですよ」


「リノベ後だから本当にきれいだ。ここで優海姉さんは毎日家事しているんですね」


「簡単なものしかまだ作れないの。でも、今日はがんばるね」


 そして野菜室からリーフレタスとラディッシュを出し、ツナ缶で簡単にサラダを作る。フリーマーケットで買ったおしゃれな皿に盛り付けるとそれだけでいい感じだ。オリーブオイルとこしょう、作り置きのゆずの塩漬けで黄色を添えるとカラフルだ。


 サラダを作っているうちにお湯が沸き、パスタとインゲン、菜の花を投入する。1分沸騰させて、かき混ぜて、蓋をして指定時間まで放置。その間に深めのフライパンにたっぷりオリーブオイルを入れてこげないようにニンニクに熱を入れ、ベーコンも投入、最後にゆで終わっているタケノコを入れる。茹であがり時間にパスタレードルで手早くフライパンに中身を移し、軽く炒めて塩こしょうでできあがりだ。


 テーブルに用意しておいた平皿に丁寧に盛り付けると菜の花の黄色とインゲンの緑がきれいだが、何かが不足していることに気づき、冷蔵庫から作り置きの、電子レンジで熱を通し済みの細切りスライスしたニンジンをプラス。まだパスタは熱々だから冷たくても大丈夫だろう。赤が加わって華やかになる。タケノコのクリーム色はパスタと同系色なのであまり目立たない。


「さあ、できましたよ」


 巡の前にパスタを置き、テーブルの真ん中にサラダボウルを置く。優海はシステムキッチン側の椅子に座り、巡とは正面に向かい合う。


「おいしそう」


 巡はスマホでテーブルの様子を撮影する。


「塩味が足りなかったら塩こしょうを使ってね」


 卓上の塩こしょうも真ん中に置く。


「料理初心者だなんて思えないや。盛り付けがすごくきれい」


「味はともかく、初心者でも見栄えはよくできるの」


「なるほど。いただきます」


 巡は用意していたフォークとスプーンとではなく、念のため置いておいた箸を使って食べ始める。優海も巡に習う。


「姉さん、おいしいですよ」


「ありがとう」


 その一言がものすごく嬉しい。実際、自分で食べてみてもおいしくできている。


「ベーコンとタケノコがすごい」


「ベーコンは館山ベーコンで、タケノコも地物で昨日私が湯がいたの」


「おいしいです。季節の物っていいですね。ありがとうございます」


「巡くんの希望を1つ、叶えてあげちゃった」


 ふふ、と優海は自然に笑ってしまう。


 サラダも取り分け、食べる。ゆずの塩漬けがいい案配で、味も風味も十分だ。


「きっと料理上手になりますよ」


「巡くんに言われると自分でもそう思えてきたよ」


 巡も笑みを浮かべた。


 巡はすぐにパスタもサラダも完食した。優海はマイペースで食べ、そのあとにお茶の時間だ。コーヒーは手でも入れるが、今日はコーヒーメーカーで。マフィンを皿に置き、コーヒーが入ったらカップに注いで、巡の前に。


「おいしかったです」


 マフィンは瞬殺された。恐るべし、思春期男子の胃袋、である。


「でも、どうして急にこんなことをしようと思ったんですか?」


 紙ナプキンで口を拭きながら巡が聞いた。


「料理に夢中で忘れていました」優海はそもそもの始まりを思い出す。「上泉さんが言っていたことを、巡くんの口から直接聞きたいなあと思ったの」


師匠オヤジが言っていたこと?」


 巡は心当たりがないようだ。なので優海は直接言ってみる。


「私を追いかけてスプリントしたから事故になったって話、です」


 巡は文字通り顔を真っ赤にした。

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