第8話 巡の『家』 1

 フィアット500は幹線道路に出て、巡が世話になっている師匠オヤジであり、里親である上泉かみいずみの家へ向かう。上泉家は駅から徒歩圏にあるが、車を駐車するスペースは十分ある。車だと高校から5分ほどで到着する近さだ。上泉家は大きめの古い一軒家で、ガレージ部分を大きくとってある。ガレージの中には自転車のフレームやパーツが整理整頓されて置かれており、3本ローラーも置かれている。


 この春で巡が上泉家に世話になり始めてからまる2年が経つ。もうすっかり我が家だと巡は思う。ガレージにかかっているフレームの中に愛車のフレームがあるのを見つけたが、事故のためにねじれて歪んでいて、巡はかなりへこんだ。


 フィアット500が家の前に停車するや否や、玄関の扉が開いて、玲花れいか玲那れいな、一卵性双生児の小学生女子2人が飛び出してくる。彼女らの母親であるみなみに連絡をしておいたから、今か今かと待ち構えていたのだろう。


「巡~お帰り!」


「遅いぞ! ずっと待ってた~!」


 優海が助手席の扉を開ける間もなく、彼女らが開けて、巡の手を引っ張って立たせ、車外に導く。巡の右で彼を支えるのがポニーテールなので玲花で、左のショートカットが玲那だ。彼女の母親が髪型で区別をつけていなかったら同居している巡ですら区別がつかない。亜麻色の髪の愛らしい2人はこの春、小5になる。2人は腕に胸を当ててまとわりついているが、両腕にはもう膨らみが感じられ、巡は心の中で平常心と繰り返す。


「わたしが杖代わりになるから大丈夫」


「わたしもなるから杖、いらない」


 四点杖を持って車から降りた優海を玲花と玲那が牽制するが、優海は意に介さず、笑顔で挨拶する。


「こんにちは、玲花ちゃん、玲那ちゃん。今日もかわいいわね」


「出たなおっぱいお化け!」


「おっぱいお化けじゃなくておっぱい魔女にしようって決めたじゃん」


「お化けでも魔女でも変わらん! 巡は渡さないからな!」


「お父さんがわたしたちの婿にしようと連れてきたんだからわたしたちのだ!」


 玲花と玲那は攻撃的な猫のようにシャーっとやっている。


 話す順番が必ず玲花が先で、次が玲那なのがおかしい。玲花が妹で玲那が姉なのだが、話す順番は違うらしい。優海と双子とは巡がタクシーで荷物を取りに帰ったときに始まり、見舞いの度に出くわすので、すっかりなじみの関係になっている。


「そんなことはないって言っているでしょう? おかえり、巡くん」


 玄関から2人の母親、上泉南が姿を見せ、2人の娘をたしなめ、巡を迎える。南もまた優海に勝るとも劣らない美人だ。ただ、競輪選手の妻はいろいろと激務なので、腕っ節の強さもオーラとして感じ取れる。また、2人の双子は南そっくりなので成長とともにビックリするような美少女になると思われた。


