第13話 告白

「その通り、ですよ。だから優海さんは事故に全ての責任を感じることはないんです。幹線道路に不注意に車の先を出して事故を誘発させた車の人も過失がありますし、やっぱり運転していたという事実から過失は生じますけど、俺の中では、俺のせいです」


 優海はそうは思えず、続ける。


「どうして私を追いかけたの?」


「優海さんが追い越すとき、目が合ったじゃないですか」


「やっぱり、あのとき目が合ったんだ。巡くん、アイウェアしていたからよくわからなかったんだけど」


 優海は巡の言葉で確信を持った。


「目が合って、頭の中が真っ白になって、全身にジーンときて、俺の中の何かが言ったんです。『追いかけろ! 見失うな!』って」


「私も同じだった。もう何が起きたかわからなくなって……」


「だから追いかけたんです。それこそ全力で。結果、この通りですけど」


 巡は包帯にまかれた両足に目を向ける。


「正直、すごく後悔しています。それでも、優海さんに姉さんになってもらえて本当に幸せだって思っている自分も間違いなくいるんです」


 巡はまっすぐ優海の目を見つめた。あのときほどではなくても、優海の中にきちんとあのときの感覚がよみがえってきて、身体が震えるのがわかった。


「そう――あれは一目惚れだったのね。今、わかった」


「はい。そうだったんだと思います」


 巡は俯いた。


「そうか。だからこんなに楽しいのか」


「嘘でしょう?」


 巡は顔を上げ、信じられないと言わんばかりにわなわなと震えた。一目惚れしたのは自分のことを言っているのだと勘違いしたらしかった。とすると、2人して同時に一目惚れしたということになる。


「理性的に考えればいわゆる一目惚れといわれる現象だと思う」妙に落ち着いている自分がいることに優海は内心驚いていた。「だから君と私はこんなに相性がいいんだ。本能的に相性がいい人を見分ける力を人間は持っているに違いないね」


「――冷静ですね」


「2人が同時に同じ体験をしている事実は興味深いし、認めないといけない」


「さすが理系」


 優海は落ち着こうとしてコーヒーカップに口をつける。


「この気持ちが恋に変わっていくのかどうか……これまでも漠然とは思っていたけれど、姉を演じないといけないという義務感があったからか――わからなかったのは」


 優海は今までの自分の行動を振り返る。巡にとって理想の『姉』、しかも本当は他人の『姉』を演じていた気がしなくもない。肉親かつ一番近くにいる恋愛対象の異性を演じていた。そんな気もするが、もう今はもうわからない。


「優海さんはこれまで通り『姉さん』でいてくれさえすればいいんです。俺はそれ以上を求めることはできないから」


 ためらいがちに言う巡がかわいい。


「言質はとったから、私は私が演じたいだけ『お姉さん』でいるつもり。それは変わらない。その先の選択肢に恋があるって気がついた。今はそれだけのことだと思う」


「望外の言葉ですよ」


 巡はおそらく自分に恋愛感情を抱いてくれているのだと思う。しかし初恋もまだの自分にはそれが理解できない。理解できないから、慎重にならないといけない。20歳にもなって情けないことだが、等身大の自分を認めようと優海は思う。それに、彼が一番、自分の恋に近いところにいるのも100%間違いない。なにせ一目惚れした対象なのだ。


「自分で気がつかないだけでもう君に恋しているかもしれない。心当たりあるな。机くっつけて、教科書見せてとか、そうだった可能性が高い」


「またそういうこと言う!」


 巡は口元に手をやる。優海は椅子から立ち上がり、椅子に座る巡の横に行く。


「よしよし」


 巡が双子にしたように、優海は巡の頭を撫でる。撫でるたびに幸せを手のひらに感じる。彼が好きなのは間違いない。あとはそれが本当に恋なのか確認していく作業が残っているだけだ。


「ごめんね。びっくりしすぎて素に戻ってたみたい。今からまた巡くんの『お姉さん』に戻りますから、安心してね。少し、罪悪感も減ったし、巡くんからの視点を確認できて今日は本当に良かったよ」


「また子供扱いして……」


 巡は優海を見上げる。


「だって実際、男の子でしょう?」


「どうすれば男として認めてくれますか」


 単刀直入なのは、いかにも少年の情熱を優海に感じさせる。


「競輪選手養成所に合格したら認められるかしら。それともA級1班に昇格したら? いやいやS級2班かもしれないわね」


「ハードル高!」


 巡が競輪選手を目指していると知った時点で、優海も競輪の基礎知識は仕入れた。S級2班になるだけで2200名いる競輪選手の中で上位3割に入ることになる。その難易度たるや想像を絶する。なお、上泉は9人しかいないS級S班の雲の上の神である。


「いつもの調子が戻ってきたね」


「やっぱり、からかってくれないと優海姉さんじゃないや」


 巡は苦い顔をしながら、少し笑った。


「じゃあ、ウチでお風呂入っていく? まだ清拭せいしきだけでしょう。身体洗ってあげるから。大丈夫、彼女たちと違って私は水着を着るから」


「変なところで双子に対抗しないでください!」


 巡と優海は互いの顔を見て、小さく笑った。本当にいつもの調子が戻ってきて、優海は安心できる気がして、正直に言った。


「あのときは双子に嫉妬したよ。でも、双子はもっと私に嫉妬しているんだよね。今ならわかるわ」


 巡は思い直したように唇を真一文字にしてから、思い切ったように言った。


「俺、リハビリがんばります。リハビリだけじゃなくて、今まで以上の力をつけて、2年で競輪選手養成所に合格しますから、それまで他の男を見ないでくれますか」


 また、優海の心臓がきゅーんと締め付けられた。


「巡くんが双子にうつつを抜かさなければ可能性は高いわね」


「2年経っても玲那と玲花は中学1年生ですよ!」


 優海は声を上げて笑った。


 簡単に洗い物を終わらせて、優海と巡は縁側に移った。優海はラジオをつけて、午後のクラシック番組を聞く。流れるのはラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』だった。


 庭には菜の花が満開で、黄色の花をつけている。


 春風と春の陽光が優しかった。


「忘れないと思う」


 優海は自分に言い聞かせる。何を、かはまだ優海自身わからない。


 巡が言葉を返す。


「この先、どうなるかわかりませんけど、優海姉さんが作ってくれた春野菜とベーコンのパスタ、俺も忘れません」


 自分もそうかもしれない、と優海は思う。弟を演じてくれている少年に振る舞った初めてのメニューだ。忘れるはずがない。


「また何か作ってあげるね」


「楽しみにしています」


 巡の笑顔を見て、彼のためにお料理して本当によかったと優海は心から思った。


 暗くなる前に巡を病院まで送り、優海は帰路につく。


 縁側では他愛のない話ばかり続けた。それだけでとても楽しかった。帰りの車内でも会話が弾んだ。


 いつまでもこんな関係でいられたらいいのに、と優海は思う。


 その感情が恋になってしまえば、2人の関係が変わらずにいられないことに、優海は気がついていなかった。

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