第7話 巡、久しぶりの登校 2

 進路相談室を後にして、2人は荷物の整理に教室に移動する。クラス替えはないが、教室移動があるので、机とロッカーの中身は持ち帰る必要があった。巡は苦労して階段を上り、教室に至る。まだ春休みただ中で、誰もいない。


「いい先生ね」


「先生だけじゃなくて俺の周りはみんないい人なんだ。恵まれているよ」


「君の席はどこ?」


 前から3番目、中央の席を指さす。


「意外な席ねえ」


「くじ引きの結果だし。この席じゃ授業をサボれなかったね」


 優海は巡の席まで行くが、その隣の席に座る。


「私も共学校に通っていたら、こうやって男の子と隣り合わせになって授業を受けていたのね」


「隣になった奴は優海姉さんが気になって授業にならないよ」


「そんなわけないでしょう」


 優海は屈託なく笑う。少なくとも自分が隣の席の男子なら、間違いなくそうだと言いたかったが、巡はその代わりに自分の席に座った。


「今のところ、優海姉さんの隣の席になった男子は俺だけってことだね」


「そうだね。巡くんだけだよ」優海は嬉しそうに首を傾げた。「青春取り戻したいなー」


 優海は大きく伸びをする。そして学校の周囲に植えられている桜を窓越しに眺めた。


 上から眺める桜はまだまだ満開で、舞い散る花びらが雨のように風に流れていく全景を見ることができた。


「何言ってるんですか。まだ青春まっただ中でしょう」


「それは巡くんでしょう? これからの私はもう研究三昧だから何か出来る気がしないよ」


 優海は感慨深げに巡に目を向ける。


「俺の青春がただ中なのは間違いありません」


 貴女がいるから、という言葉を巡は飲み込む。


「私も、巡くんがいてくれる青春じゃなかったらやり直さなくてもいいかな」


 心の声が漏れたのかと思い、巡は激しく動揺した。


「言葉になってました?」


「何が?」


「優海姉さんがいてくれるから――だって」


「やっぱりそうなんだ。嬉しいな」鎌を掛けられたらしかった。優海は嬉しそうに頷いた。「はい、桜井くん、プリントです」


 優海はプリントを手渡す仕草をする。


「普通、プリントは前から回します」


「そうか、じゃあ、『教科書忘れちゃったから、見せてくれない?』をしますか」


 そして机を巡の席にくっつけ、椅子も移動してぴったり隣り合わせになる。


「リアルではこんなイベント起きません!」


「そうなの? でも今はフィクションだから、くっついちゃおうかな」


 優海は1冊の教科書を2人で見るような仕草をし、結果、巡にもたれかかるような格好になる。優海の髪が巡の鼻をくすぐる。


「姉さん、攻撃力高すぎです!」


「こんなシチュエーションはもう二度とないでしょうから、満喫しているの」


 優海はニヤリと笑い、満足したのか席を元に戻した。そして巡の机の中から教科書類を出して、トートバッグに入れておいたブランドものの手提げ紙袋を広げ、中に詰めた。ロッカーの中の荷物は少なかったので、手提げ紙袋だけで用は足りた。


「あ~楽しかった」


 廊下を巡と歩きながら、優海は満足げに独りごちた。


「学校での用事はもう終わり? 部活動の道具とか回収しなくても大丈夫?」


「はい。自転車部って言っても俺1人の部なので部室も道具もないので」


 手すりを使って慎重に階段を降りて、昇降口に至る。昇降口で運動靴に履き替えさせて貰い、上履きを回収すると学校での用事は本当に終わりだ。


「そうだ、ちょっと桜を見ていこうよ。じっくり見ていないでしょう? 桜井だけに桜は愛でないと」


「はい」


 言われれば、入院生活のため近くで桜を愛でることもない春だった。


 先ほど教室から眺めた、敷地内にある桜の1本の真下まで行き、優海と2人で見上げる。そして優海は舞い降りる桜の花びらに両手を広げる。


「ふふ、すごいわね」


 桜吹雪の中、優海はくるくる回った。


「映画みたいだ」


 巡はこの光景を忘れないようにしよう、と思う。


「2人で写真撮ろう?」


 優海はスマホと自撮り棒を取り出した。

 準備がいいなあ、と巡は思わず笑いをこぼしてしまう。


「子供みたいだって思ったんでしょう?」


「かも、しれませんね」


 優海と巡は隣り合い、自撮り棒の先につけたスマホで記念撮影をする。優海は撮れた画像が気に入らなかったらしく、テイク8まで撮り直した。


「あとで送るね」


「はい」


 正直、巡は立っているのが痛くてげんなりだったが、顔には出さない。


 玄関脇の駐車場ではマリンブルーのフィアット500が主人の帰りを待っていた。事故でついた傷は全て修復され、きれいに磨き上げられているので事故車なのが嘘のようだ。


 荷物を後部座席に置き、巡を助手席に座らせ、優海は運転席に納まる。


「では行きますか」


「よろしくお願いします――あの子たち、出かけてくれていればいいんですが」


「巡くんが帰ってくるんですもの。絶対にいると思うわ」


 それは少々、都合が良くない。


 2人ともシートベルトを着用し、フィアット500がスタートする。高校の周りは住宅街の細い生活道路なので慎重な運転が求められる。


「優海姉さんはあの子たちのことウザくないですか。主に被害を受けるのは優海姉さんですよ」


「かわいくて好き。元気過ぎるだけよ。弟の巡くんに続いて妹になってくれないかしら」


「姉さんがそういうなら、いいですが」


 フィアット500は巡の荷物を置きに、世話になっている里親の家へと向かった。

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