「ひとまず、ただいまです」


 巡は思わず笑顔になる。巡は玲花の腕から自分の腕を抜き、2人の頭を順番に撫でる。2人は満足そうに撫でられ、えへへと露骨に笑った。巡は周囲を見渡し、南に聞いた。


師匠オヤジさんは?」


「1人でロード練に行っているわよ。顔見せればいいのにね」


「いや、別に病院にはちょくちょく顔を出してくれているからそれはいいんだけど」


「優海さんもお疲れ様です。お手間をとらせて申し訳ありません」


「いえ。そんな……私の、贖罪しょくざいですから。正直、役得の」


 そして優海は照れて笑い、南も嬉しそうに笑った。


「やっぱり巡を狙ってるな!」


「おっぱい女狐! さっさと帰れ!」


 双子が優海を呼ぶバリエーションが1つ増えたらしい。


「巡くん、大モテよね~ さすがウチの旦那が連れてきただけのことはあるわ」


「学校じゃモテないんですけどね」


 巡は苦笑しながら、双子に支えられながら上泉家に帰宅する。


「優海さんも一服していってはいかがですか」


「それでは遠慮なく」


 優海は小さく頭を下げて巡の荷物を持って南のあとをついていった。


 ダイニングキッチンにはお茶の準備が整っていて、テーブルの上にはカップとクッキーがあった。大型TVの周りにはトロフィーのレプリカが大小無数に飾られ、賞状もそれこそ壁の一面を埋め尽くす勢いで額縁に納まっている。今の競輪界を代表する選手の1人、“剣聖”の二つ名を持つ上泉駆かみいずみ かけるの怒濤の実績である。何故“剣聖”かといえば、新人時代にスポーツ新聞の記者が戦国時代の兵法家、剣聖・上泉信綱に引っかけてアオリ記事にしたのが始まりで、当初は恥ずかしかったが、実績が伴うにつれ、二つ名に胸を張れるようになったと本人が言っていた。今まで弟子をとらなかった剣聖の最初の弟子が巡である。事故さえなければ剣聖の弟子にふさわしいまま、競輪選手の養成学校に入れたものを、と悔やまない日はない。巡の絶対的な憧れの人だ。


 巡と優海は隣り合って座り、双子はソファに。その前のローテーブルに双子用のカップとクッキーが用意されている。南が紅茶を順番に入れてくれ、午前中のお茶会が始まる。


「巡くんはリハビリの調子はどう? ずいぶん上半身は引き締まったみたいだけど」


 さすが競輪選手の妻である。南の視点は違う。


「そこそこ。優海さんがプロテイン差し入れてくれているんで不足もしてませんし」


「おっぱいお化け、不純」


「やはり抹殺する必要があるな」


「物騒な言葉使わないの」双子2人をまた南がたしなめる。「優海さんは引っ越ししておちついた? 荷物の整理は徐々にでいいんだから」


「はい。ゆっくりやっています」


 優海はカップに口をつけ、安心したように頬を緩め、クッキーも頬張る。


「一人暮らし初めてなんでしょう? 困ったことがあったら言ってね」


「南さんの手作りクッキーおいしいです」


「やったー、おっぱいお化けから1本とったぞ!」


「大勝利〜! 巡に食べさせようとわたしたちが作ったんだぞ!」


 双子が歓声をあげ、巡は相好を崩す。


「とってもおいしいよ、玲花ちゃん、玲那ちゃん」


 玲那がソファーから跳ね飛んできて、椅子に座っている巡を後ろからギュウし、続いて玲花が横からバシッと抱きつく。


「そうかそうか。玲那を嫁にすることにしたか!」


「そんなこと巡は言ってない、玲花の方だ!」


「痛い、痛い。上半身だって怪我しているんだから」


「玲那、離れろ」


「玲花、離れろ」


「元気でいいですね」


 困り顔の南に優海が言う。


「巡、そんなんじゃ風呂入れてないだろ。玲花が洗ってやるから入ってけ」


「玲那も一緒に入る。久しぶりだな、巡と一緒に風呂入るの」


「もう2年も前の話だろ。誤解される!」


 巡は大いに焦り、優海は表情を凍らせる。さすがに小5の女の子2人と思春期男子が一緒に風呂に入るのは犯罪級にまずい。


「照れるなー」


「嬉しいくせにー」


「じゃあ私も一緒に入らせて貰おうっかな」


 凍えた表情のまま優海が言うと、双子2人もぞっとしたようで、巡から離れた。


「あのおっぱいには勝てん」


「今は勝てなくても将来的には負けん」


「私の血を引いている2人だから、その辺は難しいと思う」


 南はスリムな方である。巡は笑うに笑えず、優海に目を向け、優海はローテンションな口調で言った。


「巡くんはロリコンじゃないものね」


「どちらかと言えばシスコンです」


 巡は即答し、優海は元の表情に戻る。


「実によろしい」


 巡は安堵し、またお茶に戻る。


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